チャットツールから文章データと納品完了のメッセージを送り終える。画面の時計を見ると、時刻は8時半を過ぎていた。


「お疲れさま。よかったら召し上がって」


画面を閉じて軽く伸びをしていると、店主の郁江さんがケーキを一切れ机の上に置いてくれた。


「いいんですか?」

「売れ残りで申し訳ないんだけど」


柔らかな笑みを向けられると、断ることなんてできやしない。


「ありがとうございます」

「毎日熱心ね。大学生さん?」

「いえ……」

そう訊かれると、いつも答えるのに躊躇(ちゅうちょ)する。

学生でもなければ、勤め人でもない。しかし無職かと言うと、一応は働いているためそうではないとも言える。

ではフリーターなのか。開業届は出しているからそれも違うような。自分が社会で中途半端な位置にいることを、まざまざと痛感する。

今のように文章の仕事をしていると考えると、自営業をしているとも言えなくもないが、それだけの収入では生きていけないのも事実だ。

今は書店でも働いているが、所詮はアルバイトの立場。ライターとしての収入が得られない時の保険としているに過ぎない。

いずれにせよ、今の立ち位置では、怪我や病気で仕事ができなくなれば、あっという間に無職へと変わる。

悩んだ挙句、僕は自分の面子(めんつ)を保つ意味と、相手がわかりやすい職業をという意味で、


「自営業です。文章を書く仕事をしてて……」


と言った。自信が無い時は、語尾の歯切れを悪くしがちだ。


「あら、もしかして作家さん?」


まるで芸能人にでも遭遇したかのような郁江さんの表情に、僕はますます気まずくなる。もっとも、この流れも想定内ではあるが。


「ええと、ウェブライターと言って、企業のサイト内などにある文章を書いたりしています」


今まで作家ではないと言うことを告げた途端に怪訝(けげん)な顔をされることもあった。そしてそんな顔をされると、なぜか僕の方が申し訳なく思う。

けれど郁江さんは、まるで子供のように目をきらきらさせながら、


「へえー!あなたも!やっぱり文章が書ける人って格好いいわよね!」


なんてことを言った。あなたもって、どなたも?


「いやいや、誰でもできることなので」


この言葉には、謙遜(けんそん)と事実の両方を含んでいる。

日本人の識字率(しきじりつ)はほぼ100パーセントであるため、この仕事は誰でもやろうと思えばできる。確かに構成の仕方や読みやすさを意識した書き方など、いくつかテクニックは必要ではあるが、どれもたいしたことではない。