「ぐぁああああああああああああああああッ!」
「ぁ……ァアアアアアアアアアアアアアッ! 止めろ、爺を噛むんじゃねぇ!」

 鋭い牙のある顎を閉じ――アウグストはかろうじて上半身だけドラゴンの口から出ている状態だ。

(もう我慢できねぇ、十分だッ! これ以上は――爺が、死んじまう!)

 体感だが、全力の精霊術を行使する際の、八割程度の完成度は出せる。
 クズが練っていた魔力を解放し精霊と駆け寄ろうとすると――。

「甘さと油断を捨てろ、クラウスッ!」
「――ッ!」

 ドラゴンの口からはみ出るアウグストが、鬼のような形相を向け叫ぶ。

(今助けに行かねぇと、爺は……ッ!)

 このままでは、アウグストは鋭いドラゴンの牙によって――命を落とす。
 既に牙によって、上体と下体は噛みきられているかもしれない。
 それでもアウグストの瞳は『必ず討てる魔力を練れ』と、救援に向かいかけたクズを咎めている。

(俺は……ッ! 畜生が――俺みてぇなクズを信じきった瞳をしやがって)

 本当は今すぐに駆け出したい。
 己の師匠を咥えているドラゴンを叩き斬りたい。
 だが――。

(……そんな目をされたら、動けねぇだろうが)

 死期が近くて濁っていたはずのアウグストの瞳は爛々と輝き、どこか安堵しているように微笑んでいた。

 『クラウスなら、絶対に皆を救ってくれる』。

 そう言っているようにさえ感じる表情だ。

(そんなに重い期待をかけやがって……最期まで、厳しい師匠だよ。アンタは……ッ)

 解き放とうとしていた魔力を急速に練り直し――精霊を全力の力で召喚できる状態に整えていく。

(――末期の願いに応えられるように、俺の全力で魔力を練ってやろうじゃねぇかッ!)

 振り絞った魔力は存分に体内で練られ、体内の魔力回路を伝っていくのを感じる。
 あとは一気に解放して精霊に魔力を渡すだけ。
 その段になって――ドラゴンに噛みつかれながら、ブンブンと振り回されていたアウグストが懐から何かを取り出した。

「……隠しナイフッ!? ここまで追い込まれて、まだ手札を持ってやがったのかッ!」

 ナイフを大きく振りかぶるアウグストの姿がクズの目に映り――。

「――最後の教えだ、クラウスッ! 老骨の師の散り様、勝ち方……しかとその目に焼き付けろォオオオッ!」
「ドラゴンの右目に――ナイフを突き立てたッ!?」

 ナルシストのように遠くから不意打ちで矢を放つか、あるいは――。

「喰われるぐらい近づかねぇと、出来ねぇ技だ……」

 最初から、それほどの覚悟を持って挑んでいたのか。
 そうクズが戦慄していると――。

「神経毒を塗ってあるッ! コイツは今、目が効かんッ! やれぇえええええええええッ!」

 吐血しながら叫ぶアウグストの言葉で、弾かれるようにクズは――。

「――来いッ! ウンディーネ、サラマンダーッ!」

 風を切って疾走し、大精霊たちの名を呼ぶ。
 限界を超えた魔力枯渇とまでは行かないが、己の残った魔力を全て練り込み召喚した精霊だ。
 クズの回路を通った魔力は、輝く美しい水と猛る炎へと変換され――宙に大精霊が顕現する。

 ――無茶をしよって……っ。師匠の意地、か。
 ――親代わりの意地もあるだろうな。クラウス、俺への仕打ちはチャラにしてやる。

「緋炎を使うッ! 二人とも、俺の中に入れッ!」

 ――無茶じゃ! 今のそなたの魔力では……妾達の力を制御できぬッ!
 ――お前も死ぬ気かッ。今の状態でアレをやれば、自分の身体も焼け焦げるぞッ!

「いいから――やれぇええええええッ!」

 暴れるドラゴンを攪乱するように、大声で叫びながら左右に揺れる。
 そし右側の首辺りで飛びながら――クラウスは双剣を振りかぶり雄叫びをあげる。すると「一瞬だけじゃぞ」、「絶対に死なせんッ」と言いながらクズの体内に入る。

「――俺の師匠を、離しやがれェエエエエエエッ!」 

 双剣に夕焼けに似た――黄昏色に染まる不滅の炎が纏う。
 夜闇を切り裂いて燃える夕焼けは――ドラゴンの角をも叩き折り、首筋から斜めに抉り込む。
 痛みと熱さに呻くドラゴンなど関係なく――硬いドラゴンの骨すら溶かすように斬り進んでいく。

「グ……ァアアアッ!」

 緋炎から自分の身体を保護する魔力も残っていない。
 剣を握るクズの手を焼く緋炎で、むき出しの神経を炙られるような痛みが走る。

「それでも……クズでも、やんなきゃ何ねぇ時があんだよォオオオオオオオオオオオオッ!」

 そのまま断ち切れるかという時――。

「――剣が……持たなかったかッ」

 亡きアナント王がくれた恩賜の剣が――折れた。
 元々、瀟洒に作られているものの名刀とは呼べない出来だった。
 クズが錬金術で様々な鉱物なとで作り出した剣の方が丈夫なぐらいだ。
 魔力で覆わずに緋炎を纏わせ、頑強なドラゴンの骨を断ち斬ろうとすれば、折れて当然だ。

「例え一刀でも、俺は――」

 俺は敵を切り裂く。
 そう言おうとした時、どこからか声が聞こえた気がした。「ワシの剣を使え」と。
 ふと右を見れば――既に生気を失い、再び濁った瞳をしたアウグストがいた。
 ドラゴンの牙に胴を貫かれながらも、左腕を必死にクラウスへと向けている。
 その手に握られているのは――。

「――そうかよッ。二人でやろうってかッ!――あんたの愛剣、少し借りるぜッ!」

 しっかりと握られていたアウグストの剣を右手で受け取り――。

「追加だぁあああああああああッ!」

 緋炎を纏う赫酌の双剣が――再びドラゴンの骨肉へ消えていく。
 鋭い刃で素早く断つと言うより、硬い部分は焼いて溶かしながら進む。
 ドラゴンが必死に咆哮をあげて暴れるが、肉の深くまで切り裂いているクズは離れない。

「終わりだぁあああああああああッ!」

 スッと手応えが無くなると――ドラゴンの首と、下顎の片方がドシンッと地に落ちた。
 ドラゴンのあまりの重さ、そして振り抜いた緋炎の余波で砂塵が宙を舞う。
 砂が目に入りこんで痛み、息を吸っても喉がイガイガとする。