カフェを出た足で、おれは家の近くの公園に立ち寄った。日が暮れ始めた空はオレンジ色に染まり始めていて、ほんのり切なさを含んでいる。


おれはベンチに座り、リュックから日記をとりだした。ぱらぱらとページを捲り、八月の日記にたどり着く。不穏さが増し始めたのはこの辺りからだ。

高校三年生の夏は、一般的に、模試や課外講習が詰まっている時期。翼が通っていたのは県内じゃ有名な進学校だったから、いっそう空気が詰まっているのかもしれない。詳しいことは何も知らないけれど。



8/1
もう8月こわ
2か月くらい絶対勝手にどっかいっただろ


8/7
ギターかっこいい おれにも才能あったらな

8/9
新しいピック買った!弾くぞ

8/15
模試ばっか頭おかしくなる
ベンキョーベンキョー死ね

8/16
新いいなー
絵描けたらおれももっと違ったのかな




前に目を通した時は見落としていた八月十六日の日記。記憶のなかの翼が喋り出す。


『新はいいな、才能あって』


思い返せば、翼にそう言われたのも夏のことだった。

部屋にこもり絵を描いていた時、翼が部屋に入って来た。その理由は、シャープペンの芯が切れたから一本だけほしいとか、ルーズリーフ一枚ちょうだいとか、どうでもよすぎて思い出せない程度の用事だったことだけは覚えている。


おれたちは最低限の会話しか交わさない。それもだいたいは翼からの用事であって、おれから翼に話かけることはほとんどなかった。


『また絵描いてんの?』
『べつにいいだろ。見んなよ』
『いいな、才能あって』


あの時、おれはバカにされていると思った。絵なんか描けても、将来なんの役にも立たない。美術について深く学びたいわけでもないから芸術大学に行くなんて選択肢は持っていなかったし、専門に行く気にもなれなかった。

気が向いた時に手癖で描くくらいがちょうどいい。仮に絵が描けることがおれの才能だったとしても、翼に羨ましがられるようなことじゃない。

おれよりずっと良いものを持っているくせに何言ってんだよと、褒められている事実を純粋に受け取ることができなかったのだ。



あの時、翼がどんな悩みを抱えていたのかとか、誰かに言えない気持ちがあったのかとか、そんなことは一ミリも考えたことはなかった。考えようとすら、おれはしていなかった。



9/7 




九月七日の日記。黒で塗りつぶされたそのページに書かれた四文字が苦しい。



何が、翼をそんな気持ちにさせていたんだろう。

勉強も運動もできて、周りには好かれていて、期待もされている。翼は、双子でいることが苦痛に思うほどよくできた人間だ。

そんな翼にも、日記に吐き出したくなるような感情があった。おれを羨むことがあった。


黒で塗りつぶしてしまうような気持ちを、本当はずっと抱えていたのだろうか?



考えてもわかりそうになくておれは空を仰いだ。

いなくなってから気づくなんて、死にたくなるほど情けない。