海につくまでの間、俺と庄司さんはいろんな話をした。歩くには疲れるような道と時間だったけれど、それがあっという間に感じるほど、俺たちは確かに濃い時間を共有していた。
中学時代のこと。今ある日々のこと。
改まって自分たちの話をするのは恥ずかしくて、けれどとても大切な時間だった。
「でも、仁科くんはやっぱり仁科くんのままだったなって思う」
きらめく海を見つめながら、庄司さんがふと声をこぼす。どういうこと? と視線を移すと、光が差し込む彼女の瞳と目が合った。潮風に黒髪が靡いている。ふ、と笑われ、心臓が鳴った。
「なんかこう、ちょっと尖ってるっていうか。仁科くんはやっぱり今も良い人のふりしてるなあって」
「それ、褒めてないよね?」
「わはは、うん。でも、それが仁科くんなんだって知れたからいいの。むしろ今更仁科くんに優しくされても怖いもん」
あまり変われないまま、俺は十八歳になってしまった。
まだまだ子供なはずなのに、世間じゃもう大人に括られるようになり、クレジットカードも作れるようになった。
大人になっても俺はまだ、自分の行動や言葉にすら責任が持てない。
真面目に生きようと頑張るのは疲れるし、友達や家族にはどこか気を遣うのをやめられない。
毎日悩みはつきなくて、生きているだけで疲れてしまうような日々を、俺たちは生きている。
「……俺、帰っていいのかな」
こぼれた本音があまりにも情けなくて、自分で言っておいて少し笑えた。
本当は、こんな日々を終わらせて楽になりたかった。
母親の前でいい子のふりをするのも、やりたいことを諦めてひかれたレールの上を歩くのも、自分より上手に生きている人を羨むのも、全部やめてまっさらな俺になりたかった。
死にたいとか消えたいとか、そんなこと思わないくらいの人生を歩めるような人間でいられたらよかったのに。
「いいんだよ。だってもう過去の仁科くんはいないんだから」
けれど、不安に駆られる俺に、彼女は言う。まっすぐな声だった。
「今までの仁科くんだったら、こんなふうに電車乗り継いで遠くに来ようなんて思わなかっただろうし、海行こうとか、そんな突然私のこと誘ったりしないと思うもん」
「……それはそうかも」
「これは逃げじゃない、仁科くんは戦に来たんだ。過去の自分を殺すための旅、でしょ?」
俺が抱える悩みも、庄司さんに刺さる棘も、あの子が言わずにいたことも、彼が考えていることも、例えば言葉に起こせたとしても、すべてがわかり合えるわけじゃない。
他人にわかってもらおうなんて、ただの我儘で、傲慢だ。
それでもどうしても、大切な人には、わかってもらいたい。
「ね、考えてみてよ。生きて帰ったら警察の事情聴取もあるだろうし、親にも学校にも説明しないといけないし、バイト先に誤ったりもするんでしょ? 死んだほうがマシなのに、仁科くん生きて帰ろうとしてる。ぜったいぜったい、死んだほうマシなのに」
「庄司さん俺のこと殺そうとしてない?」
「違うよー中学の時言われたこと引きずってるだけだよー」
「あの時はごめんって……」
この海まで背負ってきた俺の青い棘が、彼女の言葉にやさしく溶かされていく。
「どれだけ逃げたって死ぬまで生活って終わんないわけだし。でも本当に死ぬほどの度胸もないし、だったら生きててよかったって思えること、増やしたほうがいいんだよねえ」
「そうだよなー……」
「なんかさ、勿体ないなって私も思い始めた。私ももっと正直に生きてたい。仁科くんに会って私も前向きになれた気がする」
青が綺麗だった。俺たちが暮らす街にも海があったら、もっとおいしい空気を吸えていたかもと考えて、海があったところで悩みは尽きないし、それはそれで死にたくなりそうな気がしてやめた。
どんな家に生まれても、どんな場所で息をしていても、自分なりに生きるだけだから。
「帰ろう、仁科くん」
こうやって生きてしまうんだ、きっと。
それなりに悩んだり苦しんだりしながら、自分の信じたいものを信じて日々を越える。
死にたくなるような毎日すら、愛しくなってしまうまで。
「仁科くんさ、帰る前に一個お願いがあるんだけど」
「なに?」
「ちょっとだけ仁科くんのギター聴きたい」
「へたくそだよ俺」
「でも、こんなところに背負ってくるくらい大事にしたいことなんでしょ?」
「……わかったよ。笑わないでね」
「私の好きなバンド、これなんだけどさ、知ってる?」
「ああ、うん。俺このバンドいつもコピーしてた」
「……ふうん」
「え、なに?」
「なんでもない。それより早く聴かせてよ、仁科くんのへたくそなギター!」
彼女に聴かせた俺のギターはとんでもなく下手くそだったが、その瞬間、どうしようもなく、生きていてよかったと思った。