「これが今俺が作ってるキットだ」

 そう言ってカゴから取り出したのは不思議な物体だった。ダンボールを縦に並べたような土台……猫の爪とぎによく似ている。それに細長い棒が刺さっている。棒にの先端にはクリップが付いていてそこにロボットの手足や頭、胴体が挟まれていた。バラバラになった身体はちょっと猟奇的な雰囲気がある。

「これ、グレー一色なの?」

 あとはこのバラバラ死体みたいなパーツを合体させれば完成しそうだけど、パーツが全て灰色なのが気になった。

「アタシが作ったロボットは3色くらいの部品に分かれていたよね?」

 それで、ただ組み立てるだけでそれっぽいカラーリングになった。けど、こちらは一色だけで物足りないように感じる。

「いや、成型色はアンタが作ったキットと同じで何色かに分かれている。けど、それを一色で塗ったんだ」
「え? なんで?」

 せっかく最初からカラフルなプラモデルを灰色一色で塗ったってこと? 意味不明だ。どうしてそんな事を?

「下地作りだよ。サーフェイサーっていう塗料を使ってさ、まずはプラスチックの細かい傷を消して表面をなめらかにするんだ。それに下地を作ると、塗装の発色も良くなる」
「何かに似てると思わない?」

 横から店長がアタシに尋ねてきた。表面をなめらかに……発色をよく……。

「え? もしかして?」

 すぐに思い当たる。

「ファンデ?」

 アタシの回答に、店長はニヤッと笑う。
 確かにそうだ。毛穴を埋め、くすみを覆い、メイクの発色をよくする。メイクにとって、ある意味どんなコスメよりも大切なファンデーション。その役割は、この灰色と似ているように思えた。

「ちょうど昨日、サフ吹きが終わったから、今日は本格的に塗装をする」

 ボサガノはそう説明しながら、部屋の隅に向かった。そこには換気ダクトの付いた、大きな箱がある。

「それは塗装ブース。エアブラシ塗装をすると、色の付いた溶剤が飛び散るからね。店内ではその箱の中でしか使っちゃいけないんだ」

 言いながら店長は、無骨な機材をセットしていた。エアブラシのコンプレッサーだとすぐにわかった。
 お気に入りのネイルサロンにも似たような機材が置いてある。アタシはあまりやらないけど、コレを使うときれいなグラデーションに塗ることができるのだ。

「塗装にもコツがあってな。ただ一色で塗ればいいといわけでもない。影になるようなところは暗い色で、光が当たる面は明るういろで、そうすると陰影が強調されてよりリアルな仕上がりになるんだ」
「メイクの基本テクじゃん……」

 アタシの脳内には、プラモデルとは全く違う映像が浮かんでいる。
 高校生の時買った、ファッション誌の特集記事。初心者向けのメイク指南を丁寧に解説した、アタシのバイブルみたいな本だ。今では広げることは殆どなかったけど、大切な一冊なので実家から持ってきて今でも本棚に置いてある。
 その記事で知ったアイシャドウやチークを塗るコツ。そこには、今ボサガノが話したプラモデルの塗装方法とほとんど同じようなことが書かれていた。

「けどただメリハリをつければいいってわけじゃない。あんまりメリハリを付けすぎると……」
「不自然な厚化粧になる」

 ボサガノが言い終わる前に、アタシの口が開いた。ボサガノは黙ってうなずく。

「俺や店長が言った意味分かったろ?」
「こういうのって、メイクに慣れた女性の方が感覚的にわかりやすい気がするんだけど、どう思う?」
「たしかに……似てるのかな?」

 半分くらい騙されているような気が、しなくもない。けど……それでも共通点がある事は間違いなさそうだ。

「るなちゃん、彼氏にDxDxD(デューキューブ)をプレゼントしたいって言ってたよね? せっかくなら一緒に作ってみたら?」
「一緒に?」
「そう。ただ誕生日プレゼントにするだけでもいいけど、どうせなら彼氏と一緒の時間を共有するんだ。るなちゃんの美的センスで彼氏を手伝うの」
「アタシの、センス?」

 そんなものが自分にあるなんて考えたこともない。でも、メイクやネイルの知識にならそれなりに自身があった。
 ショータの気持ちはアタシから離れかけている。考えてみれば、もう長いことアタシのファッションやメイクを褒められていない気がする。でも、アタシの知識で彼を手伝えるのだとしたら……。

「アリかも!」

 1ヶ月半後にバラ色の未来が待っている気がした。
 もともとショータの気持ちを取り戻すための誕プレだ。それを利用して二人の時間を作るってのは、アタシにセンスがあるかはともかく、魅力あふれる考え方だった。

「この作業スペースは常連さんに開放してるんだ。プラモデルを作る楽しさを知ってもらうために。ここで作れば、モデラーの店員にテクニックをレクチャーしてもらえる」

 店長がそう語ると、それまでうなずきながら彼の話を聞いていたボサガノの表情が固まった。

「嵯峨野くんはうちのエースだからね。わからない事はなんでも聞くといいよ」
「店長、店長」

 ボサガノは笑顔を引き足らせながら、店長の肩を叩く。

「まさかと思いますけど、コイツの面倒を見ろって言ってます?」
「嵯峨野くん、適任でしょ? 仲良さそうだし」
「いやいやいや、待ってくださいよ! 俺、コレをあとひと月で仕上げなきゃいけないんですよ?」
「でも君言ってたじゃん、ジェルネイル思ったより難しいって。一緒にやれば彼女にアドバイスもらえるんじゃない?」
「ちょっ 店長!」

 その言葉をもちろんアタシは聞き逃さなかった。
 
「え、なになに? ボサガノ、ジェルネイルの使い方知りたいの? 教えたげよっか?」
「いや大丈夫、遠慮しとく……ていうか何だその呼び方?」

 あ、そういえば口に出してこのあだ名言うの初めてだったわ。

「え、だってアンタ嵯峨野っていうんでしょ? ボサボサヘアの嵯峨野だから、ボサガノ」

 解説すると、店長はブホッと勢いよく吹き出す。

「おい、ふざけるなよ!」
「ボ、ボサガ……いいじゃん、一緒にやりなよ。ボサガノくん」

 店長は笑いをこらえながら、この長身の店員を見上げていた。その視線は、こいつの顔ではなく髪の毛にいってる。

「ったく、乗りかかった船だし、わかったよ」

 心底げんなりといった表情だった。それを見てアタシは、ようやくあの屈辱の日の溜飲が下がった気がした。

「オッケ! じゃあよろしくね、ボサガノ」
「その呼び方はマジでやめろ」