静寂は孤独、だと思う。
怖いとまではいかないけれど、寂しいと感じる。だから、生活には常にBGMが欲しい。おれの部屋にはテレビがないので、代わりに音楽をかけるのが日課だった。
いつかのおれが一時間かけて作った最強のプレイリスト。一一八曲、七時間三十四分。夜を越えるには十分すぎるかもしれない。再生すると、寂しさを含んだ空気が少しずつ消えていくような気がした。
壁を背もたれにするようにベッドの上で胡坐を掻いた。「あっちもこっちも付けないで節電しなさい」とよく母に言われるので、部屋の電気は付けずベッドの脇に置かれた間接照明を灯す。ほんのり睡魔を誘うオレンジのライトが、おれは結構好きだ。
手元にあるのは一冊のリングノート。
一週間前、兄の部屋で見つけた。
兄とは言っても、数時間後にはおれも生まれているので兄と呼んだことは一度もない。
双子だから仲が良いとか、同じ道を歩むとか、そんなのは現実的な話じゃないと思う。
実際、おれと兄は義務教育を終えてから全く別の学校に進学したし、家でもろくに話さないような関係性だった。おれたちは全く違う人間なはずなのに、顔と背丈だけはそっくりで、それが時々鬱陶しくもあった。
ノートの表紙には何も書かれていなかったけれど、質感を見ただけで、使い古していることはなんとなくわかった。
パラパラとページをめくると、日付と一緒に短い文章がいくつも綴られていて、すぐにそれが兄のつけていた日記であると気づいた。
4/15
進路の話キモ。まだ4月なのに。
4/28
やりたいこととかなにもないしギター持って旅でもするか?
5/3
GWこんなバイト入れなきゃよかった
セキと帰った セキって意外とよくしゃべる
おれもピアスあけたい.
5/21
ギターうまくなりたい
6/10
雨ってだけでうつ
6/24
梅雨うぜーーーー北海道に移住したい(空気うまそう)
ページを捲るたび、心臓の音が速くなる。おれの記憶じゃ、兄はそんな荒い口調で話すような人ではなかった。母に怒られているところなんてまともに見たことがないし、反抗期と呼べるものも来ていなかったように思う。
性格も口調も生き方も、周りからの評価も。どこをとってもおれとはまるで正反対だった人だ。
ここに綴られているのは、きっとおれが知らない兄のこと。
裸を覗いているような気分だ。少しの背徳感と、それに勝る好奇心がおれを襲う。
日記が八月にたどり着いたところで、誰かがドアをノックした。反射的にノートを閉じたタイミングでゆっくりドアが開き、風呂上りの母が顔を出した。いつも思うことだけど、返事を聞く前に開けるならノックをする意味はない気がする。
「まだ起きてたの?」
「あー、うん」
「電気つけなさいよ。目悪くなるでしょう」
薄暗い部屋を見て母は言った。節電するように言うのは母なのに、間接照明だけでは目が悪くなるから電気をつけろだなんておかしな話だ。母が言う節電の正解を教えてほしい。
「ほどほどにしなさいね」
机の上に積んだままの漫画や広げたままのスケッチブックを一瞥した母は、そう言うとドアを閉めた。無駄なことに時間使うのも大概にしろ、と、多分そういうことだ。「ほどほどに」と言うあたり嫌味が含まれている気がする。苛立ちが募り、おれははあ、と大きなため息を吐いた。
再び日記を開き、続きに目を通す。
8/1
もう8月こわ.
2か月くらい絶対勝手にどっかいっただろ
8/15
模試ばっか頭おかしくなる
ベンキョーベンキョー死ね
8/18
大学いってやりたいこととか別にないな
労働とか給料日以外人を不幸にする気がするし
8/30
全部捨てて電車とか乗り継いで遠くにいきたい
9/1
夢に庄司さん出てきた
ひさびさに中学おもいだす 今何してんのかな
読み進めていくにつれ、日記はマイナスな言葉が多く吐き出されるようになった。
おれは、兄がそんな感情を抱えて生きていたことを知らなかった。同じ家で暮らしているけれど、お互いの進路すらわからない。いつも涼しい顔をして生きているから、視界に入るだけで焦燥に駆られるのだ。
高校生になってからは、目を合わせて会話をした記憶がほとんどないくらいだった。おれたちは確かに、「不仲」だったのだと思う。
九月七日の日記にたどり着き、おれは手を止めた。そのページは黒い線で何度も塗りつぶされていて、日付だけがかろうじてそのまま残されている。
何かを書いて、消した。そしてそれが何だったのかは、さらにページを捲ってすぐにわかった。
どれだけ力強く書いたのか。裏面にうっすら写った四文字が、俺の胸を締め付ける。
そんなふうに思うことあったなら、話してくれたらよかったのに───なんて偉そうなことは、間違ってもおれが言えることではなかった。
おれたちが双子じゃなくて、年の離れた兄弟だったらわかり合えていただろうか。同じ家に生まれていなければ、良い友達にでもなれていただろうか。
どうしておれたちは家族で、よりにもよって双子だったんだろう。
日記を閉じ、スケッチブックと漫画が散らかる机の上に雑に置いた。こんなもの見つけなければよかった。いなくなった今でも、おれは兄のことが嫌いなままだ。