その後、何度かモンスターとの遭遇はあった。

 しかし、行動計画に支障を来す程に大きな問題はなく、残す旅路も半分を切っていた。

 ここまで来ると、今回目指している他国というのがどこか分かった。

 辺りは自然で溢れて人の気配はすっかりなくなり、整備された街道らしい街道もなくなってきた。

 先導する御者が地図をしっかり確認していなければ、あっという間に遭難しそうだ。

 そんな中で道と方向を示す古い看板が立てられていた。

 ――『この先、アナント王国』。

 そう刻まれた看板が視界に飛び込んできた。

「俺達が行くのはアナント王国への道ッすか。懐かしい名前っすね」

 一行が進んだのは、アナント王国方面の道。

 ――『アナント王国』。

 現在ではクレイベルグ帝国アナント領と名前を変えている。

 数年前にクレイベルグ帝国によって侵略され、世界地図から名前を消した国家だ。

 現在でこそ大陸は『セレネル王国』、『ヘイムス王国』、『クレイベルグ帝国』の三つの大国とその庇護下にある国々が勢力を均衡させ、どこの国も迂闊に動けない状況で世界情勢は安定してきている。

 だが、少し前までは乱立する小国同士で領土拡大を巡る戦乱が相次いでいた。

 そんな戦乱渦巻く中、クレイベルグ帝国に飲み込まれた小国の一つがアナント王国だ。

 アナント王国も一時は第四の勢力に食い込む程の勢いを見せていたが、三つの大国の中でも随一の軍事力を有するクレイベルグ帝国の侵攻で――滅びた。

『ほら、見て。緋色に染まる海と、丘。すごく、綺麗。……幸せ』

『奔放な私を許して、受け入れてくれる。本当に嬉しい――ありがとう』

『絶対、帰ってきてもらうからね』

 声が、影が否応無しにクズの脳内に響く。
 これは、過去だ。
 断ち切るべき、過去だ。

 この道を進んでいるということは、この一行が向かう他国はクレイベルグ帝国でまず間違いない。

 おそらく依頼主のセレネル王国貴族は、帝国領アナント支城にいる貴族――あるいは、クレイベルグ皇帝から領地運営を一任されている領主に要件があるのだろう。

「…………」

 どこまで知っていたのだろうか。

 セレネル王国の飄々としたギルドマスターであるシリに対し、鬱屈とした気持ちを抱くクズの表情は厳めしくなっていた。

 剣呑な雰囲気が辺りを包む。

「義兄様。……大丈夫?」

 マタが心配してクズへ声をかける。

 他の団員は自分たちの団長が何故厳めしい顔つきになっているのか、全く理解できない。

「クズ君、どうかしたのかい? 表情がちょっと怖くて、美しくないよ。笑顔が一番なんだが……何か笑えない理由でもあるのかい?」

 普段適当だったりヘラヘラしている者が、笑っていなかったり怒っていると、猛烈な違和感がある。
 クズの場合は普段の適当さが際立っているため、周囲に与える違和感もひとしおだった。

「――ああ、問題ない。便意を堪えてるだけだ」

「僕の心配を返してくれるかな!? もう馬の上で漏らしちゃえばいいよっ。あ、でも僕の前では止めてくれよ。美しい僕のオーラが汚れてしまうからね……」

 クズの変化に反応し、神妙な面持ちを浮かべていたナルシストが『心配した気持ちを返せ』と苦笑交じりに肩をすくめる。

 その和やかなやりとりで、団を包む緊迫した雰囲気は霧散した。

 内心でクズは『やべぇやべぇ』と自分の感情が制御できなかった事を反省した。

 真の事情を知る義妹のみが、義兄の本心に気が付き複雑な表情を浮かべていた――。

 ――樹木に覆われた山から木々を勢いよくなぎ倒す物音――大地を揺るがす地響き、大きなモンスターの鳴き声が響いてきたのは、そんな時であった。

「なんだなんだっ!?」

「止まれ――ッ! 全員臨戦態勢で待機――ッ!!」

 前方から私兵団の叫び声が響いてきて、隊列は停止した。

「に、義兄様……? これは一体、なにが起きているの?」

 マタが戸惑いの声をあげている間も、モンスターによる戦闘音と思われる破砕音は響き続けている。――なんなら、こちらに近づいてきている。

 クズはみんなにあえて話していなかった危険なモンスターの存在を、まさかと思い浮かべていた。

「い、いやぁ。何だろうなぁ? まぁ、すぐに収まるんじゃ――」


「サイクロプスとキマイラが戦ってるぞ――ッ! 逃げろ――ッ!!」

 ――夢ならばどれほど良かったでしょう。