小さい頃から読書家だというわけでもなければ、製造現場の仕事は頭よりも身体を使う仕事が多かった。
そんな僕が、今こうして文章書く仕事ができているのは奇跡に近いし、諸刃の剣でもある。
「そんなことないわよ。私の知り合いにも似たようなお仕事をしている人がいてね。ねえ、沙希ちゃん!」
郁江さんは必死にノートパソコンを睨んでいる一ノ瀬さんに言った。
彼女は肩をびくりと動かし、恐々と僕らの方を向いた。
後ろで縛っていた髪はすっかり下ろされ、肩元で内側に巻いている。呼びかけに驚いたそぶりを見せるのは、書店で働く時も変わらないから、きっと彼女の癖なのだろう。
撮影や接客をしていた時に醸し出していた緊張感は、もう無くなっているように思える。
こちらに向けられていたノートパソコンの画面をちらりと覗いてみると、写真加工用のソフトで海猫堂の店内写真を加工している最中だった。
「沙希ちゃんの知り合いに、ライターさんがいなかった?ほら、あの元気な人」
「えと、茂さんのことですか?」
彼女が自然に話に加われているのは、きっと作業をしながら僕達の話を耳に入れていたからだろう。
「そうそう。沙希ちゃんの叔父さんだったわよね」
「叔父さん?」
僕の問いかけに、一ノ瀬さんは落ち着いて答える。
「はい。元々都内の広告代理店で勤めていたんですけど、今は独立して地方の情報誌や本を出版しているみたいです。あと、田舎で民泊も経営しています」
「えっ、そうなんだ」
気になったのは、田舎でも民泊でもなく、地元に戻ってきたということ。都内の広告代理店ということは、エリート街道を突き進んでいたはずだ。そんな人が、どうしてわざわざ仕事を辞めて地元に戻ったのだろう。
とは言え、見ず知らずの他人が脱サラした動機なんて、気になっても訊けるものでもない。
郁江さんに同業者のように言われていい気分もしなかった。別に茂さんという人間に嫌悪感を抱くとかではなく、ただ、僕なんかが肩を並べるのはおかしいというか、おこがましいと思った。
そんな僕の遠慮を一ノ瀬さんは知ってかしらずか、田舎で民泊をしていることについて掘り下げ始めた。
「地元で古民家を借りて住んでいたみたいなんですけど、広すぎるからって空いた部屋を宿泊施設にしちゃったんです」
「行動力がすごいね。できる人って感じ」
「全然そんな風には見えないですよ。マイペースでちょっと抜けてるおじさんっていう感じです」
そう言って、一ノ瀬さんは僕に控えめに作った笑顔を向ける。
能ある鷹は爪を隠すと言う言葉のように、仕事ができる人や自信がある人ほど隙があるように振る舞う。
それだけならいいのだが、もちろん逆もまた然り。
できない人ほど立場や権力に頼って横柄に振る舞うのだ。それが見苦しいのは言うまでもなくて。そう言う人間を、嫌と言うほど見てしまった。
「さて、ちょっと早いけど、そろそろ閉店の準備をさせてもらうわね。もちろんお店が終わるまでゆっくりしていってちょうだい」
「郁江さん、わたしも手伝います」
閉店時間の9時には届いていなかったが、店内には僕達しかいないため、郁江さんは少し早めに店仕舞いを始めた。
その大雑把さも含めて、このお店と郁江さんという人間のよさなのだろうと解釈し、あらためて別世界の人間だと線引きをしておく。
結局僕はブルーベリーケーキに手を付けながら、閉店まで2人を観察して過ごした。
カウンターでお会計を済ませてからお店を出ようとしたら、郁江さんと一ノ瀬さんは、わざわざ店の外まで見送りに来てくれた。
一ノ瀬さんは「またバイト先でよろしくお願いします」と言い、僕に頭を下げる。
外に出ると、現実世界に引き戻されたような気がした。名残惜しいと感じたのか、僕は電車内で、海猫堂で味わった暖かな雰囲気の余韻に浸った。
そんな僕が、今こうして文章書く仕事ができているのは奇跡に近いし、諸刃の剣でもある。
「そんなことないわよ。私の知り合いにも似たようなお仕事をしている人がいてね。ねえ、沙希ちゃん!」
郁江さんは必死にノートパソコンを睨んでいる一ノ瀬さんに言った。
彼女は肩をびくりと動かし、恐々と僕らの方を向いた。
後ろで縛っていた髪はすっかり下ろされ、肩元で内側に巻いている。呼びかけに驚いたそぶりを見せるのは、書店で働く時も変わらないから、きっと彼女の癖なのだろう。
撮影や接客をしていた時に醸し出していた緊張感は、もう無くなっているように思える。
こちらに向けられていたノートパソコンの画面をちらりと覗いてみると、写真加工用のソフトで海猫堂の店内写真を加工している最中だった。
「沙希ちゃんの知り合いに、ライターさんがいなかった?ほら、あの元気な人」
「えと、茂さんのことですか?」
彼女が自然に話に加われているのは、きっと作業をしながら僕達の話を耳に入れていたからだろう。
「そうそう。沙希ちゃんの叔父さんだったわよね」
「叔父さん?」
僕の問いかけに、一ノ瀬さんは落ち着いて答える。
「はい。元々都内の広告代理店で勤めていたんですけど、今は独立して地方の情報誌や本を出版しているみたいです。あと、田舎で民泊も経営しています」
「えっ、そうなんだ」
気になったのは、田舎でも民泊でもなく、地元に戻ってきたということ。都内の広告代理店ということは、エリート街道を突き進んでいたはずだ。そんな人が、どうしてわざわざ仕事を辞めて地元に戻ったのだろう。
とは言え、見ず知らずの他人が脱サラした動機なんて、気になっても訊けるものでもない。
郁江さんに同業者のように言われていい気分もしなかった。別に茂さんという人間に嫌悪感を抱くとかではなく、ただ、僕なんかが肩を並べるのはおかしいというか、おこがましいと思った。
そんな僕の遠慮を一ノ瀬さんは知ってかしらずか、田舎で民泊をしていることについて掘り下げ始めた。
「地元で古民家を借りて住んでいたみたいなんですけど、広すぎるからって空いた部屋を宿泊施設にしちゃったんです」
「行動力がすごいね。できる人って感じ」
「全然そんな風には見えないですよ。マイペースでちょっと抜けてるおじさんっていう感じです」
そう言って、一ノ瀬さんは僕に控えめに作った笑顔を向ける。
能ある鷹は爪を隠すと言う言葉のように、仕事ができる人や自信がある人ほど隙があるように振る舞う。
それだけならいいのだが、もちろん逆もまた然り。
できない人ほど立場や権力に頼って横柄に振る舞うのだ。それが見苦しいのは言うまでもなくて。そう言う人間を、嫌と言うほど見てしまった。
「さて、ちょっと早いけど、そろそろ閉店の準備をさせてもらうわね。もちろんお店が終わるまでゆっくりしていってちょうだい」
「郁江さん、わたしも手伝います」
閉店時間の9時には届いていなかったが、店内には僕達しかいないため、郁江さんは少し早めに店仕舞いを始めた。
その大雑把さも含めて、このお店と郁江さんという人間のよさなのだろうと解釈し、あらためて別世界の人間だと線引きをしておく。
結局僕はブルーベリーケーキに手を付けながら、閉店まで2人を観察して過ごした。
カウンターでお会計を済ませてからお店を出ようとしたら、郁江さんと一ノ瀬さんは、わざわざ店の外まで見送りに来てくれた。
一ノ瀬さんは「またバイト先でよろしくお願いします」と言い、僕に頭を下げる。
外に出ると、現実世界に引き戻されたような気がした。名残惜しいと感じたのか、僕は電車内で、海猫堂で味わった暖かな雰囲気の余韻に浸った。