「君は白無垢がよく似合うな」
 にっこりと涼月が微笑んだ。
(あっ……)
 まさかの褒め言葉に心が跳ねる。

 今日までの十日、彼とは滅多に顔を合わせなかった。
 食事を同席したのも数える程度しかなく、やはり気が変わって追い出されてしまうのかと、ずっと不安だったくらいだ。
 今朝、白無垢姿で涼月に挨拶をしたときも『今日はよろしく』と言われただけだったのに。

「疲れただろう?」
「い、いえ」
「お腹空いただろう。着替えが済んだら、食事を済ませるといい」
「はい」
 それだけ言うと、涼月は背を向けて行ってしまったが、伽夜の心はじんわりと温かくなる。

 彼は気づいてくれていたのだ。
 式の最中、緊張で喉を通らないのもあったが、白無垢では上手く手が伸ばせない。それに、万が一にも着物を汚してはいけないと、いっさい箸を伸ばさなかった。
(ありがとうございます。涼月様こそ。紋付袴がすごく似合ってますよ)
 扉の向こうに消えた涼月に心の中で呟くと、入れ替わるようにキクヱが顔を出した。
「伽夜さま、まるでお人形のようにお美しいですよ」
 にこにこと微笑む彼女はこの家の女中頭だ。
「ありがとうございます」
「私などに敬語はおやめくださいませ。今日から正式に、伽夜さまはこのお邸の女主人なのですから」
 キクヱは「礼なら、ありがとうで十分うれしいです」と言う。
 涼月から、一年という約束はふたりだけの秘密だと言われているから、キクヱも本当の妻だと思って接してくれる。それが心苦しく、戸惑ってしまう。
「まだまだ素敵な白無垢姿を見ていたいところですが、着替えましょうか」
「はい」
 白無垢は普段の着物と違って、自分ひとりでは脱ぎ着ができない。奥の間に行き、使用人たちに手伝ってもらいながら着替えるのだ。

「さあ、こちらへどうぞ」
 齢五十になると思われる彼女は、着物の袖をたすき掛けにして、てきぱきと動く。
「今日は洋装になさいますか?」
「えっ、で、でも私……」
 伽夜は洋装をしたことがない。
 ここに来てからもずっと着物を着ていた。
 それに洋装というのは、現代的な働く女性か着るか、舞踏会など宴に呼ばれたときに着るドレスだけだと思っていた。
 困っていると、キクヱがにっこりと微笑む。
「軽くて楽ですよ? 普段から着慣れておかないと、いざというときにお困りになるでしょうから」
「あ、そ、そうですね」
 言われてみればその通り、家で戸惑う分にはいいが涼月に恥をかかせたのでは申し訳ない。
「急いでお作りしましたので、お体に合うかどうか」
 聞けば、見よう見まねでキクヱや女中たちで縫い作ったワンピースというものらしい。
「舞踏会にお召しになるドレスは、ギュッとお腹を締めて、腰にバッスルというふっくらした裳のようなものもつけるので動きづらいですが」
 洋装を着せながら、キクヱはひとつひとつ丁寧に教えてくれる。
 着慣れない洋装だが、実際に着てみると、着物のように袖が邪魔にならず、動きやすかった。
 春らしい白と濃淡がついた桜色の服で、胸元に大きいリボンが一つ、その下にもいくつか並んでいるリボンがかわいい。
「まあお似合いです」
「ありがとう」

 キクヱはなにかにつけて褒める。
 その度に伽夜は祖母を思い出す。祖母も『伽夜はおりこうね』『伽夜は美人さんね』とよく褒めてくれた。
「ドレスに慣れるよう裾は長めにしてありますから、階段に気をつけてくださいね」
「はい」
 裾の長い洋装は階段の上り下りに気をつけないと、裾を踏みそうになってしまう。そっとスカートを摘んで、そろりそろりと降りる。
 途中クゥーッとお腹が鳴り、伽夜は慌ててお腹に手をあて頬を染めた。
 幸い聞こえる位置に人はいない。ホッとしてまた歩を進める。
 高遠家に来てから、一番の楽しみは食事だ。
 見た目も手が込んでいて、なにを食べても美味しい。式で出された食事も、鯛の焼き物のほか、お肉料理もあって、美味しそうなのに食べられないのが残念だったのだ。
 伽夜は自分が食が細いのだと、この家にきて初めて自覚した。
『伽夜様、食事は健康のもとです。ゆっくりでいいですから少しずつ食べる量を増やしましょうね』
 キクヱに言われたことを思い浮かべながら扉を開けると、食事の席には涼月がいた。