「蒼さん!起きてますか?もうお昼ですよー!」
叫んでいると言っても過言ではない声の主は、再び玄関扉を乱暴に叩く、いや、殴る。
「いるのはわかってます!早く出てきてくださーい!」
こんなに乱暴な奴は一体誰だ。いい大人はそれなりに節度はきちんと弁えている。だからきっと大人ではない。かと言って、子供でもない。しかも女の子。
折角の透明感がある声は遠慮のない大きさに調律されている。
あいつか。声の主は、きっと大友さんだ。
大友さんは先月から通い始めたバイト先の書店に勤める高校生だ。確か将来の夢は小説家だと豪語していたっけ。
初めて会った時、彼女はいかにも体裁的な挨拶をし、以降、積極的に話しかけられることはなかった。
その時僕はどこにでもいる明るく繕っている人種だと捉え、仕事に差し支えない範囲で最低限の接点しか持たないようにしていた。
けれど彼女は僕が文章を書く仕事をしていると知った途端に目の色を変えて纏わりついてくるようになった。そして訊いてもいないのに、将来の夢は小説家なのだと胸を張って言い切り、僕の仕事を教えてくれとせがんだ。
冗談じゃない。
そもそも小説家とライターは全くと言って良いほど違う人種だ。
1度だけ短編小説を書いたことがある。
正直、ライターという仕事を覚え、それなりに稼ぐことができるようになったから、物語も書けるだろうと安易に挑戦した。けれど実際に書いてみると、全くと言っていいほど上手くいかなかった。そもそも使う脳が違う。
物語を創造し、文字に変換して伝える人間と、目の前に起こった出来事を書き連ねる人間。
言葉を使うという共通点はあるが、ただそれだけ。ボールを使うということが唯一の共通点である野球とサッカーくらい違うのだ。彼女も小説家を目出しているのなら、それくらいはわかるだろうに。
億劫に思いながらも玄関の式台に立ち、扉の向こうにいる彼女に言い放つ。
「大友さん、悪いけど今日は仕事があるから無理だよ。この前言ったじゃん」
「じゃあ、いつ教えてくれるんですか」
なるべく迷惑そうにしている声色を作ったつもりだったが、彼女にはまるで通用しない。どうやら大友さんは一方的に物事を進めるのが得意らしい。
「いつって……暇な時だ」
「暇な時って、蒼さんいっつも納期に追われてるって言って、バイト終わったらすぐ帰っちゃうじゃないですか」
「嘘じゃない。今日だってーー」
「あたし、嫌なんです。何かと理由を付けて言った事をなかったことにされるの」
こちらが言い返そうとすればするほどに勢いが増すところが、誰かに似ている。
彼女はどうしてそんなに必死なのだろう。
このままでは怪獣大友に扉を破壊されかねないから、仕方なく扉を開ける。
「わかった。じゃあ来週のこの時間は必ず開けておくようにする」
「本当ですか?絶対ですよ!」
ビジュアル的にもう少し控えめにしていれば可愛いのに、なんて口が裂けても言えない。彼女は容姿とは似つかわしくないほど大胆に右手を握り締め「っしゃあ!」と歓声を上げた。
肩に掛かりそうなほどの長で切り揃えられた髪はいかにも健康そうな艶を放っている。
整った顔のパーツの中でも、特に目立つ彼女の大きな瞳は、喜怒哀楽をしっかりと表現するのに役立っているようだ。
美人に分類されるであろうその容姿と幼気なその振る舞いは、クラスで人気を集める才能を持ち合わせているに違いない。誰かに似ていると思った。
「大友さん、学校は?」
「あ、えっと……実は今日休みだった、とか」
「そっか」
平日の真っ昼間になろうとしているこの時間帯に、制服こそ着てはいるものの、こんなど田舎をふらついている大友さんが気にならなかったわけではない。
ただ、余計なことは訊かないと決めていたから、僕は適当に相槌を打って流した。
「どうして僕の家がわかったの?」
「簡単です。蒼さん、バイトの時に新田町に住んでるって言ってたじゃないですか。だから直接新田町に来て、その辺を歩いているおばちゃんに聞き込みました」
「聞き込みって、そんなので僕の居場所を見つけたの?」
「新田町は絶滅しそうな勢いで廃れてるので、その辺の人に若い人が引っ越して来ませんでしたかって訊けば、すぐにわかりますよ」
個人情報というものはないのだろうかこの街には。なんて思ったが、なるほど確かにそうかもしれない。
隠れ家のように見つけた場所だったが、反対に人口が少ないこの土地では目立ってしまっていたらしい。
「でも、さすがに一方的に押しかけてくるのはやめてくれ。教える気がなくなる。あと、大友さんは、言い方にも気をつけた方がいい。文章の勉強をしたいんだろ。まずはそれからだ」
得意げな顔をしている彼女に腹を立てた僕は、わざと皮肉を込めて叱った。
これくらいのことを言ってもすぐに一蹴されるかと思ったが、僕の予想は外れた。彼女は表情を一瞬凍りつかせ、その次にはしっかり泣きそうになった。
生まれて今まで顔色を伺いながら生きてきた僕は、それが偽りなのか真実なのかはすぐにわかる。戦略的にではなく、本心からそうしている。僕はようやく言い過ぎたことを反省した。
「あ……ごめん……なさい」
表情通りの言葉が返ってくる。
素直さを見せつけられて、僕はまた後悔する。