受験の天王山と言われる夏休みももう折り返し地点。塾が受験に向けての目標にと計画した模試もすでに2回終わっている。あとはマークと記述のセット模試を残すのみとなっていた。

 この模試の結果をもって、最終的な志望校を絞る。
 場合によっては科目の変更や絞り込みもあるが、ここまではすべての科目に対応するように対策する。

 それが塾の先生と決めた侑人(ゆうと)の受験プランだった。侑人は「国立じゃないと行かせられない」と親からキツく言われている。姉の音大進学、弟の野球留学でうちには特に何の取り柄もない二番目(ぼく)をお金のかかる私立大学に行かせる余裕はない。かと言って自分でお金を工面してまで行きたいと思えるような進路もない。

 「どーしよっかなー。」

 あらかじめ私だけ渡された最後の模試の受験カードを見つめながら侑人は川面(かわも)を見つめていた。通常、当日の朝渡される受験カードを前もって渡したということは、それだけよくよく考えて来い、ということだと思っていた。
 午前中は塾に行って、自転車でこの河川敷で来て黄昏て。それからカフェなり図書館なり、その日の自習場所に行くのが夏休みのルーティンになっていた。

 「侑人おつかれ!」

 ピンクのロゴTシャツに切りっぱなしジーンズのハーフパンツ。恵美だ。

 「お疲れ。今日も部活?」

 「うん! 夏休みが終わったらコンクールだからね。ここで頑張っておかないと、進路と両立できないから。」

 恵美は吹奏楽部で最後の全国大会をかけたコンクールが9月に迫っていた。初夏には引退する運動部とは比べものにならないしんどさがあるのだろうと付き合ってから知った。

 「ってかそれ、明日の模試じゃん! ウチも受けに行くよー。」

 「え、マジ?」

 恵美は塾には通わず、幼稚園から続けているらしい通信ゼミで受験対策をすると言っていた。だから、塾の模試を受けるなんて思ってもいなかった。

 「席近いと嬉しいなぁ。志望校どうするの?」

 「え、それは…。」

 決まってない。と言うのは僕のプライドが許さなかった。恵美にとって僕はエリートが集う特進クラスのできる彼氏くん、のはず。目標なんて何もないヒョロヒョロくんだとは思ってほしくなかった。

 「私、東燈大学! 大学も一緒に行けるといいね。」

 「そうだね。東燈大学か…。」

 「じゃあ私、午後の練習あるから、またね!」

 恵美は自分の言いたいことだけを言ってまた学校に帰ってしまった。
 本音を言おうにも偽りの自分を語ろうにも、先に言われてしまってはどうしようもない。東京の私立大学に一緒に行きたいと一方的に宣言されて、国立にしか行けない事情も、特に目標もない事情も話す隙すら与えられなかった。
 今日はこの受験カードに書く志望校問題にケリをつけないと次に進めない気がした。
 もう悩んでいる猶予は全くないところまで時は迫っている。

 背中を一筋、汗がしたたり落ちる。朝は曇っていたから今日は日焼け止めを塗っていなかった。肌が弱く、太陽にあたると真っ赤になってタコのようにほてってしまう。
 慌てて自転車を押して橋の下の日陰を目指した。河川敷は川べりなだけあって、日陰になると涼しさを感じられる。それでいてあまり人が来ないから、1人で考え事をするにはもってこいだった。自転車を近くに停め、川っぷちの虫がいなさそうな舗装されたところに腰を下ろす。天然水のペットボトルを飲んで、受験カードを見つめながら、ひたすら志望校について考える。
 受験カードを見つめて30分ほどたった。もちろん結論は出ない。少しでもいい成績を取りたいのに、これでは全く勉強できないまま明日を迎えてしまう。それは困る。
 受験カードを一旦、白いトートバッグにしまって、気分転換に単語帳を読むことにした。苦手な古文単語。英語は気合いで読めるところもあるけれど古文単語は知らないとその問題を丸々ドブに捨てることになる。少しでも記憶に留めておかないと。

 水の匂いがする風でページがめくれないようにしっかりと左手で単語帳をつかむ。

 「やあ、久しぶり。」

 背後から花の匂いをまとって声をかけて来たのは夏美(なつみ)さんだった。二歳年上の幼なじみ。
 家が近所で昔はよく遊んだけれど、大きくなるにつれて疎遠になり、僕が高校生になってからは別な高校だったこともあって疎遠になっていた。

 「お久しぶりです。」

 「あら、いつの間に敬語使えるようになったの? あら単語帳じゃない。勉強する気になったんだぁ。」

 「年上の女の人にいつまでもタメ口で生意気言っていられないですよ。明日模試なんです。」

 「模試? 侑人が模試を受けるなんて、時の流れは早いね! まあ私が20歳(はたち)になるくらいだから、侑人は高校3年生か。」

 「夏美さんは今大学生ですか?」

 「うん。実家からY大学通ってるよ。」

 Y大学はここから一番近い国立大学だ。学部によっては偏差値もやさしめ。夏美さんはしれっと白いシャツの袖をまくりながらより涼しさを感じる橋側に移動してしゃがみこむ。

 「高校3年生なら、彼女とかいないの?」

 頬杖をつきながらグサっと聞いてくる。侑人はこっくりとうなづいて返事する。

 「えー、あの侑人に彼女かぁ!! 可愛いの? 写真は? 写真!」

 携帯に入っていた先週末のドーナツデートの写真を見せる。「可愛いじゃん」と言ってもらえた。

 「大学行っても付き合うの?」

 「いや、それは…。」

 気づけば自分の事情を夏美さんに話していた。恵美は東京の私立大学に僕と一緒に行く気でいること。僕は親から国立しか無理と言われていること。そして目標も特になく、志望校がちっとも決まらないということ。

 「というわけなんですよ。」

 「ふーん。」

 夏美さんはただただ聞いてくれた。そう、恵美にもこういうふうに聞いて欲しかったんだ。

 「彼女が諦めて侑人が行けそうな国立に行くか、侑人が気合い入れて、そのトウトウ大学? 行く学費をバイトで稼ぐか。あとは折衷案で侑人がトウトウ大学の近くの国立に行くか。」

 「3案は無理です。2案も1案も。東京の国立大学なんて今のレベルじゃとても目指せません。私立大学の学費なんてバイトじゃ賄え無さそうだし、彼女、恵美がせっかく決めた目標を変えてもらうのも、違う気がするし…。」

 ここまで選択肢は出切っているのに、それを恵美と話すことができなかった。夏美さんにならこんなにするする話せるのに。

 「で、どうするの?」

 夏美さんのまっすぐな視線が侑人に向けられる。暑さからか少し顔が赤らんできた。

 「どうするって…。」

 「決めなきゃいけない時期でしょ? 彼女とトウトウ大学か、近くの難しい国立か、彼女にトウトウ大学を諦めさせるか。」

 彼女と付き合い続けるなら選択肢はそれしかない。でも、どれも今の状況にはマッチしていない。

 「それとも…。」

 夏美さんは一呼吸おいて続けた。

 「それとも、私とY大学通う? 彼女が帰省してきたらいつでも会えるじゃない。」