「ちょ、ちょっと待ってくれ、あまねぇ」
ユウリがハッと目覚めたとき、天音は家を出る十秒前までくらい支度ができていた。
天音はユウリの言葉に耳を貸さず、スタスタと自分のペースで、家を出て行った。
ついでに鍵も閉められた。
しかし、ユウリは『気持ちの宅配便』。
体が透けているから、ドアをすり抜けることぐらい、お茶の子さいさいなのだ。
ユウリが家を出た時でも、天音はそう遠くまでには行ってなかった。
だから、すぐに追いついた。
天音の横に並んで、バス停まで歩く。
心なしか、天音のまだポヤポヤしているような気がする。
寝すぎも良くないのか…。
ユウリはまた一つ、新しい知識を得た。




「え、怖い怖い怖い」
朝、どの教室にも明かりがついていない校舎はとても不気味だった。
そんな怖いところに、表情を変えず、スタスタと歩いていく天音にも少し恐怖を感じた。
天音は下駄箱や階段など、自分の通ったところの電気を付けて行った。
こういう奴がいるから、他の奴らは明るい学校しか知らないのかもな、とユウリは天音の後ろでそんなことを思っていた。
教室は開いていて、天音は一番後ろの、窓から一つ離れた席に自分の鞄を掛けた。
そして、教室の窓を開けた。
秋が深くなってきた、この季節。
つまり、窓から吹いてくる風が冷たく、窓を開けたくなくなる季節だ。
それなのに、天音はためらいもせず、教室の窓を全て全開にし、教室の後方へと向かった。
天音が手にしたのは、ほうきだった。
「え、天音、それで何すんの?」
「見てわからない?」
天音は席と席の間を縫うようにして、掃除を始めた。
「えらいな、天音!」
「別に」
天音は相変わらず冷たい。
しかし、ユウリは天音の人間的な一面を見れたようで、少し嬉しくなっていた。
そんな天音を見ている人間がいたことに、ユウリはまだ気づけなかった。




「誰も来ないな」
掃除が終わって、天音が読書に取り掛かろうとしたとき、ユウリは言った。
「来ても誰とも話さないから、別にどうだっていい」
そう言って、自分の世界に入ろうとする天音を、ユウリは引き留めた。
「誰か話しかけてくれることはないのか?」
「ない。業務連絡は別だけど」
「何でか聞いてもいいか?」
最近の言葉で言う、地雷というものをユウリは恐れていた。
ただでさえ、『気持ちの宅配便』に前向きじゃなさそうな天音に嫌われることは何よりユウリ自身が嫌だった。
「私が悪いの」
蚊の鳴くような、とてもとても小さい声で、天音は言った。
「それってどういうことだ?」
「どうだっていいでしょ。第一、あなたには関係ない。…この話はもう終わり」
そして天音は読書の世界へと入っていった。
廊下から、楽しそうな複数人の女子の笑い声が聞こえていた。





天音の言う通り、授業が終わって休み時間になっても、昼食の時間になっても天音は誰とも会話というものをしていなかった。
ずっと、一人で読書している。
それが当たり前であるように。
まるでクラスに如月天音という存在が最初からいなかったかのように。
天音は一人でも平気なようだった。
一時間目から昼休みまでずっと天音に付きっきりでも有力な情報が得られない、とユウリは感じた。
だから、ユウリは一足先に天音の家に帰ることにした。
天音の〝願い〟を見つけるために。