「あ。アオハルくん」
その日は、退勤時間がシマさんと同じだった。バックヤードで、僕より一足先に着替えを終えたシマさんが何かを思い出したように開口する。名前が青砥千春だから、最初と最後の文字をとって「アオハルくん」らしい。
ひとりでいるほうが楽だと感じるようになったのはいつからか。
学校という窮屈な箱の中で、下品な話で盛り上がる同性も恋愛感情に侵されて周りが見えなくなる異性も、僕にとってはあまりに面倒で、無理をしてまで友達になりたい人達ではなかった。
ずっとそんな気持ちを抱えて生きてきたので、僕に友達と呼べる人はいなかったが、その事実を寂しいと思ったことすらなかった。
青春なんてものとはかけ離れた生き方をしている僕に青春を匂わせるあだ名をつけるなんて、皮肉にもほどがある。
最初の頃は「その呼び方やめてくださいよ」「なんでぇ、いいじゃん」「煽りにしか聞こえない」「煽ってるから間違いじゃないよ」「人としてどうかと思いますが」などというお決まりのやりとりがあったけれど、それもいつの間にかしなくなった。
日々は、僕等のあたりまえを肯定するために過ぎていく。
「昨日ニュースで見たんだけど、高校生の男の子がいなくなった事件って、アオハルくんの地元じゃなかった?」
「……あぁ、はい」
「今日電車乗る時、警察が聞き込みしてたの。私の最寄りでそうだったから、アオハルくんのところとかもっとすごいのかなって。ごめん、これはただの好奇心だから答えなくてもいいんだけどさ」
シマさんはまっすぐな人だ。どういう気持ちで言葉を紡いだのかを教えてくれるから、踏み込まれても嫌な気がしない。べつに気にしないですよと言うと、シマさんはありがとうと言った。感謝されるほどのことはしていないのに、そういうところが彼女はとても律義だと思う。
「仁科翼って、僕の同級生だったんですよね」
「え、そうなんだ?」
「でも、仲良かったとかそういうんじゃないので。ただ通ってた中学が同じだったってだけですよ。名前すら呼んだことないくらいの関係です」
県内じゃ有名な進学校に通う男子高校生が行方をくらましたというニュース。昨日、金曜ロードショーが終わったあとに偶然耳に留まった、あれだ。
行方不明になった仁科翼という人間は、中学校の同級生だった。
警察は近隣住民への情報提供を呼び掛けていて、シマさんの言う通り、僕の地元では駅だけにとどまらず街を歩く市民に声をかける警察の姿を見た。生憎僕は目が合う前に人の波に紛れて駅に向かい逃げるように電車に乗ったから、警察につかまって時間をロスすることはなく出勤できたわけだが。そのことを伝えると、シマさんはきみらしいねと言った。
「……なんか、意外だったんですよねぇ」
彼が消えた、と聞いて、僕が抱いた感情はそれだった。
行方不明になった理由は明確ではないが、何らかの事件に巻き込まれた可能性もあるらしい。昨晩そのニュースを見てから僕はどうにも真相が気になってしまい、ネットで同じニュースを検索をしてみたところ、「自殺もフツーにありえそう」「今時の若者は弱い」とか、一部ではそのような意見が飛び交っていることも知った。
けれど、あの仁科翼に自ら命を絶つという可能性が加えられていることが、僕にはまるで想像ができなかった。
「意外って?」
「なんていうか、仁科はいわゆる光属性ってやつだったから」
僕が知っている仁科翼は、勉強も運動もよくできて、愛想も持ち合わせていて、誰とでも平等に関わることができる、なおかつルックスも良いといった具合に、とにかくすべてを兼ね揃えた完璧人間だった。
とはいえ、目立ちたがり屋だとか仕切りたがりだとかそういう一面はなく、ただ単に平均以上の才能や愛嬌があり、誠実そうなオーラもあった。
こう言ったら失礼なのかもしれないが、彼のことをよく知らない僕からしてみても仁科は悩みなんてなさそうに見えたし、日々を充実している人なのだと思っていた。
生きることそのものを生きがいを感じていそうなタイプだ。人付き合いを面倒くさがってひとりになりたがる僕とは、どう頑張っても交わらない。
「光属性かぁ」
「え?」
「ねえアオハルくん。それはきみと、きみと同じ考えを持つ人の意見ってだけじゃないのかなあ」
シマさんが言葉を落とす。そこにどんな感情が込められていたのか僕にはわかりそうになかったが、いつもより幾分か彼女の声色は冷えていた、ような気がした。