「でさー、昨日ね、彼氏がマジで頭おかしいこと言っててぇ」
「なあ、最悪! 数Aの課題やってくんの忘れたわ。しかも一限じゃん、ガチ終わった」
「夏休み皆で集まる日どうする? やっぱマリが土曜じゃなくて木曜にしたいって言ってんだけど」
 今日も、朝の教室はザワザワと騒がしい。私は一人で、隅っこの自分の席に座っていた。スマホの画面に表示させたmisizukuさんの動画の数々を、ジッと見つめる。
 部屋の白い壁を背景に、アコースティックギターを弾き語りしている動画のサムネ。首から下だけしか映っていないし、季節によって着ている服も様変わりしている。でも、その左手首にはずっと腕時計があった。
 見れば見るほど、misizukuさんの腕時計は深見さんのものと同じように思えて仕方がない。全体的にシルバーなのに、文字盤の数字がローマ数字なことと、針がメタリックな青色だったところは一緒だし……。
 一瞬しか見れなかったけど、misizukuさんの着けている時計と同じな気がする。
 いやいや、でも同じ腕時計を持っている人なんて結構いるかもしれない……。着けていた時計が同じものだったからって、misizukuさんイコール深見さんと結びつけるのはまだ早い……。第一、misizukuさんが時計を着けていたのは四年前だ。今もあの時計を着けているとはかぎらない。
 でも、偶然だと自分に言い聞かせようとしても、私の胸はドキドキと高鳴っている。
 だってもし、深見さんがmisizukuさんだったら……。
「ねえ、月宮さん!」
 頬がゆるみかけたとき、いきなり視界の外から声をかけられて驚いた。顔を上げると、クラスメイトの女子がニッコリと笑って立っていた。栗色に染めたふわふわの長い髪を、紺色のシュシュでポニーテールに結っている。あまり話したことない子だ。と言っても、私はクラスに親しくしてる人はいないからクラスメイトのほぼ全員とあまり話したことがないのだけど。
「あ、えっと……なに?」
「月宮さんさ、夏休み忙しい?」
「え……暇だけど」
「ほんと? じゃあさ、うちらと一緒に海に遊びに行かない?」
「へ?」
 思わず間抜けな声が出てしまった。
 なんで私……?
「いやー、入学してから三ヶ月経つけどさ、うち実はずっと月宮さんと喋ってみたかったんだよね」
 照れた様子の彼女を見て、何だか信じがたい気持ちになる。
 うちのクラスの女子は皆、髪を染めたり、ネイルをしていたり、化粧をしていたりと派手な感じの子が多い。でも私は黒髪だし、化粧もわからない。私みたいな地味女子なんかが、ギャルっぽい子や陽キャなグループに入っても話が合わなくて煙たがられるだろう……と思って、遠巻きに避けていた。そのせいでクラスでの交友関係は希薄になりかけていたのに。
「な、なんで私と喋りたいって思うの?」
「だって、月宮さん目立たないけどよく見たらけっこう美人だし! でも月宮さんクラス会にもほとんど来ないしさ、いつも一人でいるじゃん? 高嶺の花って感じして、だから、話しかけていいのかわかんなかったんだけど、最近はよくニコニコしてるからさ、『そんな顔するんだ!』って思って親近感わいちゃって。勇気だして話しかけてみたの」
「え、私、ニコニコしてた……?」
「うん。スマホ見て音楽聴いてる時とかめっちゃ幸せそう」
 それはきっと、misizukuさんの曲を聴いているからだ。私、他人から見てそんなにあからさまに楽しそうに聴いてたなんて……。自覚がないだけにちょっと恥ずかしくなった。
「で、どう? 夏休みの28日なんだけどさ、遊ばない?」
 明るく誘ってくれる彼女。
 でも、私は返答に困ってしまった。
 行きたくないわけではない。でも、夏休みは家から出してもらえないから、遊びには行けないのだ。
「ごめん。夏休みは暇なんだけど……ちょっと家から出られないっていうか……」
「え? なにそれ!? あ、弟とか妹の世話頼まれてるとか!?」
「いや、そういうのでもないんだけど……」
「やめときなよ、美奈」
 そのとき、前下がりボブの切長の目をした子が鋭い声をかけてきた。
「そんなの行きたくないから適当なこと言ってるだけでしょ。明らかに困ってるし。来たくない人むりやり誘わなくていいから」
 彼女はスマホの画面をいじりながら、去っていた。微妙な空気が流れる。
「あ、なんか、ごめん……」
 彼女は申し訳なさそうな表情になると、サッと私のそばから離れていってしまった。なにか言おうと思ったけど、なんにも言葉は出てこなかった。
 だってまさか、遊べない理由を詳細に述べるわけにもいかない。
 お母さんが、夏の間だけおかしくなっちゃうから、なんてそんなヘビーな家庭事情を説明したら、たぶんドン引きされておしまいだ。
 ちらり、と美奈さんの席のほうを見ると、両手を合わせて「ごめん」と口パクで謝られた。申し訳なさそうに笑っている。ずきりと良心が痛んだ。
 本当は、できることなら私も遊びに行きたい。でも、そんなことをお母さんに言ったらひどく叱られるだろう。わがままを言ってはいけない。夏の間だけ、私ががまんすればいいのだ。仕方ないことなのだ。
 机の下で、スカートをギュッと握りしめた。