駅のホームに並ぶベンチの横にギターケースを置き、俺は定刻通りやってきた上り列車をぼうっと見つめていた。


生きる、死ぬ、帰る、帰らない、生きる、死ぬ、帰る、帰らない。


それらを頭の中で唱えながら、花弁を一枚一枚抜いていく。ぷちぷちと抜けていくその行為は、快感というよりはただ何も考えずにすむという点でちょうど良かった。


当駅は終点の一つ前。視界の片隅で手動の開閉ボタンを押して乗り込んだのはひとりの老人だった。生まれも育ちもこの街で、週に一回、列車で二駅のところにある図書館を訪れているらしい。
それはつい五分前、老人が俺の目の前で落とした古びたパスケースを拾った時に、お礼と共に聞いてもいないのに伝えられた情報だった。


老人が乗り込んで扉が閉められた後、汽笛の音が鳴り、それからまもなく列車が動き出した。ガタンゴトンなんてかわいい音じゃない。ゴォ──…と鼓膜まで響く耳障りな音は、ノイズキャンセリング機能がついているイヤフォンすらも突き抜けた。


何を叫んでもかき消される。たとえばその瞬間、誰に向けているかもわからない不満を吐き捨てたって、情けないほどの弱音をこぼしたって、列車が過ぎ去る数秒が強い味方になってくれる。

もちろん、現実的にそんな野暮なことをしようとは思わないけれど、生きているうちに一度くらいは、抱いた感情をすべてを吐きだしてみたいという欲があった。


「はー……」


大きなため息が出た。幸せが逃げていくような気がする。

ここは無人駅だ。利用者は当然のように少ない。券売機もなければまともな改札もなく、出入りは自由。祖父から昨日聞いた話だが、三年前、この駅から西に十分ほど歩いたところに大きな駅ができたそうだ。

地下鉄も在来線も通っている駅で、病院やショッピングモールへのアクセスが良くなった。この辺りじゃ革命だなんだと騒がれ、住民はこぞって喜んだという。


利用者の少ないこの駅は、あと数年も経てばなくなってしまうのだろうか。


電車や駅の仕組みに詳しくないのでこの無人駅の未来のことなんてわからないけれど、なくなってから気づく愛しさとかありがたみとかを語っている人を見ると、そんなの都合良すぎだろ、と思ってしまう。



酸素を肺に送り込み、ゆっくり呼吸をする。

生きる死ぬ帰る帰らない、生きる死ぬ帰る帰らない。


この花占いが「生きる」、もしくは「帰る」で終わったとして。俺がまたあの街に帰って生きたところで、今までと何が変わるんだろう。

「死ぬ」「帰らない」で終わったとしても同じだと思う。


生活は「慣れ」だ。俺がこのまま帰らなくたって、ぽっくり死んだって、家族も知人もいずれ俺がいなくなった生活に慣れていく。

人間ってちっぽけだな、と花弁をちぎりながら俺は再びため息を吐いた。



遠ざかる列車の音とは反対に、ざっざっとコンクリートを蹴る足音が近づいてきて、俺は顔をあげた。

長く細い黒髪が揺れている。あの列車に乗っていたみたいだ。老人が乗り込む様子に気を取られていて、降りてきた人には気づかなかった。



「……久しぶり、仁科くん」



空の青に反射した彼女はやけに繊細で、それからとても綺麗だった。