ユイ先輩は有無も言わさず踵を返した。とんでもなく機敏な動きだ。
 普段ののんびりとした先輩は見る影もなく、私も愁も呆気に取られるしかない。
 やがて電話を終えて戻ってきたユイ先輩は、かたわらに置いてあった私の鞄を持つと「荷物これだけ?」と訊いてくる。
 いつにも増して無表情なのに、不思議と怖いとは感じない。

「あ、はい。でも、教室に画材が……」

「その調子じゃ絵も描けない、というか、描かないで休まないとだめでしょ。すぐタクシー来るはずだから、とりあえず校門まで行くよ」

 心なしか早い口調で言い切り、ちらりと棒立ちしている愁を見る。

「……小鳥遊さん、弟くんが背負っていく? 俺でもいいけど」

「っ、おれが背負う!」

「わかった。じゃあ、俺は荷物持つから。弟くんのも貸して」

 ユイ先輩は素早く二人分の荷物を取り上げる。
 指示されるままわたわたと私を背負った愁は、しかしすぐさま我に返ったように動きを止め、憎々し気に先輩を見上げた。

「あんた、なんで……」

「ん?」

「なんでそんなに、姉ちゃんに構うんだよ」

 ユイ先輩は突然の敵意にも動じず、わずかに眉をひそめただけだった。

「……理由が必要?」

「っ、なんも知らないくせに……!」

「こら、愁! いい加減にしなさい!」

 私は思わず声を荒らげる。
 耳元で叫んだせいか、愁はビクッと肩を揺らして黙り込んだ。やりきれないように唇を引き結ぶ様子は胸が痛むけれど、今のはあきらかに愁が悪い。

「謝って、愁。そういうのはよくないよ」

「……嫌だ。絶対、謝んない」

「愁……!」

 ユイ先輩は険悪な雰囲気に包まれる私と愁を見比べて、すっと目を細めた。

「……君は、俺のことが嫌い、なのかな」

「っ、嫌いだよ! 嫌いに決まってるだろ! おまえが姉ちゃんを取ったんだから!」

「愁っ!」

 ふたたび声を荒らげたそのとき。
 ドクンッ、と心臓がひどく歪で嫌な音を立てて、強く胸を突いた。
 形容しがたい衝撃が走り、全身が大きく揺らいだ。
 中心から外側へ、激しく波渡るように感覚が鈍っていく。同時に襲ってきたのは、各所の痺れ。まずい、と思う間もなく、愁の背中から滑り落ちそうになる。

「あ、ぐ……っ」

 そんな私をまたもや受け止めてくれたのは、ユイ先輩だった。

「姉ちゃん!?」

「っ、小鳥遊さん?」