我が子を3人とも送り出して、不自然なほどに静かになった屋敷でふとエリオットと2人で屋敷に残るのは11年ぶりかと思い出す。
 まだあの子達は10歳で、カナンだってお嫁に行くのは5年も先のことだ。けれどいつかはこれが普通になる時が来るのだろう。そう思うと気が早いことに今から寂しくなってしまう。それこそエリオットのように嫁に出したくはないなんて、言いはしないけれど思ってしまう日が来るんだろうな……。
 
「……ユタリア、久しぶりに一緒にクレープを食べに行かないか?」
「いいですね!」
  こうしてエリオットが外出に誘ってくれるのも、きっと子どもが小さい今のうちだけである。

「はぁ、やっぱりクレープは美味しい……」
 やはりクレープといえば、エリオットと町で初めて出会ったこの店である。来るのは6年ぶりだが、口いっぱいに頬張った瞬間から甘さがジンワリと体に染み込んで来るこの美味しさは相変わらず健在である。
 
「そう、だな」
  こんなに美味しいクレープを手にしているのに口をつけようとしないエリオットの表情はまるで曇り空のようだ。
 エリオットから誘ったのに食べないなんて、何か言いたいことでもあるのだろうか?
 屋敷の中では言いづらく、この場ですらも言い澱むような……。ここに来る前、リガードから何か耳打ちされていたようだし、彼はエリオットが私に何か言いたいことがあるって知っていたのかしら?
  リガードが絡んでいるとなるとあまり嫌な予感はしないけれど、今日に限ってあの子達が行くのはリガードのお屋敷ではなく、ブラントン屋敷だったのだ。
 生クリームを程よく溶かす出来立てホカホカのクレープの手を止めることはしないが、何かあると勘繰りたくもなる。
 チラチラと横を確認しながら食べ進め、結局エリオットがそれに口をつけるよりも私が食べ終わる方が早かった。
  あったかいうちが一番美味しいのに、みすみすベストタイミングを逃すなんてなんとも勿体ない。
 しびれを切らした私はついにエリオットに切り込むことにする。
「エリオット様、何かあるなら話してくれませんか?」
 言ってくれなきゃわからない――と。
 けれど言うつもりがないのならないでいいと逃げ道も作って。
 
「ユタリア、その……」
「はい」
「旅行に行かないか?」
「いいですね! あの子達も大きくなりましたし、セロイは聖地巡りに行けなかったことを気にしているようですから」
「そうではなくて、その……2人で。新婚旅行、行かなかっただろう? その代わりにと思って……。私はリューバルト海の近くがいいんじゃないかと思っているんだが……どうだろうか?」
「え?」
「子ども達も大きくなったし、2、3日なら実家であの子達の面倒を見てくれるっていってたから……」
  恥ずかしそうに顔を赤く染め、エリオットの声は次第に小さくなって行く。
 
 セロイがこの話を聞けばなんか、自分はダメって言われたのに、私達が彼を置いて旅行に行ったと知れば頬を膨らませるどころじゃ済まないだろう。今度はお母様大嫌いって言われるかもしれない。
 けれど実はずっと、私は新婚旅行に憧れていたのだ。
 リーゼロット様とライボルトが新婚旅行で訪れた場所の写真を見せてくれたのだが、中でも透き通ったような蒼が広がる海には一度行ってみたいと思っていた。……もちろん、エリオットと。ロマンス小説のように砂浜でかけっこなんて恥ずかしいけれど、浜辺で並んで日の出を見られたら、きっと綺麗なんだろう……と。想像して思わず顔が熱くなっていくのを感じる。クレープを食べる振りをして、真っ赤になってしまった顔を俯かせる。
「ダメか?」
「いえ、楽しみです……」
「そうか! 良かった!」
 私の返事に、エリオットは眩しいくらいの笑みを浮かべる。最近は目を潤ませている顔ばかり見ていたが、彼には笑みがよく似合う。そう思うのはきっと私が彼に惚れているからなのだろう。

 帰ってから私達2人で旅行に行くことを子ども達に告げたところ、三人揃ってエリオットにガッツポーズを向けたのだった。
「やったね、お父様」――だそうだ。
 それからエリオットに話を詳しく聞いてみれば、どうやらリガードはもちろんのこと、ライボルトとリーゼロット様、はたまたミランダにまでこの事を相談していたのだと言う。知らなかったのは私だけだったのだ。仲間外れにされていたことにぷうっと頬を膨らませている私をエリオットは後ろから優しく抱きしめてくれる。
「色々とプランは練ってあるんだ。楽しみにしていてくれ」
 そんなこと言われたら、機嫌を直すしかないじゃないか! 頬は膨らましたまま、胸の前で交差されるエリオットの手をペチペチと叩く。
「期待、しますからね?」
「ああ!!」
 私とは対照的にいい笑顔を浮かべるエリオット。そんな彼に三人の子ども達はタタタと近づいてくる。そしてキラキラとした目を向けてはしゃいだ声を上げる。
「お父様、お土産忘れちゃダメだからね? 楽しみにしているんだから!!」
「あ、ああ」
 おそらくエリオットはお土産を約束することで2人の旅行を勝ち取ったのだろう。なるほど、それですんなりと送り出してくれるという訳か。それならセロイが怒らなかったのも納得である。
 一体何を約束したのかしら? とエリオットの方に視線を向ければなぜかそこには真っ赤に顔を染める彼の姿があった。
 これはさすがにおかしい。エリオットとて抱擁で赤くなるほど初心ではないはずだ。これは何か、おそらく『お土産』という言葉に何か隠されている違いない。
「エリオット、後で話は聞かせてもらうわよ?」
「ああ……」

 真っ赤に染めた顔を両手で隠したエリオットに「すまなかった」と謝られたのはその夜の事だ。まさかお土産が「弟か妹」だなんてよくもそんな約束をしてくれたものである。
「なんでそんな確約できないことに頷いちゃったんですか……」
 呆れる私にエリオットは怒られた子犬のようにしょぼんと肩をすくめ、そして小さな声でポソリと呟いた。
「私だって欲しいと思っていたんだ……。落ち着いたし、いい頃合いかなって……」
 潤んだ瞳でこちらを見上げるのは反則ではなかろうか……。エリオットってば、どこでこんな技を覚えてくるのだろうか。こんなの、受け入れるしかないじゃない。
「子どもは授かりものですから、出来なかったらその時は、その時はちゃんとエリオット様があの三人の機嫌をどうにかしてくださいね?」
「ああ! それはもちろん!!」


 ――私達はこの数カ月後、約束通り、リューバルト海近くの街に旅することになる。

 エリオットが無事、子ども達との約束を果たせたかどうかは……また別の話である。

                                              完