「よし、いい感じ」
毎朝、鏡の前で小さく呟く。本当の私の顔を隠すためのとびっきりの笑顔で。誰にも嫌われないために。


3年前の小学4年生の冬。
「美音!宿題忘れちゃたから見せてくれない?」
そう、友達の梨香に頼まれ私は、
「自分の宿題なんだから自分でやりなよ」
と、断ってしまった。
そのことをきっかけに私は梨香から嫌われたのだろう。変な噂を流され、みんなに無視をされ、友達なんていなくなった。酷いときには、みんなからバスケットボールの授業でわざとボールを当てられたり、作図の授業でコンパスや定規を隠されたりした。鉛筆が筆箱に1本もないなんてこともあった。それから私はもう、誰も信じられなくなった。
それと同時に家庭では、父の弟に対する暴言暴力が絶えなくなった。父は何故か本当に弟が嫌いらしい。弟を守れない罪悪感と、私もいつか同じ目に遭ってしまうのではないかという恐怖でとても苦しかった。
そして、私はいつからか学校でも家でも嫌われないように、常に仮面を被って生活するようになった。それはとても辛いことだった。誰も信じられず、相談も出来ない。そんな自分がどんどん嫌いになっていった。


“今日も平和に終わりますように”
マスクをしながらそう願って家を出る。中学一年生が終わろうとする3月の朝はまだ少し肌寒い。学校に着いて、教室に入る。
「おはよう!」
そう話しかけてくれたのは同じクラスの葉菜だ。葉菜は背が低くて声が高く、とても可愛らしくて、クラスの妹的存在だ。そして、私と同じ吹奏楽部に所属している。
「おはよう!」
私も元気な声で挨拶を返す。私は葉菜と仲がいい。でも、葉菜の前ですら、本当の自分を見せたことは一度もない。葉菜の相談に乗ることはあるが、自分から相談したことはないし、葉菜が友達だと思っていないかもしれないと思ってしまい、葉菜を友達と言ったこともない。私は怖がりすぎなのだろうか。そんなことを考えながら、葉菜とどうでもいい話をしていると、朝の会が始まった。それからいつものように一日が過ぎていき、帰りの会が終わった。短いようで私にとっては長過ぎるくらいだった。ずっと笑顔でいると、思っているより疲れる。次々に部活に行くクラスメイトたちを見ながら、そんなことを考えていると
「どうした?」
と、クラスメイトの輝くんに声をかけられた。
「大丈夫、、、だよ、、、?」
私は戸惑いながらそう答える。クラスでも人気のあるの輝くん。普通に話すが、特別仲がいい訳でもない。なぜそんな輝くんが私に話しかけてきたのか不思議でたまらなかった。
「なんか美音、珍しく暗い顔してるからさ。何かあったのかなって。」
気を抜いてしまった。確かに最近自分のことが嫌いで、よく考え事をしてしまう。それが態度に出てしまっていたのだろう。
「なんにもないよ。めっちゃ元気!!」
そう、その場を笑顔でやり過ごし、本当のことを言えない自分がまたさらに嫌いになった。

部活も終わり、家に帰って自分の部屋に入り鍵を閉める。ここからは仮面を外せる時間だ。スマホを手に取り、開いてみると、誰からかメールが来ていた。誰だろうと思い、見てみる。するとそこには、、、
「ひ、輝くん!?」
私は思わず叫んだ。昔連絡先を交換したのをすっかり忘れていた。そして、内容を見ると
『あんな顔して大丈夫な訳ないだろ』
と、いう文字が。
私はいつものように
『大丈夫だよ笑』
と打って、送信した。その時の私は笑っていなかった。嘘をついた自分がまた嫌いになった。


次の日。
いつものように鏡の前で笑顔の練習をしてから家を出る。そして、学校に着いていつも通り教室に入ろうとしたその時だった。
「美音ってさ、いつもいい子ぶってるよね」
「それなww」
「なんかムカつくよね〜」
「わかる〜」
そんな会話が聞こえてきた。
「えっ、、、、」
思わずそんな声が出て、頭が真っ白になった。誰が話していたのかは分からない。分かりたくもなかった。泣きたくないのに涙が溢れてきてもう無理だと思い、誰も居ないであろう北校舎へ向かった。そして必死に階段を走り、いつの間にか4階の北校舎の一番端の教室、音楽室に来ていた。誰もいない音楽室は音楽の授業の時とも部活の時とも違う雰囲気で少し寂しいが、とても落ち着く。一生ここに居たいと思った。あんな陰口を聞いてしまったからにはもう教室には戻れない。いや、戻りたくない。今までずっと仮面を被って我慢して生活してきたのに、嫌われてしまったらそれらが全部水の泡だ。努力はやっぱり報われないんだと思った。もう、生きる意味はないと。そして、窓の外に目を向けたとき、私はふと、こんなことを思った。
“ここから飛んだら全て終わりにできるのかな”
体が自然に動いて、気がつくともうベランダにいた。
“死にたい”
そう、本気で思った。
“死んでしまおう”
そう思って、柵に脚をかけると
「な〜にやってんの?」
後ろから声が聞こえてきた。
「輝くん?!」
そこに居たのは輝くんだった。
「美音が泣きながら階段走ってるから何事かと思って追いかけて来たらやっぱりそういう事か。俺で良ければ話聞くけど」
あの姿は誰にも見られて居ないと思ったが、輝くんには見られていたらしい。
「別に大丈夫だし」
いつものように答える。
「大丈夫な人は大丈夫っていわないんだぜ。なんでも話せ」
輝くんの優しさに、私は全てを話した。
ずっと仮面を被りながら生きてきたこと、過去に虐められていたこと、嫌われるのが怖いこと、家では父から弟への暴言暴力が耐えないこと、陰口を聞いてしまったこと、もうどこにも居場所がないこと、自分が嫌いなこと、もう死にたいと思っていること────
初めてこんなこと人に話した。輝くんは私の話を否定せず、優しく聞いてくれた。涙が止まらなかった。
「美音は嫌われないために仮面を被りながら生きてきたのか?」
「うん、、、」
「でも、他人に嫌われなくても自分に嫌われたらもっと嫌じゃないか?」
ハッとした。私は嫌われたくなくて、仮面を被り続けてきた。でも、いつでも自分には嫌われていたのだ。その事に今気づいた。いや、気づかせてもらった。
「俺は美音の仮面の下知って、美音のこともっと好きになったけどな」
「えっ?」
突然の告白に困惑した。
「俺さ、美音のこと好きだったんだよね。いつも優しくてさ。でも、、、」
「でも?」
「俺、一個だけ美音の嫌いなところあってさ」
「どこ??」
「自分に優しくないところ。美音はさ、みんなに嫌われないようにしてきたことかもしれないけど、それが俺にとっては嫌なんだ。ほら、人って一人一人感じ方が違うだろ?人からどう思われてるかなんて考えたってわからない。だからさ、、、」
「うん」
「ここで死ぬんだったら、これから俺のために生きてよ。俺の好きなありのままの美音で。誰に何を言われようと、俺が守るからさ。陰口言う奴なんかより、俺の事考えてよ」
私は生きる意味を見つけられたような気がした。輝くんの言葉はとてもあたたかく、私の心に刺さった。
「キーンコーンカーンコーン」
朝の会が始まるチャイムがなる。
「遅刻しちゃう!」
そう叫んで、2人で音楽室を出る。朝涙を流しながら一人で上がった階段を、今、笑顔を振りまきながら輝くんと2人で下る。今の私は仮面を被らず、心から笑えている。これから、輝くんと切り開いて行く未来は、きっと、とても鮮やかな世界だろう。
本当の、ありのままの自分で。