「店ちょ……」
「あ、関さんすみません、今いいっすか」



閉店後の締め作業を終え、カウンター席に座って事務仕事をする店長に辞めることを伝えようとしたところで、白石くんに声を掛けられた。


「この枯れた花ってどうしたらいいですかね?」
「花?」
「え、はい。なんかすげー枯れてて見栄え悪いんでどうしたらいいかなって」


どこから持ってきたのか、彼は花瓶を見せてそう言った。枯れた花がみすぼらしくそこにいる。

見たことのある花瓶だった。たしか、トイレ前の通路に置いてあったやつだ。けれど、俺の記憶にあるのは色鮮やかに咲いているもので、こんなふうに茶色くなったものじゃない。


この店でバイトをはじめて一年。そこに過敏が置いてあることは知っていたが、俺は一度も、この花に水を与えたことはない。


昼間のバイトやパートの人が水やりしていたのか? いや、だとしたら枯れていることにもっと早く気づいていたはず。

じゃあ一体だれが───。



「あ、それねー、育ててくれてたの仁科くんだ」


思い出したように店長が口を開く。「仁科ですか」と、反射的に声がこぼれてしまった。


「そう。まかせっきりにしてたからすっかり忘れてた。枯れたのはもうしょうがないから捨てようか」
「わかりました」



白石くんが小さい声で「ごめんね」と言いながら枯れた花を捨てた。店内が静かだったから聞こえたが、有線がついた営業中の店内だったら絶対聞こえなかったであろう声だった。


「これって、新しい花買う感じですか? 空いた花瓶は……」
「いやー、ね、そうだよねどうしよう。水やり忘れたらすぐ枯れちゃって可哀想だよねぇ」



仁科くんがいてくれたらよかったんだけど。なんの気なしに呟かれたその言葉に、ちくりと胸が痛んだ。


突然辞めたのが俺だったとしたら、こんなふうに言われていないだろう。辞めてからもこんなふうに求められる仁科が、俺は羨ましくてしょうがない。


はあ、と小さくため息を吐くと、「関さん」と名前を呼ばれた。



「仁科さんって、ニュースになってた人っすよね」
「え? あー……うん」
「ぼくその人と会ったことないんであれですけど、関さんに教わることに不便感じたことないっすよ」


思いがけない言葉だった。動揺のあまり、「え、何急に……」とたどたどしい返事になってしまう。


「あ、すみません。さっき休憩室で話してたとき、関さんが聞いてたの見えちゃって。ドア半開きだったんで」


白石くんの表情からは、何を考えているのか読み取れなかった。


「今日パートの人も仁科さんのことめっちゃ褒めてたんですよね。でもぼくからしたら、今ここにいない人のこと話されても知らないから、比較のしようがないんですよ。てか全然、頼りになります関さんは」
「あ、ああ……そう」
「気にしてるのかと思って。あの、一応です。要らない情報だったら忘れてください」



後輩に気を遣わせるなんて情けない。そう思う俺とは裏腹に、白石くんは言葉を続ける。


「でも今言ったこと、まじですよ。関さんかっけーっすもん。あとなんか、人間らしくて安心します。ぼくも関さんに甘えていいんだって思えるっつーか。あ、ちなみにこれめっちゃ褒めてるんですけど伝わってます?」
「え? あー……えーっと……」



誰かに褒められた経験が乏しいので、こういうとき、どういう反応をするのが正しいのかわからない。

俺はただ、自分ができる範囲で言われたことをやっているだけだ。仁科に比べたら、そこまで影響力のある人間じゃない。


そんな俺のことをこんなふうに思っている人間がいることに、俺は純粋に驚いた。けれど同時にどこか照れくさくもあって、俺は白石くんからそっと視線を逸らした。


「そういえば仁科くんも前に言ってたな」
「……仁科が、ですか?」
「『関は俺と違って根が真面目で律義なやつだから、もっと任せていいと思います』って。仁科くんが辞める話は前から聞いてたもんだから、その時に関くんの話になってね。まあ、こんなに急に辞めるとは思わなかったんだけど。仁科くんが信頼してるならってことで、指導係は関くんにお願いしたんだよ」


「急に仕事ふやしてごめんね」困ったように店長が笑う。白石くんは、何も言わず俺をじっと見つめていた。