「ねえ、仁科(にしな)くんが死んだってニュース、見た?」


友人のユウナからその話題が振られたのは、登校してすぐのことだった。背負っていたリュックを机の上に降ろした状態で、動きが止まる。彼女の隣で、幼馴染のモモコは「あんた声でかい」と苛ついていた。


「……は? なにそれ」
「仁科(つばさ)ってさ、いたじゃん中学ん時。すっごい頭よくてコミュ力高い男子。双子の、ちゃんとしてるほう」
「にしなつばさ……」



こぼれた名前に懐かしさを覚えた。

にしなつばさ。仁科翼。

私と同じ中学校に通っていた男子の中にその名前を持つ人がいたことは確かだ。

仁科翼くん。テストの順位はいつも一桁をキープしていて、テスト期間はいつもクラスメイトに頼られていた生徒だ。真面目で、爽やかで、コミュニケーション能力の長けていた。

部活動には所属していなかったけれど、運動部顔負けの能力もあって、イベントごとでも大活躍していた印象もある。今は、地元から少し離れたところにある県内の公立の進学校に通っているはずだ。

私は「いたね、そんな人」と短く返事をして、椅子を引いて座る。ギギ……と床が擦れる音が耳障りだった。



「その仁科くんが、死んだらしいって話!」


人口二万の小さな町じゃ、誰がどこの高校に行ったとか、誰が高校を中退してどこで働いているとか、誰と誰が付き合っているとか、そういった情報は全部筒抜けだ。だから、中学を卒業して以降、仁科くんと接点がなかった私にその噂が流れてきたことは、べつに不思議なことじゃない。

だからこそ、自分が仁科くんの立場だったら、こんなふうに騒ぎ立てられるのは絶対嫌だと思った。


「全国ニュースってやばすぎじゃない? ケーサツうろついてるし。同中だったし、うちらもジジョーチョウシュとかされんのかなぁ」
「いやいや、ないね。別にあたしら仁科くんと仲良かった時期とかないじゃん。ねえ絢莉(あやり)?」
「ああ、うん」


仁科くんは確かに同じ地元の中学校に通っていたし、私は一方的に彼のことを知っていた。でも、挨拶すらするかしないか定かではない関係だったから、重要参考人には値しない。
少なくとも仁科くんにとっては(・・・・・・・・・)ただの同級生A、B、Cである。


「自殺だって噂だよ。仁科くん、なーんで死んじゃったんだろうねぇ。文武両道で人気者。顔だっていいし、なんでも持ってるのにさ」
「まだ行方不明でしょ。勝手に殺すな」
「えーでも、正直な話、行方不明ってほぼ死と同義じゃん」


悪びれた様子もなく、ユウナがそう言ってスマホを弄っている。行方不明と死が同義だなんて私は思わないけれど、わざわざ突っかかる必要もなかったので口を噤んだ。


「なんか、友達とかじゃなくてもヒトの死ってダメージあるわ。痛いっていうかさぁ……ほら、最近政治家の偉い人も死んじゃったじゃん。怖いし、不穏。最近の世の中物騒だよね」


ユウナから「ね」と強制的に同意を求められ、「うん」と短く返す。

言っていることには一理あるが、ユウナの言い方は、ダメージを負っているようにも同情しているようにも聞こえない。どこかで聞いた言葉を真似て言っているような、そんな感じだ。ユウナには申し訳ないけれど、そこに彼女自身の意思が含まれているとは思えない。


「ねー、てか来週の日曜、あたしの好きなバンドがフリーライブやんの。ふたりとも、一緒に行ってくれない?」


その証拠に、同級生の不穏なニュースの直後の話題がそれだ。彼女の、仁科くんが死んだ「らしい」話への関心なんてその程度で、モモコも然りだ。


──それで、きっと私も。



「てかあんたいつも誘ってくれるのはいいんだけどさ、あたしも絢莉もべつにバンド詳しいわけじゃないじゃん。ひとりで行くって選択肢とかないの?」
「やだモモちゃん、そんなんあるわけないって。ひとりとか寂しすぎて考えらんないもん。あの子ひとりで来てる~って思われたくないじゃん!」
「他人にどうこう思われたところで」
「他人はそうだけど、嫌なもんは嫌なの! それにほら、人間ってひとりじゃ生きていけないっていうじゃん。彼氏とか友達といたほうが絶対毎日充実できるし。それに〝好き〟って共有したほう幸せ度あがるもん! あやちゃんもそう思うよね」
「まあ、そういう瞬間もあるよね」
「だよね⁉」
「ちょっと。あんたいつも絢莉に意見強制すんのやめなって」
「あやちゃんはモモちゃんと違ってやさしいからいいのー!」



ふたりの小競り合いを遮るようなタイミングで予鈴が鳴った。遅刻しないぎりぎりの時間に登校する利点といえば、予鈴が会話を強制的に終了させる武器になることだ。


「とにかくそういうことだから! 日曜あけといてねっ」


急いだ声で言ったユウナが、小走りで自分の席に戻っていく。



「絢莉、日曜行けそう?」


ふう、と誰にも気付かれないように小さくため息を吐き、リュックから教科書を取り出そうとした時、モモコが言った。

先月くじ引きで行われた席替えで、私とモモコは隣の席になった。中学の時から数えても、
隣の席になったのはこれが初めてだ。視線を移すと、モモコが頬杖をついて私を見ていた。


「返事聞く前に決定するのやめろっていつも言ってるのになぁ」
「でも行けるから。ダイジョーブ」
「もー……絢莉はやさしすぎるんだよ」
「その発言がやさしいわ、モモコは」


モモコは私をやさしいと言うけれど、それは間違っている。

日曜のフリーライブに行くのは、あたりさわりない言葉を選んで断るのが面倒だから。ユウナの意見に同意するのは、否定してまで自分の意見を述べるのが面倒だから。


いつのまにか根付いた諦めが早いこの性格は、やめろって言われてもきっと簡単には治らない。だから、返事を聞く前に決定するユウナの性格もきっと治らない。

諦めて受け入れて関わるほうが楽だし、私の中ではそれ以外の選択肢は見当たらない。


ただ、それだけだ。