「うちは家系的に好きなことをできる雰囲気ではなくて。父も、長男も、いまだにいい顔はしてないんだ。そんななか、母は俺が絵を描くことを唯一応援してくれていた人だったから。肯定してくれる人がいなくなったのは、大きいかな」
たしか春永家は、由緒正しい華道のお家元だと聞いたことがある。
ユイ先輩が華道をやっているところは一度も見たことがないし、花を生けているイメージもないけれど、そうか。裏側では、そんな家の問題を抱えていたのか。
「まあ、だからね。今の俺って、ただのでき損ないなんだよ」
「っ、そんなこと」
「あるよ。モノクロ画家、なんて言われてるけど、実際はそうじゃない。俺の世界は黒でも白でもなく、いつも灰色で。それしか描けないだけだから」
淡々と言葉を紡ぐ先輩は、不思議なほど落ち着き払っているように見えた。
悲しい話なのに、こちらにまったくそう感じさせない。それはきっと、先輩自身がその悲しさを自覚していないからだ、と私はひそやかに息を呑む。
「でもね、俺はこの灰色の世界、わりと嫌いじゃないんだ」
自分の前髪をちょんと指先で摘んで、ユイ先輩は肩をすくめた。
「この髪も、本当はずっとこの色にしたかった。俺の見えている世界に、俺自身が浮かないように。まあ、中学のときは頭髪制限があって染められなかったんだけど」
そのとき、ちらりと視界に飛び込んできたチョウチンアンコウ。ぎょろりとした目と視線がかち合って、思わずビクッとしてしまう。
私と手を繋ぎながらも一歩ほど前を歩く先輩には、幸いにも気づかれていないようだった。美しい緩急を描く横顔からは、むしろなんの感情も読み取れない。
「実際、そうして廻る世界が俺には嵌まるんだと思う。俺が画家として評価されるようになったのって、皮肉にもモノクロの世界を描き始めてからだし」
「っ……」
「それまでは、少し上手い程度で誰からも意識されなかったのに。本当、この世って結構むごいよね。ときどき、馬鹿らしく思えるよ」
脳裏に、一枚の絵が過ぎる。
それは何度も何度も繰り返し目に焼き付けた、私にとって特別な絵。
けれど、その絵を描いた本人は、きっと私が今どんな思いでユイ先輩の言葉を聞いているのか考えもしないのだろうな、と思う。