たとえば好きな人がいるとして、誕生日プレゼントは何がいいか、どんな髪型の女の子が好みか、そういう情報を聞き出すなら本人じゃなくて関係者のほうがいい。恥ずかしくないし、サプライズができるし。ターゲットが学内でアイドル扱いされている先輩ともなれば、情報を征する者が恋人の座を征するというのも、あながち嘘じゃないと思う。
 でも、そんな憧れの人を部活の先輩に持つと、少し厄介なことになるのだ。

 夏に行われた吹奏楽部の大会も終わり、一、二年生だけで行うアンサンブルコンテストは二ヶ月先の冬。インターバルとも言える秋の今、部内の空気は緩みきっていた。部活が始まるまでは、そんな空気感を狙った部外の女の子が音楽室前に群がってくる。
 取り囲まれているのは菅原葵(すがわらあおい)くんだ。でも彼女たちのお目当ては葵くん本人ではなく、引退した三年の菅原(まもる)先輩だった。
 ケースを開いてトランペットを準備する葵くんに、女子たちが根掘り葉掘りお兄さんの情報を聞き出そうとしているのだ。
「菅原センパイ、この前佐田(さだ)に告白されてたってほんと?」
「返事なんて言ってた? ねえ葵くんは知ってるんでしょ」
「髪の毛の長い人が好きってウワサ、本当?」
 葵くんが楽器ケースを威嚇のようにバタンと閉じた。
「おまえらマジでいい加減にしろ。んなもん俺が知るか。本人に聞けよ」
 そんな彼の怒りなんかに、周りは全く動じない。
「本人に聞けたらこんなに苦労してないよねー」
「センパイはみんなのセンパイって雰囲気だからさあ」
「情報がごちゃごちゃなんだよ。ガセネタとかあるし」
 私はグループの邪魔にならないよう、出来るだけ目立たず体を小さくして、ユーフォニアムを抱えながら脇を通り過ぎた。
「つか、本人に聞く度胸のない奴が告白したって、兄貴は絶対OKしない思う。あいつ、ずっと好きな奴がいるんだってさ」
「ええっ!?」
 女の子たちが悲鳴をあげる。
「それって、片思いの相手ってこと?」
 ビクッと肩が勝手に反応した。
 カタオモイ。その単語が頭の中をぐるぐる回る。
 それって誰のこと? この学校にいる? 同級生? それとも後輩?
 ……そんなことを聞けるはずもなく、私は葵くんたちを横目に音楽室へ入るしかない。
「だから、兄貴のことは諦めろ。邪魔だ、しっしっ」
「ひっどー。女の子を虫みたいに払うとかまじありえない」
「だからモテないんだよ菅原弟は」
「うっせえな」
 女子と葵くんの声が、背中から遠ざかっていく。
 部のミーティング開始直前もあって、メンバーはほとんどが席に着いていた。その中でも私と同級生の一年女子組は、外の喧騒にピリピリしている。
 吹奏楽部の後輩女子の中では、菅原先輩は『憧れの人』っていうより『神』に近い。引退する前はフルートを吹いていて、ソロで大会の賞を取るほどの腕だったからだ。
「あの子たちさ、菅原先輩のことなんだと思ってんだろうね」
「これだからミーハーは」
「集団心理って感じで気持ち悪い。本気で菅原先輩のことが好きな人なんて、どうせいないんでしょ」
 同じフルートパートにいた神崎(かみさき)さんは特に、菅原先輩の追っかけを(さげす)んでいるように思える。
 私は陰口に参加せずに済むよう存在感を殺していたのに、神崎さんにギッとにらまれた。
「あんな騒がれて、部活の迷惑なんだけど。ねえ、入江(いりえ)さんもそう思うでしょ?」
「え、あ……うん」
 神崎さんの険しい目元がすっと緩む。
「だよね」
 あはは、と口の中で笑い声を上げるしかない。夏でもないのに喉がカラカラに干からびていた。
 私がみんなの言う〝ミーハー〟の一人だったと知ったら、神崎さんや葵くんはなんと言うだろうか。
 部内で孤立するのが怖くて、周りにヘラヘラして本音を隠してしまう自分が、心底いやになる。
 そうこうしているうちに部活が始まり、顧問の岩崎(いわさき)先生がやってきた。
 さっきまでの喧騒が嘘みたいに、音楽室が静まり返った。