児童書コーナーから再び入り口の方に戻りって反対方向に進むと、文芸コーナーが並べられている棚があった。

それぞれの棚の端にある”エンド台”と呼ばれるスペースには、注目作家の新刊が山積みされており、その隣には小さな色紙が飾ってある。

油性のマジックで書かれたであろうその文字に目を凝らすと『文化堂書店さんへ』と書いているのまでは分かったが、肝心の名前部分は崩れてよくわからなかった。

殴り書きされているのは作家自身の名前なのだろうが、これでは逆に印象が悪くなってしまうのではないだろうか。

そんな捻くれたことを考えていたのは僕だけのようで。


「作家さんのサイン色紙って格好いいですよね。うちにも置きたいなあ」


小説家を目指している大友さんの目には、(かす)れたマジックで書かれた記号が貴重なものとして写っているらしい。


「サイン色紙ってどうすれば手に入るんですか?」

「うーん、どうだろう。出版社の営業さんに言ってみるとか」


わからないことを有耶無耶(うやむや)に答えるのはよくないと、大友さんのいかにも興味なさそうな反応を見て思った。

すると突然大友さんは品出しをしている店員さんの方へと駆け寄った。


「すみませーん。作家さんのサインって、どうすれば手に入るんですか?」


僕と同い年くらいの女性の店員さんは、予想外のことを聞かれて面食らっている。

見た目からしておそらく大学生のアルバイトという感じだろう。彼女は驚いた拍子にずれてしまった丸縁のメガネを慌ててもとに戻し、申し訳なさそうに訊き返す。


「申し訳ございません。もう一度よろしいでしょうか」

「あのサインって、どうすれば貰えるんですか?」

「あれは展示品なんです」

「えっと、そうじゃなくて」

お客さんだと認識している店員さんと、書店員として質問している大友さん。噛み合っていない会話を聞いていると、こっちまで歯痒(はがゆ)い気持ちになる。


「あたし、かもめ書店で働いている大友栞と言います」


あらためて自己紹介を始めた。名乗れば良いという問題でもない気がするのだが。


「かもめ書店……大友……もしかして、大友栞さんですか⁉︎」

名前を聞いた途端、突然店員さんの目つきが変わる。と言っても、鋭いものではなく、道端で偶然見かけた芸能人に対して向けるそれだ。


「そうですけど」


完全に面食らう役が逆転してしまった。大友さんが反射的に認めると、店員さんは


「わあ!大友さん!うちのお店に来てくださったんですね!」


と、さらに気分を高揚させた。


「……はい?」


ますます状況が飲み込めない。この店員さんはどうして大友さんのことを知っていたのだろう。


「万引き犯を懲らしめた女子高生の方ですよね!」

「懲らしめた⁉︎」「懲らしめた⁉︎」


僕と大友さんは同時に一字一句(そろ)えて叫ぶ。反応するところもきっちり揃っている。