『次は──の番だから』
 ハッと目が覚めたとき、心臓がドクドクと胸を叩き、全身には嫌な汗をかいていた。
「……またこの夢」
 深く息を吐きながら、壁掛け時計を見上げると、まだ眠りについてから一時間も経っていなかった。ようやく寝られても、こうして悪夢で起こされることが多かった。
 そっと耳を澄ますと、下から声が聞こえないことにまず安堵する。
 家の中から音という音が消えた時、ようやく私は真っ暗な部屋から出て行ける。
 足音が鳴らないよう細心の注意を払い、二階の自室から一階のキッチンへと向かった。
 冷蔵庫を開けると、ピンクの弁当箱がまるで持ち主に見つけてもらうのを待つかのように左真ん中で鎮座していた。それを見ただけで心のどこかが痛んで、見なかったことにする。ただの弁当箱なのに、ここに付随するもの全てが、私の精神を攻撃してくる。
 麦茶をコップに注ぎ飲み干しては、自分が降りてきた形跡を消すかのようにコップを洗い、タオルで拭いて、元の場所に戻した。
『お母さん、いつでも一緒に行くから』
 ふと、お母さんの声が蘇り、ぎゅっと目をつぶった。
 扉越しから聞こえるお母さんの声はいつもくぐもって聞こえて、それを閉ざすようにベッドに潜り込んだ。しばらくは毎日のように聞こえていたお母さんの声も、今ではすっかりなくなった。
 安心するけど、同時に絶望もしていた。
 家族からも見放されたんじゃないかと怖くなって、余計に顔を合わせられない。
 いつものように家を出ようと玄関に向かうと、靴箱の上に置かれたテニスボールを見て、ひゅっと呼吸が止まった。
 黄色いそれが、一瞬、ボロボロになったあれと重なって、また目をつぶる。
 これは、私のじゃない。
 振り払うようにテニスボールの横にあった黒いキャップを深く被り、スニーカーへと足を突っ込んだ。それから音が鳴らないように外へ出る。
 今もまだ視線は怖いけれど、まだ帽子があるから歩いていける。
 大丈夫、誰もいない。こんな時間ならあの人たちもいない。
 そう言い聞かせながら、ぐんぐんと歩くスピードを上げていく。
 走るんじゃなくて、ただ歩く。自分の足先を見て、時折周囲をぶつからないように視線を上げてる。決まったコースがあるわけではないけれど、自然と光のないような場所を選んで歩いた。
 暗くて、音もなくて、誰もいないような道。
 部屋にいるときと何も変わらないような気がするけれど、まだ外にいるというだけで空気は変わる。気持ちも、少しだけ和らぐような気がする。
 道は違えど、行きつく先はいつもの歩道橋の上。その中間あたりで足を止めては、ようやく呼吸を整える。
 テナント募集中の廃墟ビル。建設途中のマンション。過疎った電気屋。それから──
「えなこちゃんでしょ?」