ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ。

 少しだけくぐもった目覚まし時計のアラームが聞こえる。私はぼんやりと重たい瞼を上げた。見慣れた、自分の部屋の真っ白な天井が視界に飛び込んでくる。閉じたカーテンからは光の筋がフローリングの床に引かれていた。うっすらと蝉の鳴き声もする。
「……はやく夏、終わんないかな」
 寝起き特有のかすれた声でつぶやき、ベッドから上半身を起こす。
 枕元にあったリモコンを操作して冷房を切った。昨夜は熱帯夜だったので、エアコンをかけっぱなしにして眠ってしまった。ついでに、片耳に装着したままだったワイヤレスイヤホンを抜き取る。
 コンコン、とドアがノックされる。
「水月ちゃん? 起きなさい。……お家にいたいなら、そうしてもいいけど」
 お母さんの声だ。
 私は「行く」と扉越しに短く返事をする。お母さんは「……そう」と少し残念がるように言い、やがてトントンと階段を降りていった。
 今日もまた、憂鬱な一日が始まる。
 パジャマから制服に着替え、リビングへ降りる。台所に立つお母さんは、ニコニコしていた。
「おはよう、水月ちゃん。朝ごはん出来てるからね」
 ダイニングテーブルには、毎朝おなじメニューの朝食が置かれている。
 狐色にこんがりと焼かれた、八枚切りのトーストが二枚。レタスとミニトマトのサラダ。半熟の目玉焼きにカリカリのベーコン。牛乳の注がれたコップ。
「今日は最高気温34度ですって。暑くなるわ。心配ね」
 お母さんは、テレビを見てため息をついた。
 6:45という時刻が左上に表示されたテレビ画面。ニュースキャスターのお姉さんが、あちこちに太陽マークが浮かんだ日本地図を指揮棒のようなもので()している。「午前中から午後にかけて、全国的に厳しい暑さになりそうです」とのことだ。
「ねえ水月ちゃん。水分補給、ちゃんとしっかりしてね。今日も水筒に麦茶いれておいたから持って行って。倒れたら大変なんだから」
「うん。わかってる」
「ほんとにわかってるの?」
 お母さんがいきなり、真剣な声になった。
「お父さんみたいなことになっちゃったら大変なのよ……?」
 お母さんは、カウンターキッチンを隔てたまま、潤んだ瞳になった。
「……大丈夫だよ。ちゃんとしっかり水分取るし。学校には皆もいるんだからさ。万が一倒れても、気づいてもらえるし、もし少しでも具合が悪くなったら、すぐにお母さんに電話するから」
 こう言えばお母さんはきっと安心するだろう、ということがわかっている私。つくりものの笑顔を向けると、お母さんの表情はやわらぐ。
 反対に、私の胸にはモヤモヤとしたものが広がる。
 テレビのニュースでは、「記録的な暑さが続いている今年の夏ですが、皆さんに夏休みの予定を聞いてみました」と明るい声が流れた。
 画面に小さな子供が笑顔を浮かべ、「おばあちゃんちに行って、カブトムシつかまえにいく」と言っているのが見える。親もにこにこと子供に温かい視線を送っていた。
「カブトムシって……。この暑い中わざわざ子供を外に連れ出すなんて。熱中症にでもなったらどうする気なのかしら」
 お母さんはあきれと非難をまぜた声音になる。
 ああ、この調子だと今年の夏休みも、去年と同じ感じに(、、、、、、、、)なるのだろう。
 でもお母さんは、夏が嫌いだから。仕方ない。夏の間だけ、私が我慢してお母さんとうまく付き合えばいい話だ。
 そんな空虚な気分で、トーストにかぶりつく。
 家をでるとき、「絶対、これを差していくのよ。ちゃんと帰りも忘れずに差してね。熱中症になったら本当に大変なんだから」とお母さんは私に日傘を持たせた。
「……ありがとう」
 かろうじて何とか笑顔をつくる。お母さんは「何度も言ってるけど、学校が終わったら寄り道せずにまっすぐ帰ってくるのよ。気を付けてね」と私に言い聞かせた。私はどこか重苦しい気持ちのまま頷いて、「いってきます」と家をでる。通学用のリュックに入れた、麦茶と氷入りの水筒が重たい。