夜の街に飛び出した。
大通りの人混みを早足で駆けていく。
息が上がるのは日頃の運動不足のせいだけではない。
涙は出ない。驚きの方が勝っているのかもしれない。
それとも悲しすぎると涙も出ないのか。
はたまたそんなに悲しい出来事ではなかったのか。
その区別もつかないうちにアスファルトのちょっとした段差に足を取られて、つんのめる体をなんとか踏みとどまらせた。
手に提げたエコバッグが勢いよく揺れる。カボチャが入っているそれが膝の裏を直撃して呻き声が漏れた。
周りを行き交う人々の目が気になって、とんとんと爪先で地面を軽く蹴って誤魔化す。真下には自分の影が色濃く映し出されていた。横を見れば、自動販売機が夜の街と私を煌々と照らし出している。
その明るさと、先程目にした部屋の明るさがよく似ていて目の奥が熱くなった。

「──(あずさ)

部屋に入ってきた私を見て目を丸くした、“アイツ”の間抜けな顔と声がまだ浮かぶ。
そして、あられも無い格好でアイツに跨っていた泣きぼくろの女の顔も。
どうしてあのまま部屋を出てきてしまったのだろう。このカボチャでもぶつけてやれば良かった。ああでも食べ物を粗末にしてはいけないんだっけ。
アイツが食べたいって言ったんだ。残業続きでろくなもの食べてないから野菜摂らないと、たまにはカボチャの煮物が食べたい──って。
鮮明に浮かぶ光景に、今頃になって顔が歪んできた。

泣きたくない泣いてたまるか泣くもんか!

ここで泣いたら未練がある気がして、負けた気がして、歯を食いしばって拳で太ももを叩いた。

「……んなのよ」

口の中に留めておけない苛立ちがしゅうと漏れ出ていく。
叫びだしたい気持ちはあれど、いち社会人としての常識と、恋に敗れた哀れな女と思われたくないプライドでなんとか押し込めたそれが、みっともなく低い呟きとなってどろりと落ちた。

「好きだ、って言ったじゃない。愛してるって。なんでそんな軽いの、そんなの好きでもなんでもない、もう好きなんて信じられない……!」

ぎゅうと握りしめた拳の中で爪がくい込んだ手のひらがズキズキ痛む。
いっそ血が出るくらい強く握れば──そんな馬鹿な考えを起こしたその時だった。

「お誂え向きに盛り上がってんなァ」

アスファルトから、にゅうと手が生えた。

咄嗟のことで動けない。
生えた手が私の靴を掴んだ。

「え」

私を中心に幾何学模様を描いた円が地面に浮かぶ。
模様に沿って紫の光が立ち上る。

「ひっ」
「さあ、愉しい魔界へご招待だ」

低い声に勢いよく足首を引っ張られ膝をしたたかに打ちつける──はずだったのに、アスファルトは泥のようにぐにゃりと揺れて私の膝を、手を、顔を──飲み込んでいく。

嘘でしょ。夢なら覚めて。

そんなことを口走っていたらしい。
同じ声がハッと笑い飛ばす吐息が聞こえた。

「覚めねえよ。とびっきりの悪夢だからな」

赤い瞳がにんまりと弧を描く。
そこで意識を失った。