「自由ってのは、甘美(かんび)な響きだよな。多くの人々が『自由』を求めている」

 一人呟きながら、男は同時に疑問にも思った。

 『自由』とは、一体なんなのか?
 どういった状態を真の『自由』と呼ぶのか?
 大切な者や生きる目的がなくても、『自由』は得られるのか?

 思うに『自由』と『不自由』の形は、人の数だけ異なるのだろう。

 その者にとって一番の幸せが失われたり制約されれば、それは『不自由』な状態だろう。

 籠の中の鳥のように、『自由』なくただ誰かの為に生きているだけの存在になる。

「空は広い。雲は何にも縛られず風の向くままに漂う。空を駆ける渡り鳥は、自分の生きやすい場所に行ける。全く、『自由』ってのは良いねぇ。……なぁ、そっちにも聞こえるか。――俺は今、本当に『自由』なのかな。望んだとおり、翼を広げられてるのかね。それとも……」

 記憶はいつかの空色をまだ上塗りしない。記憶はいつかの緋色(ひいろ)をまだ上塗りしない。

『私には見えるの。繊細だけど、何処にでも飛んでいける力強い翼。自由に空を飛ぶ事が出来る翼』。

 微睡(まどろ)みの仲で、人影(ひとかげ)と炎が脳裏に浮かぶ。
 途端、浮ついていた意識がハッと覚醒する。

 『自由』というのは、総じて拠り所も保証もないのだ。

 そんな未知の大海にも等しき世界に、足を踏み込むのは、心の拠り所となるような大切な何かを失い、行き場も目的も無くした浮浪者(ふろうしゃ)だろう。

 さて、そんな物好きな勇気ある者や目的を見失った浮浪者が集う場があるかと言えば、あるのだ。

 自由を求め集った流浪(るろう)の傭兵団――失落(しつらく)飛燕団(ひえんだん)という一団が。

 朝焼けに染まる野原。
 美しい鳥のさえずり、虫の声。
 清々しい空気。

 朝露に濡れた草木が陽光を反射して、自然が織り成す神秘的な空間を彩っていた。

 そんな穏やかで理想的な朝に――キャンプを張ったとある傭兵一同が織りなす炊事音が草原に鳴り響いていた。

「――肉、食べてぇっす……」

 団員の一人が空腹で腹を押さえ、願望を口にした。

「もうお金がない。我慢して。いざという時の保存食にだけは手をつけたくない」

「――しかし、腹が減ると全体の士気がなぁ。それに食のレパートリーがないと精神まで蝕まれる」

「義兄様がそれを言うのはおかしい。義兄様は対策を考える立場。団長なんだから、当然の責務」

 ――自然の織り成す神秘的な空間には、炊事の音より飢えに苦しむ男女の声が響いていた。

「とは言ってもなぁ……」

 引き締まった細身に、赤のメッシュが混じった黒髪を肩まで伸ばした男が困った表情で応じた。
 左右の腰に帯びた二振りの剣がガシャッと音を立て揺れる。

 団長と呼ばれたこの男――通称クズ。

 左右に交差する剣帯を邪魔しないよう、腰が細く着丈が短い造りの七分丈黒上衣に、インナーは襟首に金の装飾を施した白地のVネックシャツ。
 動きやすくワイドでゆとりを持たせた黒下衣に黒皮のブーツ。
 存在感のある金糸の飛燕(ひえん)が施された紅のストールを腰に巻き、傭兵団の団長らしくワイルドかつ垢抜けた格好に仕上がっている。

 そんなクズはキョロキョロと辺りを眺め、改めて状況を整理していた。

「義兄様……。私、頑張ってやり繰りした」

 (とぼ)しい表情でボブカットの赤髪を揺らし、モデルのようにスレンダーな体型……というと聞こえが良い。
 実際には実年齢より幼く見える、小柄で発育の乏しい女性がクズの上衣をくいくいと引っ張った。

 彼女の名前はマルター・ヴィンセント。通称――。

「マタ……」

 よしよしとクズは彼女の頭を撫でてやる。
 団長であるクズの義妹だ。

 平時は攻撃や回復などの魔術研究や薬品作りへ没頭していることが多く、集中していると寝食を忘れる。
 下手をしたらそのまま死にかける。

「義兄様、実際少々まずい状況。節約していても兵団の備蓄は干上がる目前……。もう給金どころではない……」

「ふむ」

「私が作る薬も、この辺りでは随分需要がなくなってきた。みんな健康になったのは良いこと。でも――この辺りに長居したからか、モンスターの数も急速に減っている。剥ぎ取った素材を商工ギルドに売ることも、取引する事もできない……」

 ちなみに彼女はこの兵団――失落の飛燕団の雑事を担当し、怠け癖があるクズ団長の補佐もしている。

 マタがいなければ『失落の飛燕団』総計四十名は、とうの昔に餓死していただろう。

 失落の飛燕団は傭兵ギルドに所属しており、ギルドからモンスター討伐や護衛など多種多様な依頼を受けている。

 ――だが、常に十分な依頼が舞い込む訳ではない。

 そんな時は野生のモンスターを狩って取れた素材や、魔術師兼薬師でもあるマタが調合した薬を商工ギルドに持ち込んで売り、兵団は収入を得ている。
 マタが調合した薬は効果が高いと評判だ。

「モンスターがいないんじゃどうにもならんな。まあ、肉はあいつの弓で調達できるだろ。あいつの能力なら、半径二キロメートル以内のモンスターは隠れてようと一日で狩り尽くせる。――ん?……あいつはどこ行った?」

「知らない。どうせまたどこかでナンパでもしているはず」

 呆れた表情を浮かべるマタ。

「――子猫ちゃんが、僕のことを呼んだかな?」

「お、いたいた。どこに行ってたんだよ?」

 肩にロングボウを担ぎ、荷物を抱えた高身長で甘いマスクのイケメンが草むらから姿を現した。

 バキバキと音が鳴りそうに筋肉質な身体、ツーブロックの頭。
 厳つい肉体とは裏腹に物腰はやわらかで、キラキラ耀く優しい瞳をしていた。

「ちょっと街まで買い物に出ていてね」

「えっ?――まさか、食糧?」

 トコトコとマタが近寄る。

「ははっごめんねおマタちゃん。今回は違うんだ――ほら、これ!」

 抱えていた袋から、さっと何かを取り出してマタへと手渡した。

「……服と化粧品?」

「そうだよ。おマタちゃんの綺麗な衣服が破れて、疲れた表情をしていたからね。美しい女性に相応しい物を用意してきたのさ」

「……」

 困ったようにクズを覗うマタ。
 どう反応すれば良いのか、助けを求めているようだ。

 マタは研究者気質であり、衣服や化粧に興味はない。

 義兄が気に入ってくれる物なら、ぶっちゃけ何でも良いと思っていた。
 買ってきた物が魔術書や調剤に使う薬品であればまた話は違ったであろうが。

「――お前、これ高かったんじゃないのか?」

「値段なんて、笑顔に比べたら些末なことだよ。僕の傍でこの服を着て、共に煌めいて欲しいんだ。笑顔というのは、何よりも美しい宝石だ」

「ちょっと待って。そのお金はどこから……?」

「ここ数日、夜な夜なモンスターを沢山狩りに出てね。ギルドに引き取ってもらって得た報酬さ。夜闇の中、一人で狩りをするのは危険だったけど、怖くなかったよ。――君たちの笑顔が、待っているからね」

 語尾を強調しながらウインクを決めたのが、飢えて苛立っているのを更に煽った。

「この愚か者、おバカッ!」

 マタの突っ込みが炸裂した。

 突っ込みと言っても、頭を叩くような優しいものじゃあない。

 無表情ながら頬を膨らませ足の指をぐりぐりと踏みしめていた。

「ま、マタちゃん……。ちょっと痛いんだけど、どうかしたのかな?」

「ここらのモンスターが妙に減って――消滅した原因はあなたかッ。ああ、収入減と食糧が……」

「ご、ごめんね? 僕はただ、君たちの笑顔が見たかっただけなんだよっ?」

 オロオロと狼狽える男性。

 クズは男性に向け、ゴミを見る視線をぶつけた。

 女性の笑顔を作るどころか、あきれ顔と泣き顔を作ってしまったこの男性。

 本名をナルシス・ジュアットと言う。

 ――通称はナルシスト。