正面入り口は既に閉鎖されていたから、時間外外来の入り口から院内へと入り、総合受付を探す。

廊下のような通路を歩いていると、向こうから車椅子を必死に漕いでいるお爺さんが迫ってきた。

車椅子の後方から天井に向けて伸ばされている棒の先には透明な液体が入った点滴が吊り下げられている。

お爺さんの視界には僕が映っていないようだったから、僕は点滴をぶらぶら揺らしながらこちらに迫ってくる車椅子に轢かれないよう、通路の横にぴたりと背中をつけてやり過ごした。

総合受付を見つけると、戸締りをしようとしている事務員さんがいたから、一応は申し訳なさそうに声をかけておく。

事務員さんは僕の顔を見るや怪訝(けげん)な顔を作ったが、あっさりと大友さんの部屋は5階の外科病棟にいると教えてくれた。田舎の病院特有の隙だらけなセキュリティは聞いたことがあったがまさか本当にこれだとは。

閑散(かんさん)とした院内に漂う空気は、外の世界で感じるものとは大きく異なる。

身体に不具合を抱えた人間が集う場所特有の重苦しい空気と微妙に漂う薬品の香り。それらを日当たりが悪い立地が増幅させ、健常者である僕の気力を容赦無く(むしば)もうとする。

気を紛らわせるために、目的も無くスマホを取り出す。画面を見ると、受信状態を知らせるアンテナが辛うじて1本立つか立たないかの狭間(はざま)を行き来していた。

こんなところにいる方が正気じゃなくなる。

そう思った僕は、これ以上閉鎖された環境では身が持たないと思ったから、エレベーターではなく、階段を使って大友さんの元へ向かうことにした。

息を荒げながら4階まで辿り着く。

各部屋の入り口には、入院者の名札がマジックで書かれていたから、一つ一つ名前を確認しながら奥の病棟へと進んで行く。

4人部屋から個室へと変わっていた。突き当たりまで名札を確認したが、彼女の名前は見当たらない。

ひょっとすると見逃したのではないかと思い階段まで戻ると、さっき来た反対側の方は個室になっていた。

まさかと思いながら同じように名前を追いながら進んで行くと、突き当たりの部屋”大友 栞”と書かれていた名札を見つけた。角部屋とは羨ましい。しかも個室だ。

中学時代に肺炎を患って1週間ほど入院したことがあった。

その時は4人部屋に入院したのだが、向かいのお爺さんと隣のおじさんが睡眠時に大きないびきをかいたり、咳き込んだりしていた。カーテン1枚で仕切られただけの四人部屋の夜間は常にそんな音が響いていたから、案の定ろくに睡眠が取れず、かえって体調を悪化させ、入院期間が2日ほど延びてしまった。

当時は看護師さんに部屋を変えて欲しいと懇願(こんがん)したのだが、無情にも個室がいいなら追加料金が必要だと言われたのをはっきりと覚えている。

この時初めて社会の厳しさを痛感したと思う。泣きそうになった僕を見かねて耳栓を渡してくれたのはせめてもの救いだったが。

当時の様子を思い出すだけでも気分が悪くなってくる。きっと中学生の僕が今の大友さんの部屋を見たら、かなり羨ましがっていただろう。

そんなどうでもいいことを考えながら扉の前に立つ。

控えめに扉をノックする。返事がない。