「いない、と思う」


意志の弱い僕は、一ノ瀬さんを否定したくないと思ったから、語尾をぼかして誤魔化すだけにとどめる。


「ですよね。変なこと言ってすみません」

薄暗い本棚が続く通路を眺める一ノ瀬さんは、ロッカールームへと向かう足取りを早める。今度は僕が彼女の後ろを付いて行く。

ロッカーの扉を開け、上着と鞄を取り出す。代わりに着ていたエプロンを雑に畳んで突っ込み、扉を閉める。

いつもならわざわざ他の人を待つことなんてしないのだが、なんとなく後味が悪かったため、幽霊話を引き戻す。


「一ノ瀬さんは、幽霊を見たことがあるの?」

「……あるって言ったら、引きますか?」


反対側にある女子用ロッカーの方から、自身のなさそうな一ノ瀬さんの声が聞こえる。


「引きはしないよ。ちょっとびっくりするけど」


幽霊を見たことがあるということにではなく、一ノ瀬さんがこんな発言することに対してだが。


「その、よければ詳しく教えてくれないかな」

「……でも、変な奴だって思われたら、わたし、この先高倉さんと顔合わせ辛いです」

「思わないよ」


一ノ瀬さんはロッカーの向こうでしばらく考えている。

(かす)かに聞こえる(うな)り声は、きっと本人は出ていることすら気が付いていないだろう。

沈黙の時間が二十秒ほど流れてから、一ノ瀬さんは反対側の通路からようやく姿を現し、小さく「わかりました」と言った。

ベージュのロングコートを羽織り、肩には本革のショルダーバックを掛けている彼女はエプロンをつけている時と比べて大人びて見える。

お店の外に出ると、十分に冷やされた空気が僕らの身をぎゅっと縮まらせた。落ち葉が風に飛ばされ、カサカサと音を立てて僕らの前を通過する。

雨や台風の日には、駅から歩かなければいけないこの距離に嫌気がさすこともあるが、この時期、この時間帯に歩く帰宅路は存外悪くない。

僕らは言葉を探しながら浜岡駅へと()を進める。


「寒くなってきたね」

「はい。少し前までこおろぎが鳴いていたんですけどね」


力んだ割には自然と出てきた言葉に一ノ瀬さんがちゃんと反応してくれたからよかった。彼女と一緒にいると、時間の流れがゆっくりになるような気がする。

しばらく歩いていると、一ノ瀬さんが口を開く。


「高校二年の夏休みに、叔父さんの家に遊びに行ったことがあって」

「叔父さんって、地元で田舎暮らしをしている人だっけ」

「はい。そこでしばらく男の子の幽霊と一緒に過ごしてたんです」

「すごい経験だね」

「引いてませんか?」

「大丈夫、引いてない。でも、どうして幽霊なんていたんだろう。そこで昔誰かが亡くなっていたとか?」

「はい。実はその男の子の幽霊は、わたしが小さい頃に亡くなった幼馴染みで、わたしの命を救ってくれた恩人でもあるんです」

「……え?」


そう言うと、突然一ノ瀬さんは立ち止まり、右手の腕を(まく)った。