そこまで来て、ようやくクズは自分の胸に額を強く擦りつける女性の名前を確認した。

 女性は――アナは鼻を啜りながら、何度も何度も強く頷いた。

 アナがあまりにも強く身を擦りつけるものだから、クズは自分がアナを吸い込んでいるような――吸い込んでしまいたい、そう願うような感覚に陥る。

 自分でも訳が分からない胸の苦しみに襲われた。

 寂しさとも、嬉しさとも、なんとも形容しがたい。

 ――ただ、全身に波及して染み渡るとても心地良い胸の苦しみだった。

「――……アナっ!」

 なぜ生きていたのか。
 今までどこに居たのか。

 そんな些末な事――今はどうでも良い。

 痺れて震える腕を脳に無理矢理動かさせて、クズはアナを強く抱きしめた。

 最愛の想い人を、強く体内に入れて逃がしたくない。

 それ程までに強く、強く抱き寄せた。

「アナ、会いたかった……! すまない。本当に、すまない! 俺が、俺が約束を裏切ったばかりに! あの時、義妹達の安全も何もかも失ってでも……ッ。それでも駆け付ける覚悟を持てる程、勇気がなくて……本当に、ごめんッ。――ぐっ……ぅ……うっ」

「クラウス。泣いていいんだよ? 私の前では、泣いていいんだよ」

「アナ……ッ。すまない、アナ……ッ! うぅ……あぁ……ぁあッ!」

「クラウス……昔から泣き虫さんだったよね。変わってないね。だから、私も、少し……泣くね?――会いたかった。ずっと、ずっと……っ。ぅ……ぁあ……クラウス、クラウスぅ……」

 二度と会えないと思っていた。
 三年ぶりに感じる温もり。

 二人は強く抱きしめ合いながら、互いに嗚咽をあげながら泣き続けた。
 身体に沈殿していた寂しさや、辛さを全て涙として排出するように。
 悲しみが枯れ果てるまで、ずっと。

 ――何分ほどそうしていただろうか。

 どちらともなく抱擁を緩め、お互いの顔を見つめた。

 三年ぶりに見るアナの顔は粉雪のように白く、不純物など一切無いのではと言うほど美しかった。
 泣きはらした瞼が赤くなっているのが、また男の庇護欲をそそった。

「アナ……どうやって、どこで生きていたんだ……ですか? アレクサンドラ王女は、なんで俺がここにいるってわかったんです?」

 少し落ち着いてくると、疑問が堰を切ったように湧き出てくる。

「――クラウスの唐変木。それと、もう私は王女じゃ無い。敬語は禁止」

 アナは懐からごそごそと何かを取り出すと、クズに手渡した。

「黒毛のかつら……?」

「ウィッグって言うの。この格好とそのウィッグでわかる?」

 アナの来ているメイド服と、見覚えのある艶やかで長い黒髪に、クズは思い当たる節があった。

「昨夜のメイドは、もしかして……っ!?」

「そう、私」

 抗議するかのように胸に額を押し当て、トンっと力なく一度叩く。

「いや、あれだけ顔全体を覆っていたら無理だろう……。体つきだって……」

 最後に会ったのは十四歳の時。
 それから三年経過したアナの体つきは、当時と様変わりしていた。

 上から下までじっくり確認するように見る。

 身長もモデルのようにスラッと伸びていて、服越しに見る胸部も――。

「――いや、これは気付かない俺が悪いな」

「ちょっと待って。今どこ見て言ったのかな?」

「おっぱい。いや、胸板……か?」

「えっち。殴られる準備はいいよね?」

 抗議しながらも、アナはふふっと儚く美しい笑みを浮かべた。

「私は着痩せするタイプ。というより、伯爵の指示でサラシを巻いてるの。人の興味を惹いて目立たないようにって。だから顔も身体も隠してる。……ほんとうは、凄いよ?」

「……そうなのか。そう、だよな。うん、俺が悪かった」

「なんだか、すごく釈然としない反応」

「しかし、伯爵のメイドをしていたということは……」

「……そう。私が牢に囚われている所を、伯爵が奴隷にしたの」

「そう、だったのか……」

 ひとまず命があったのは良かった。

 だが奴隷になっていると言うことは、人としては既に死んでいるように扱われる。