「なんてね。別に何時に出てもいいよ、ちょっと心配だけど」
 そよそよと、気持ちのいい風が吹く。
「変な人に絡まれたらどうするの」
 秋が始まろうとしている季節に、傷だらけの男が私を心配する。
「……もうすでに絡まれてるけど」
「え⁉」
 それが自分だという自覚はないのだろうか。
 目を丸くして、わざとらしい反応を見せる。
「ほら、女の子がこんな時間に出歩いたら危ないって。俺をボディーガードにつけないと」
 危ない人に、危ない人から守ってもらうってなんか変だ。それに、
「弱そう……」
「あ、それ見た目で決めつけてない? 言っとくけど強いからな、俺」
 強かったら、怪我なんてしないんじゃないだろうか。
 それは言えなくて黙り込む。どこまで言っていいかわからない。
 人との話し方なんてとっくに忘れてしまったはずなのに、一応は会話らしい会話ができてることに安心する。
 この前は声が出て安心したのに、今日は言葉が出て安心してるなんて、私のほうこそ変だ。
『次はあいつにしよ』
 なんでか、すごく嫌なことを思い出して、胸が痛くて仕方がない。
 そういえば、あのときも声は出なかった。言いたいことはたくさんあったのに、足が竦んで、視線が怖くて、言葉なんてひとつも出てはこなかったんだ。
 ずっと、この記憶を抱えたまま生きていかなければいけないんだろうか。
 思い出したくないのに、簡単に消えてくれない。
 ぎゅっと帽子を深く被り直す。
 外にいると、何度も帽子を触ってしまう。
「えなこちゃん、俺と付き合おうか」
「……は?」
 突然、なんの脈絡もなく切り出されるものだから耳を疑った。「は?」なんて、普段は使ったことないのに。
「あれ、違った?」
「な、んで……急にそんな話になるの」
 気持ちが焦って、それ以上に、からかわれてるのかと思うと、急激に手足が冷えていく。
 本当に意味がわからない。
「いや、告白待ちしてるんかなと思って。えなこちゃん黙るからさ、ほら、雰囲気作りしてくれてるんかと思って」
「してない……全然してない」
「照れんでもええのに」
 雰囲気が、温かいままで過ぎていこうとしていることに気付いた。
 あれ、今、私からかわれたんだよね。
 なのに、なんだろう、この空気。
 嫌な視線もなければ、失笑で晒されることもない。
「……ふざけてる?」
「大真面目や。めちゃくちゃ真剣なんやけど」
「からかったんじゃないの?」
「あー、俺の真剣さが伝わらんかったんか。ごめんごめん」
 申し訳なさそうに、けれどもふにゃりと笑うものだから、どんな返しをしたらいいか思いつかない。
 この人、本当に何考えてるか読めない。
 顔も名前も知らなかったのに、私は今、どうしてかこの人の隣にいて話をしてる。
 どこに行っても、まともに私と話してくれる人なんていなかったのに。
 なんで、私、ここにいるんだろう。
 なんで、少しだけ、心を許しかけてるんだろう。
 ……だめだ、帰ろう。このままここに居たらダメな気がする。
 背を向けると、今度は「どうしたん?」と声をかけられた。