「ごめんね、天音。お母さんが最初に逃げようって言ったのにね」
「ううん、私は大丈夫だから。だから…」
天音と呼ばれた少女は「大丈夫」の後に続く言葉が思いつかず、黙り込んでしまった。
「天音、大丈夫じゃない時に大丈夫なんて言ってはだめ。天音に寄り添って、救ってくれる人が絶対どこかにはいるはずだから」
彼女は膝に置いていた手をギュッと握りしめた。
その天音の手に彼女はそっと、その白くやせ細った手を被せた。
その温かさに、天音の目は潤んでしまい、母の知らない、今までのことを全て話してしまおうかと思った。
しかし口を開きかけたその時、
「面会時間は終わりです」
と、主任と書いてあるプラカードを下げたおばさんが言ってきた。
彼女は一瞬、悲しそうな、泣き出しそうな顔をしたと思えば、すぐにいつもの笑った、別れの時にむけてくれるその笑顔で「またきてね」と、いつものように天音の背中をポンポンしながら言った。
天音は、背中で感じた母の優しさにグッと涙をこらえて
「うん」
と、いつものように返した。


来た時は琥珀色だった空も、今は紺青に染まっている。
吐く息が白い。そして、すぐ消えていく。
「次来たときは、笑って、またくるねって言えますように」
中学二年生の冬、帰りのバスを待ちながら天音は星空にそう願った。