母に「少し遅くなる」とラインしたのは十七時を回ったときのこと。送った直後に母からは電話がかかってきたけれど、帰りが遅くなる理由を全て説明するのは面倒だったので出なかった。


【遅くなるって何時頃?】【迎えいく?】と続けて送られてきたラインには、既読だけをつけた。


翼が何も言わずいなくなった理由が、なんとなくわかった気がする。
相手が諦めるまで鳴り続ける電話も連続で送られてくるラインも鬱陶しくて言葉を返したくない。だけど、心配性の母が不安がる気持ちもわからなくないので、既読だけは一応つけておこう。


そういうことをいちいち考えて思考を奪われるのが嫌だったんじゃないか? なんて、今ここにいない人間の思考をわかろうとしたところで、どうせ正解はでてこないんだけど。



人を探していた。遭遇できるかどうかの確証はなかったけれど、地元の高校に通う生徒たちの通学路を辿ったり、街の真ん中にあるいちばん大きな交差点で辺りを見渡したりした。


翼が残した日記のなかに名前があったあの子。夢に出てきて、何をしているか気になってしまうようなあの子。彼女なら、おれが知らない翼のことを知っているかもしれない。

時間が経ってだんだん周りが翼のニュースに興味を示さなくなる前に、おれは彼女に会っておきたかった。


「おーい、新くーん」


だからその日、彼女───庄司絢莉と偶然遭遇できた時は、柄にもなく、神様とかまじでいるかも、と思ってしまった。



彼女は、中学時代と変わらず永田百々子と木崎祐奈と一緒にいた。

おれは三人のうち誰ともきちんと関わったことはなかったけれど、彼女たちが中学時代一緒に行動していたことは知っていたので、時間が経てば経つほど翼とわかりあえなくなってしまった俺からすれば、変わらない関係を築けているのが少しだけ羨ましかった。



「庄司さんは、どう思う?」
「どうって?」
「翼は、やっぱり死んだって思う?」



彼女に何故そんなことを聞いたのか、自分でもよくわかっていなかった。

自分だけじゃないと思いたかったのかもしれない。信じたかった、───希望を抱いているのがおれだけじゃないってことを。




スケッチブックを開き、削りたての鉛筆を握った。

記憶をたどって、翼の顔を描いてみる。一卵性の双子だから、鏡を見ながら描けば大体の特徴をとらえることはできるのかもしれないが、それをしなかったのは、妥協したくなかったからだ。

手癖で描く漫画のキャラクターの何倍も難しくて何度も描きなおしたが、結局できあがった似顔絵はこの上なくへたくそで、おれはひとり、部屋で笑ってしまった。



双子なのに、おれは翼の顔をきちんと認識できない。それだけ長い間、おれは翼を避けていたということだ。


まったく似てない似顔絵の隣に、深く考えずにギターを描いた。

つばさとあまり話した記憶はないけれど、中学一年生の頃まで翼が時々ギターを弾いていることは知っていた。あの頃、隣の部屋からやさしい音色が聴こえると、おれはBGMを止めていた。翼には死んでも言わないことだけど。


ある日突然聞こえなくなったのは、多分、母の影響だと思う。俺がちゃんとしていない代わりに、母は翼に期待していたから、無駄な時間を許さなかった。

好きなことを禁止されるのはどんな気持ちなんだろう。その点、おれは絵を手離したことはなかったから、翼の苦しみは到底想像できなかった。



おれは、翼のことを何も知らない。
知らないから、話をしなければならない。


おれは変わらずひねくれていて、翼のことはどうしたって羨ましいと思ってしまうし、おれには何もないとも思ってしまう。


翼よりおれのほうがずっと死にたいって思ってるとか、わけのわからないマウントを取りそうにもなるし、運動も勉強もできるんだから絵なんか描けなくてもいいだろとかクソみたいなことも思う。


おれのことをわかってもらいたいなんて思わないし、おれの気持ちはきっと一生、翼には理解できないことだ。


だけどきっと───それはお互いさま、だから。


おれたちに必要なのはお互いをわかり合うことじゃなくて、おれたちが双子で、違う人間であることを分かろうとして、受け入れること。




まだ間に合うだろうか。

おれたちは、まだ、これから仲の良い双子になれるだろうか?


「つっても、話してみないとわかんねーよなあ……」




おれのひとりごとが静寂に落ちた時───玄関のドアが開く音がした。