「玉ねぎと豚肉でしょ、あと鶏肉もいるよね」

 夕飯を済ませた私達は部屋に戻り、瑠衣は買い物リストを作っていた。丸テーブルの前に腰を下ろし、時折視線を天井に向けながらメモ用紙に次々と食材を書き込んでいる。

 先程食べ終えた食器を返却口へと直していた時、再び葉山くんとばったりと出くわして、ついでだからと私達はその場でバーベキューの計画を練った。日曜日の午前中に私達も含め十人程度で買い出しに繰り出し、お昼過ぎからバーベキュー開始で夕方頃に解散するという流れになった。そして、葉山くんは男子だけに伝えるのは面倒だからと、クラスメイト達全員にバーベキューの計画を伝える役も買って出てくれた。 

 葉山くんとまさか一日で二度も話せるなんて思ってもみなくて、部屋に戻ってからも私はずっとふわふわしてる。気を落ち着かせる為にも、課題へと向き合うことにした。 

 イーゼルに絵を立てかけて。絵筆を手にして。夕陽を染めて。キャンパスの中に色を落としていく。頭の中を揺蕩う記憶はイメージとなり、パレットとキャンパスの狭間におとされる。

 昔から絵を描いてる時間が好きだった。
 何者にも縛られず、時間という概念を忘れる。私は絵と向き合う時、初めて自由になれる。 

「よし、出来た!」

 自分の世界から現実への帰路を余韻に浸りながら歩んでいると、ポケットを通して身体に振動が伝わってきた。ふっと意識が現実に舞い戻る。 

 携帯を取り出すと、一件のメッセージ が届いていた。宛先は父からで、いつ頃こっちに帰ってこれるのかという内容だった。

 画面の中に浮かぶ文字は、普段は極力考えないようにしている現実を唐突に私の喉元に突きつける。まるで鋭利な刃物かのように。

「三回忌か……」

 消え入るような声でぽつりと呟く。私は、忘れていた訳ではなかった。父からの連絡が来る前から私の頭の中では未だにその時の悲しみが大部分を占めている。普段はそれをみないように、考えないようにしているだけで。

「ねぇ瑠衣、まだ起きてる?」
「起きてるよ、携帯でマンガ読んでた」
「私来週こっちにいないかも。」
「えっなんで?」
「お母さんの三回忌もあるし、お墓参りもしたいから二日くらいは学校休んで実家に泊まると思う…」

 私はそう言い切った後、言葉をつぐんだ。膝を抱きかかえるようにして手を回し、額をそれにくっつけて身体を縮こませた。 

 室内に沈黙が降りる。夜の帳は降り、辺り一面真っ暗だというのに、私達の部屋は賑やかな程に白熱灯が明るく照らしてる。その小さな歪みが余計に私の心を痛めた。母にまた会いたいという気持ちが、ぽっかりと空いた穴から滲み出し心を埋め尽くしていく。 

「美咲のさ、お母さんはどんな人だったの?」 

 瑠衣の声が聴こえ顔をあげると、優しげな笑みを浮かべ見下ろすようにして立っていた。壁を背もたれにし腰を下ろした瑠衣は私の膝に手を置いた。

「ほんとに明るくて優しい最高のお母さんだったよ。私達仲が良すぎて姉妹みたいだって人から言われてたくらい」
「そっか。お母さんが亡くなって今も寂しい?」

 私は小さく頷く。側にあった枕を抱き寄せ、もう触れることすら出来ない母に想いを寄せる。

「そりゃ寂しいよ。でもね、お母さんが最後亡くなる直前に言ったの。私は幸せだったって。だから……、笑ってって。私……に笑顔で見届けてほしいって……言ったの」

 無理だった。 

 もう、抑えきれない。  

 ずっと抑え込んでた感情が心の中で溢れかえり、行き場を失ったそれが滴となって私の目から溢れた。

「お母さんに……また会いた……い」

 嗚咽を洩らし、手のひらでどれだけ涙を拭っても私の頬に作られた二つの道筋は乾くことがなかった。涙が、もう抑えられなかった。 

「きっとお母さんは本心でそう言ったんだよ」

 肩に手が触れた。そう感じた時には私は瑠衣に身体を抱きしめられていた。

「亡くなる寸前で嘘なんかつかないじゃん。幸せだったのも本当だし。美咲に笑って欲しかったのも本当だと思う。だから、美咲はお母さんの分まで笑顔で生きてあげなくちゃ。幸せになってあげなくちゃ。」

 いつもそうだ。なんで瑠衣は私の心が一番求めてるであろう言葉を、優しく手渡してくれるんだろう。

 私の心に闇が満ち始めると、いつもひかりを射し込んでくれる。  

 顔をあげると、瑠衣の人差し指が目元に触れて涙を拭い去っていった。

「ね?」 

 瑠衣はそう言うと、溢れんばかりの笑顔を私に向けた。

「ねぇ美咲、明日デートしよっか」

 唐突な発言に思わず瑠衣の顔をまじまじとみてしまう。

「なによ、デートって」

「明日は土曜日だし学校休みじゃん。だから、バーベキューの前夜祭っていうか、美咲を励まそうの会というか、なんかそんなの」 

「なにそれ?馬鹿みたい」

 私がそう言ったあと瑠衣が吹き出すように笑ったその瞬間、私もつられるようにして笑った。無意識だった。──あれ、私今笑った?そう認識するまでに数秒かかって、遅れて感情が溢れかえった。目の前にいる瑠衣も目を大きく見開いており、私と同じくらいに驚いた様子だった。

「美咲……、やっと笑ってくれた」
 つぅっと、瑠衣の頬を涙が伝う。
「うん、私やっと笑えたみたい……。」
 言いながら、思った。この二週間の間、笑うことも、笑い方も思い出せなくなってしまった私の傍にいつもいてくれたのは瑠衣だった。陽だまりのような笑顔を浮かべ、私の心が闇に覆われる度にひかりを差し込んでくれたのも瑠衣だった。もしかしたら、私以上に瑠衣は私が笑えるようになることを望み、待っていてくれたのかもしれないと。

「……瑠衣、ほんとにありがとう」
 だから、この言葉を口にした。

 まだ出会って二週間と少しだけど、瑠衣はいつも悲しみの淵に立つ私に手を差し伸べてくれる。瑠衣が私と同じ高校に編入してくれて良かった。今は心からそう思う。

 私達はその後も夜が明ける少し手前の時間まで話し込み、起きてから近くの商業施設に繰り出すことにした。

 静寂と暗闇が満ちる中、私達の部屋は外からどんな風にみえたのだろうか。

 きっと、どの部屋よりもひかり輝いてみえたはずだ。それくらい私達は尽きることのない話に笑顔を咲かし、その瞬間をひかり輝くように生きていたのだから。