次の日──10月12日の昼休み。
 図書室に行くと、ノートは書架から消えていた。
 無事にノートの主が読んでくれると信じて、放課後までの時間をじりじりと過ごす。実物を手放してしまうと、あのノートが三年前と繋がっているなんてありえないと冷静になる自分がいる。
 でも、あの時私は菅原先輩に自分の言いたいことを全部言えた。たとえ誰一人ノートの存在を信じてくれなくても、死にたいと思っている誰かに本音でぶつかった事実は、誰にも消せない。それだけで、世界が昨日前までとは違って見える。
 部活の時、葵くんと何度か目が合ったけどそらされた。葵くんの中では、私が裏で菅原先輩の情報を集めてまで取り入ろうとしていると勘違いしたままなんだ。
 誤解されたままはいやで、なにより目をそらされたままは居心地が悪くて、私は葵くんを呼び止めていた。
「葵くん」
「……なんだよ」
「昨日、菅原先輩のことを諦めろって言われたけど……やっぱり私、先輩のことが好き。ちゃんと事情は後で説明するから、葵くんも私から目をそらすのをやめてほしい」
「入江が兄貴にどうアプローチしようが、迷惑かけねえならなんも言わねえよ」
 葵くんがはバツが悪そうな表情になり、ぶっきらぼうに言った。
「……悪い、昨日はちょっと強く言いすぎた。入江が裏でこそこそするなんて、ないもんな」
 私たちはお互いに言えなかったことを告げて、無事に和解できた。

        *        *

 そして、放課後。
 緊張で心臓が変に鼓動しているのを抑えながら、私は図書室に向かった。
 扉に手をかけてガラリと開ける。いつもは二、三人の利用者がいる今日の図書室の机には、ただ一人──。
 菅原先輩が、待っていた。
 ただでさえ早くなっている鼓動が、どくんと跳ね上がる。
 先輩はこちらに気づくと、カバンを持って私に近づいてきた。
「やあ」
「せ、先輩……今日も図書委員の代理ですか?」
 自分でも不安になるほど消えかかった声で問いかけた。ここは図書室だから、声を潜めているんだとごまかして。
 先輩は首を横に振る。
「いや。きみに会いに来たよ」
 そしてカバンに手を入れると、一冊のノートを取り出した。
「見てみて」
 それは、表紙のくたびれた大学ノートだった。表表紙(おもてびょうし)の白地部分は時間の経過で薄灰色に汚れていて、裏表紙のバーコードの下には『¥108』とシールが貼ってあった。
 恐る恐る、ページを開く。

『死にたい。
 明日学校の屋上から飛び降りようと思う』

 一行目にはそう書かれていて、

『……2022年10月12日の放課後、図書室で待っています』

 最終行はそう締めくくられていた。
 ノートを閉じて、震えた息を吐く。
 昨日まで新品だったノートが、一日でここまでくたくたになるはずがない。
「このノートは、三年前に買ったものなんだ」
 信じられない気持ちで顔を上げる。
 私たちの声を(つづ)ったこのノートが、三年間、先輩の手で保管されていたってこと……?
 菅原先輩はまぶしくて、柔らかくて、同時に苦味を味わうような笑顔になった。
「やっぱり、これを書いたのは入江さんだったんだね」