***

 常に忙しい涼月だが、さすがに婚礼の日はほかに予定を入れなかった。

 手短に式を済ませたため、時間は十分にある。
 フミが気になって仕方がない様子の伽夜に『これからフミのところに行ってみるか?』と聞くと、彼女は涙を溜めた目で、大きくうなずいた。

「さあ、掴まって」
「はい。ありがとうございます」
 差し出した手に、伽夜が遠慮がちに添える。
 その手をしっかりと掴み、伽夜を先に車に乗せた。
 洋装に慣れていない彼女には動きにくいだろうから、着物に着替えなくてもいいのかと聞いたが、着替える時間も惜しいようだ。一刻も早くフミのもとに行きたいのだろう。
 その隣に涼月も座り、さりげなく伽夜の手に目を止める。
(いくらかよくなったか?)
 キクヱはやはり伽夜の手荒れや腕や脚に残る痣を気にしていたようで、伽夜と話をしながら、手荒れに効くクリームをたっぷり塗り込んでいると言っていた。風呂にも肌荒れに効果のある薬草を入れたりしているようだ。
『伽夜様はそそっかしいのと笑うのですが、身のこなしは滑らかで自分からぶつかるとか、ちょっと考えられません』

 結婚すると決めてすぐ、伽夜はキクヱと舞踏会用のドレスを作りに行っている。
 そのとき偶然会った玉森公爵夫人と娘の萌子の態度が気になったという。
『私が公爵夫人と簡単なご挨拶をしている間、伽夜様は萌子様と挨拶をなされていたのですが、萌子様の表情がとても険しくて』
 時間にしてほんの数秒であったが気になり、後で伽夜に大丈夫かと聞いたらしい。
 本人はなにも心配ないと微笑んでいたというが――。

 玉森家について詳細に調べた。
 伽夜は現当主の養女だった。と言っても妾腹の娘ではない。母は現当主の亡くなった姉、小夜子である。
 小夜子は、十五のときに表舞台から消えた。
 病弱ゆえに空気のいい田舎で療養中であると告知していたようだが、どんなに調べても小夜子の静養先はわからなかった。
 それから十五年ほどが経ち、療養先で小夜子は亡くなった。七歳の伽夜を遺して。
 伽夜は小夜子によく似ているという。母親は小夜子に違いないが、伽夜の父親は小夜子の主治医であると、先代の公爵夫妻は周囲に話した。
 だが、誰も父親を見たものはいない。
 真相は闇に埋もれ、伽夜の出生は謎に包まれている……。

 ゆるゆると動き出した車に揺られながら、涼月は伽夜を振り向く。
 車内はそう広くはない。近すぎるのが恥ずかしいのか、伽夜は居心地悪そうに頬を染めている。
「伽夜」
「はい」
 ハッとしたように伽夜が振り向く。
「高遠の邸はどうだ? 怖くはないか?」
「いいえ、少しも怖くはありません」
 不思議そうに伽夜は首を傾げて涼月を見上げた。
「屏風や、古いものが話しかけてきたりするだろう?」
「あ、はい」
 そのことかと合点がいったらしい。伽夜はにっこりと微笑んだ。
 普通なら恐怖に怯えるはずだが、伽夜はまったく気にしていないようだ。
「皆さま、楽しいです」
「楽しい? どんな話をしているんだ?」
「からかわれてばかりいます」
 くすくす笑うところをみると、本当に楽しいらしい。
「昨日は、薔薇の花の刺繍をしていると、見せろと言われたので、どうぞと見せたのですが、それは桜かとか、竜胆かと。少しも薔薇に見えないと笑われました。おとといは――」
 高遠の邸には様々な付喪神がいる。
 付喪神とは、あやかしとなった古い道具類だ。生き物のようにしゃべり、ときにはいたずらや悪さをする。
 平安時代には数も多く、それぞれの邸を抜け出し、ほかのあやかしとともに夜中に集まっては百鬼夜行などをしていた。
 だが今は付喪神の数は減った。壊れてしまえば付喪神も消える。戦乱の時代に多くが消失したからだ。

「伽夜はやつらに気に入られたようだな」
「そうなのですか?〝鬼〟の家に帰れなどと言われますが」
 伽夜はシュンとして眉尻を下げるが、高遠家の付喪神らは彼女を気に入っている。
「真に受けなくていい。本気で嫌うときは、そのように話しかけたりはしない」