文化祭が終わり、12月を迎えた私達の手には、夏休み直後に受けた模試の結果が握られていた。
結果は、正直良くなかった。
総合順位の1桁を狙っていたけれど、結果は18位。傍から見れば嫌味かよと思われるかもしれないけれど、私のクラスは学年で1番上なのだ。その中で18位というのは低い方なのである。
「莉乃、模試どうだった?」
放課後をむかえ、私達は今日オープンの喫茶店に来ていた。彼女はずっと前からここに来たかったらしく、それでも一緒に行く友達がいなくて困っていたそう。
私はクリームソーダを飲みながら、模試の結果表を眺めていた。
「私ね、今回よかったよ」
彼女はバナナチョコレートのパフェを食べながら、私の質問に答えた。
「何位だったの?」
「6位だよ」
彼女はピースを作って、私に満面の笑みを見せてきた。ロングの髪をポニーテールで束ねていて、綺麗なアーモンド型の目に、綺麗な鼻、細い唇、シャープな輪郭。まるで韓国アイドルのような彼女は、私の憧れだ。
彼女は知らないらしいけれど、莉乃は裏で“高嶺の花”と呼ばれている。
なんでも持ってる彼女が羨ましいと思ってしまう。それでも、私の良さを忘れないで自分と向き合うと決めた私に、憧れという言葉は自分の辞書から消した。
「すごいなあ莉乃は」
「美桜だって頑張ってたじゃん」
頑張っても、結果に繋がらなければ意味がない。私はもうその言葉の重さを知り尽くしているの。
お母さんが見てるのは、結果だけだから。
相変わらず成績に厳しい。来年には受験が控えているというのもあって、最近はさらに厳しくなった気がする。この模試の結果を見せたらなんと言われるのか目に見えてきた私は、家に帰る時間が近付くにつれ、気分が沈んでいく。
せっかく彼女との楽しい時間を楽しもうと思っていたのに、お母さんの存在が頭をチラつかせ、私の不安を向上させていった。
「美桜?大丈夫?」
汗すごいけど、体調悪いの?と、彼女は優しい声でそう言い、私にハンカチを手渡してくれた。
お母さんの存在が、私の心を蝕んでいく。
こんなにも大きいものになっていたなんて、知らなかった。
私は彼女にお礼を言って、ハンカチを借りた。
最初に貰った無料の水を飲み干し、呼吸を整える。
大きく深呼吸をして、ようやく正常を取り戻した私に、彼女は安堵の息をもらしていた。
「なにかあったの?私で良かったら話聞くよ?」
心配の思いがこもった瞳が、私を真っ直ぐに見ていた。
「実はね」
私は高嶺君と同様、彼女にもお母さんとの関係を話した。
成績に過剰に厳しい事。
親子じゃありえないくらいの束縛。しかしこれに関しては、私が昔事故に遭ったことがきっかけで過度な心配性になってしまったこと。だから余計に恨めないこと。
その他諸々の出来事も彼女には話すことが出来た。
「聞いてくれてありがとう」
私は彼女に頭を下げた。
口にして言葉に出したからか、体が少しだけ軽くなった気がする。
彼女には助けられてばかりの自分に、彼女にとって私の存在価値とはなんだろうと毎回思ってしまう。
「こちらこそ、話してくれてありがとう」
私は頭を上げ、彼女と目を合わせた。
彼女もまた、私をじっくりと見つめていた。
「私はお母さんもお父さんも成績には厳しいけど、めっちゃ成績!ってわけじゃないし、事故にも遭った事はないから心配性ってわけでもない」
彼女は自分の境遇を淡々と私に話した。
私との違いが明らかで、私の家がおかしいというのは聞いていて伝わってきた。
「でもね、逆に心配性じゃないってことは、心配はしてくれると思うんだけど、多分危機感は持ってないと私は思うの。だからいざ、私が今日帰りに事故に遭うとしたら、それはお母さんとお父さんにとって凄く衝撃的な事で心への衝撃が強すぎる」
私は大きく頷いた。彼女は、まるで小説の主人公のような言葉を口にする。
「だから、最初から危機感を持っていれば、心への衝撃は多少なりとも少なくなる。過去にもう体験した恐怖は、今後の糧になるだろうね」
彼女は店員さんがちょうど運んできたカフェラテをゆっくり混ぜながら、そう語った。
私はそうだねと、小さく呟いた。
少し曇ってきた空を眺めながら、私達は別れを告げた。

「ただいま」
「あら、おかえり美桜」
お母さんは鼻歌を歌いながら夕食を準備していた。なにかいい事があったのだろうか。
「何かあったの?」
ありのままの疑問をお母さんにぶつける。
「実はね、彼氏出来たの」
ああ、またか。私の感想はそれだけだった。
私のお母さんは歳の割にとても綺麗で、定期的に彼氏を作ってくる。いつも長ければ1ヶ月くらい、早ければ2週間程度で別れてしまうけれど、付き合っている期間はとても幸せそうなのだ。
でも、別れた時は本当に大変。
もう無理死のうと言いながらお酒をたくさん飲み、私が必死に留め、お母さんが泣き疲れて終わるというのがいつもの流れ。
お母さんが幸せそうなのは、私も凄く嬉しいけれど、もう誰も失いたくない。
死のうとか、簡単に言わないで欲しい。
私はお母さんにおめでとうと伝え、部屋に向かった。
私はふぅと小さなため息を静寂の部屋に吐き捨てる。
「彼氏、か…」
私はまだ彼氏が出来たことがない。
好きになった人は、中学の人と高嶺君だけだから。
自分の恋が実るのはいつなのだろうかと、日々考えてしまう。
どうせ辛い思いをするなら、諦めた方がいいのではないかと。
この思いをどこにぶつければ、私の心の中に晴れが来るのだろう。
疲れ切っている体を動かし、ベッドにダイブした。昔、埃が舞うからやめなさいと怒られていたけど、今の私にそんな言葉は意味を成していなかった。
枕の横にある本棚から、今読み途中の小説を取り出す。
「私の恋の行先は」
私はぼそりと、小説の題名を口にする。
これは、在り来りの青春恋愛物語。
それでも、主人公の恋愛が私の境遇と似ていることから感情移入をしてしまい、喜怒哀楽を主人公と共にしている。
もう2人が結ばれるシーンまで読み終えている私にとっては、とても喜ばしいことだった。
だからこそ、私も高嶺君とって期待してしまうんだ。
私はお母さんに呼ばれ、現実に引き戻された。
大きな声で、はーいと返事をし、夕食があるリビングへと向かった。
「今日はハンバーグ!」
お母さんは手を広げ、どうだ!とでも言うかのように笑って見せた。
「うん、凄く美味しそう」
昔からハンバーグは、私の大好物だ。
「ほら、食べて食べて」
「いただきます」
そう言って私は箸を持ち、ハンバーグを1口サイズに切って頬張った。
「美味しい…!」
「でしょでしょ」
久しぶりに食べたお母さんの料理は、とても温かくて美味しかった。
味ももちろん良いのだけれど、美味しく感じる理由は、お母さんと一緒に食べているからだろう。今日は新しいバイトの子が入ったらしく、夜勤の仕事はないらしい。だからこうして一緒にいてくれてるのだ。
1人の時よりも、美味しく感じる。
私はごくりと飲み込み、また1切れ口に入れた。
「ねえ、美桜」
「ん?」
「高嶺君とは、どういう関係なの?」
お母さんの口から高嶺君という単語が出たことに驚いてしまい、味噌汁が変な器官にいってしまい、咳をこんでしまった。
「高嶺君と、仲はいいの?」
お母さんが続けて質問してきた。
正直、前は仲がよかったと思う。でも今はと聞かれると、仲良くはないだろう。
「普通、かな」
私はいつも笑顔を貼り付け、そう答えた。
これが模範解答だと思ったから。
「そう、なのね。良い友達を持ったね」
お母さんは顔をひきつった表情を見せたけれど、すぐに優しそうに微笑んだ。
「高嶺君がどうかしたの?」
今度は私から質問したけれど、誤魔化されてしまった。
「なんでもないよ」
「…そっか」
お母さんは自分が言わないと思ったことは断じて教えてくれない。それを知っていた私は、聞くのを諦めて、ハンバーグをまた口にした。
「ご馳走様でした」
私は両手を合わせ、そう言った後食器を洗っていく。
私達家族は、家事を分担している。
仕事をしているお母さんを楽してあげたいと思う。でもまだ高校生の私が出来ることは限られていて、私は手伝いという結果を出した。
食器を洗っていたら、すっかり忘れてきた模試の事を思い出してしまった。
お母さんは今、機嫌がいい。もしかしたら、低くても許してもらえるかもしれない、そんな期待を込めて、模試の結果表を取りに戻った。
「お母さん」
「どうしたの?」
「模試の結果、返ってきたの」
笑顔でテレビを見ていたお母さんの顔が、一瞬で冷たい空気を放った。
冷や汗が、私の頬を伝る。
「…見せなさい」
夕飯の時とは別人のようなお母さんの顔。
覚悟はしていたけれど、恐怖という霧が私の心を埋め尽くす。
「うん」
それだけ言って、私は模試結果が書かれている紙をお母さんに渡した。
「…18位」
お母さんは順位だけを冷たい声で告げた。
私は無意識に爪を手のひらに食い込ませていた。唯一、私を保ってくれる刺激だった。
怖い、逃げ出してしまいたい。
何度そう思っただろう。ずっとずっと、お母さんが怖かった。
けれど、今変わらなければいつ変えるんだと心の中で叫んで、私は立ち向かう。
それと同時に、人間という生き物はそう簡単に変わることは出来ないという事も、私はよく知っている。
「どうして、こんなに低いの?」
自分でも分かっている、今回の結果を招いた原因を。
分かっているからこそ、答えたくなかった。
お母さんに、そんなことだけで成績を落としてどうするのと言われたくなかったから。
「……ごめん、なさい」
やっぱり、昔と変わらない。
謝ることしか出来ない私が、また蘇った。
お母さんは大きなため息をだし、握っている紙の部分に少しだけしわをつくった。
「謝るんなら、きちんと結果に残しなさい。あなた来年受験なのよ?まだ1年あるじゃないの、もう1年しかないのよ?その意味、わかってるの?」
昔、お母さんは受験に失敗したと言っていた。
まだ1年あるという言葉に甘えて、勉強を怠ったせいで第1志望の大学に受かれなかったらしい。
なら留年すればいいという考えもあったけれど、1個下の子達と勉強するというのはプライドが許さなかったのだろう。お母さんは滑り止めの大学に入学し、自分の夢を断念したと。
自分の失敗を娘にして欲しくないと思っているのだろう。
それでも、私の人生は私のものだ。
親だとしても、決められたくない。
そう口に出来たらどれだけ楽になるのだろう。
「分かってるよ」
「私はあなたに、昔の自分のように失敗して欲しくないの」
それはただの言い訳にすぎないのではないかと思った。自分の考えを押し付けて操作しやすくするための口実にしか、私の耳には聞こえなかった。
「うん、分かってる」
「はあ…お姉ちゃんはちゃんとやってくれたのに、何を間違えたのかしら」
いつも“お姉ちゃん”って、私は私だよ、お姉ちゃんじゃないよ。
間違えたなんて言わないで、私も頑張ってるんだよ。
そんなことを言っても、意味がないのはわかっていた。だから何も言わず、ただ歯をくいしばった。
「もう、いいわ」
私の心臓が、ドクンと大きく鼓動を鳴らした。
お母さんが突き放った言葉は、私に対してもう期待も願望もないということなのだろうか。
私は諦められた、呆れられたということなのだろうか。
「お母さん…?」
「普段の定期テストだっていつも2位じゃない。いつになったら1位を取れるの?」
お母さんの冷たい瞳と声が、私の五感を強く刺激した。
「そ、れは…次こそは…!」
「いつもいつも次って、その次はいつ来るのよ」
私だって、1位を取ってお母さんに褒められたいよ。それでも、無理なんだよ。
私には取れない、取れないの。
どんなに努力しても、高嶺君には届かなかった。私はその時、生まれつきの才能というものに打ちのめされた。
「お母さんは何も言わないわ、好きにしなさい」
どんな言葉よりも、どんな酷い言葉よりも、1番言われたくなかった言葉だった。
見捨てられたんだ、私。
もう、期待もされずにただ毎日を過ごしていかなきゃいけないんだ。
じゃあ私は、なんのために生きればいいのだろうか。
お母さんはそう言って、模試結果の紙を机に置いた。そして、リビングを後にした。
私は喪失感に打ちのめされていた。
今までのお母さんは、次こそ1位を取ってねと言ってくれていた。当時の私にとってプレッシャーでしかなかった言葉だったのに、見捨てられるまでその大切さに気付けなかった。
声をかけてもらえてる時に、頑張らなければならないということに。
体に力が入らなくなり、その場で膝から倒れ込んでしまった。
ありえない、こんな事、起こっていいものじゃない。
きっと夢だ、そう夢だよ。
私が、お母さんから見捨てられるわけがない。
だって、頑張ってきたもん。ずっとずっと、褒められるだけに努力してきたんだもん。
体が、痙攣している。手のひらを確認してみると、微かに震えていた。
だから、夢だって。震える必要なんてないんだってば。
私は心の中でそう自分に叫び、手の震えを必死に抑えようとした。
でも体は言う事を聞かず、ただずっと震えていた。まるで、体がこれは現実だとでも言っているかのように。
その日の記憶はあまりない。ただいつの間にか自分の部屋にいて、すやすやと泣きながら眠ってしまっていた。