使用人に教えてもらって来た本屋さんは城下町1番の蔵書を誇ると言われるだけあって、どこを見回しても本、本、本。
 本棚の横を通過するたびに真新しい紙の香りが鼻をくすぐって、今すぐにでも手近な椅子に座り込んで読み始めたい欲求に駆られてしまう。
  いや、ダメだと自分に言い聞かせ、店の奥の方に置かれたFの棚まで足を運ぶ。そして本を読みだしたい衝動と格闘の末に辿り着いた、他よりも背の低いその棚はロマンス小説の読者にとって魅力的な本棚だった。
  ユラが人気作家なのよと教えてくれてからどハマりした、私達もお気に入りの作家、ニコ=スミス、リラ=フランソワの作品が全冊揃っているのはもちろんのこと、彼女達と並んで人気があるという、私達姉妹はまだ一度も手をつけていない作家、シェリー=ブロットの作品は一段全てを埋めていた。その他にも、まだロマンス小説を手にとって日の浅い私が見たことのない名前がたくさん並んでいる。それだけで今日、この場に来て良かったと思えるのだから物語というのはなんとも偉大なものである。
 ミランダと約束した、ニコ=スミスとリラ=フランソワの新刊の他にシェリー=ブロットの、1冊完結の作品を手に取ると会計へと持っていった。
 3冊の入った袋を腕に抱えて、馬車への最短ルートを歩いていると、ふと前方にあの男の姿が目に入る。ここまで来ると、何の因果があるというのかと神様に問うてみたくなってしまう。
 空を見上げてため息を吐いた後で、そっと方向転換を図ったのだが、すでに遅かったようだ。エリオットは大型犬のように凄まじい速さで私の元へと駆け寄ると、バッと頭を下げた。
「先日は失礼なことをいたしました。……後であれは失礼だったと同僚に叱られまして……」
「はぁ……」
 ならばこうして話しかけるのを止めて、何もなかったことにしてくれないかと思う。
「それで、その……せめてもの償いにクレープをご馳走させていただければと思いまして……」
「クレープを?」
「以前お会いした時に食べていらしたのでお好きなのかと」
「クレープは好きですが、以前も申し上げました通り、ただぶつかっただけですし、どうかそこまでお気になさらないでください」
「ですが……」
 ここまで食い下がられると目の前に対する男への嫌悪感や苛立ちよりも、どうすればこの縁を断ち切れるのかと考えてしまう。こうも毎回毎回出会っては問答を繰り返すなど、時間の無駄でしかない。特に今日は早くこの場を切り上げて、物語の中へと浸りたいのだ。けれどここでエリオットに気にするなと伝えたところで同じことの繰り返しだ。ならば彼の望む通りの謝罪を受け入れた方が手っ取り早いのではないか。そんな考えに至ってしまうなんて、きっと私は疲れているのだろうか。

「……わかりました。クレープ、奢ってください。本当にそれで全部チャラですからね?」
「はい!」
 はぁと息を吐いて承諾すると、エリオットはキラキラと目を輝かせる。何をそんなに喜んでいるのか、私には全くもって理解ができない。だが彼にとって、『騎士』としてのプライドというものがあるのだろうことは確かである。
 お腹は減っていないのだが、美味しいクレープが食べられて、さらに彼に絡まれなくなるのなら喜んで奢ってもらうことにしよう。ここは前向きに考えることにした。
 お馴染みとなったクレープ屋さんでいつものようにチョコバナナクレープを頼む。私に渡して終わりかと思えば、なぜかエリオットも並んでベンチに座ってチョコバナナクレープを頬張る。そして今日も今日とて制服姿の彼の顔をチラリと眺めて、先程から疑問に思っていたことを口にする。
「あの……お仕事はいいんですか?」
 すると彼は途端に右へ左へと視線を動かしてから「大丈夫です」と口にした。おそらくは勤務時間中なのだろう。
「そうですか」
 だが私はそれ以上は食いつかないことにした。
  だって隣のエリオットは美味しそうにクレープを食べているから。城下町で初めて出会った時の彼は、クレープを踏みつけたことで私の中での好感度を地の底まで下げた。
 だが今の彼には好感が持てる。少なくともあの時は何か事情があったのだろうと水に流してしまってもいいと思えるほどには。
  自分でもなんともチョロイと思うが、頬に生クリームを付けながら、クレープを口いっぱいに頬張るエリオットを恨むことはないだろう。きっとあの時のクレープだって水に流してくれるはずである。ならばこれ以上、敵対心や嫌悪感を持つ必要などないのだ。スッキリと晴れ渡る気持ちになった私は、奢ってもらったクレープにかぶり付きながら久々にこの味を楽しむのだった。