ミランダに愚痴るまでモヤモヤを抱えていた私はといえば、誰かに打ち明けられたからか気分はスッキリとしている。元よりエリオットへの怒りというよりも初めての出産への不安な気持ちの方が多かったからというのも大きいのだろう。今では、やはり悩みは抱え込むもんじゃないな〜と紅茶をすすりながら、用意してもらったクッキーをもしゃもしゃと1人で楽しめるほどだ。
 やっぱりミランダのお手製クッキーは美味しい……。
 妊娠がわかった私のために乳製品抑えめで作ってくれるなんて優しい妹である。後で少し持って帰ってもいいか聞いてみよう。エリオットとは遠慮なく意見を交わし合えるような仲ではないが、美味しい甘味を分け合いたいと思えるような仲ではあるのだ。
「やはり髪や瞳の色、男女かもわからない状態ですと、この2色がベストかと……」
「白かクリーム色、ねぇ……。メジャー過ぎないかしら?」
「王道ですし、間違いはありませんわ」
「やっぱり産まれてからじゃないと最適なものは選べないのね……。なら何パターンか作っときましょう! どうせ産まれてくる子どもは1人じゃないんだから、作っといて損はないわ!!」
「ちょっと待って、ミランダ」
 指で挟んでいたクッキーをひとまずコースターの上に置いて、熱心な相談会を繰り広げる彼女達の話に割って入る。私だって本当は邪魔をしたくない。が、これは聞き捨てならないのだ。
  「どうせ1人じゃないってどういうことかしら?」
  確かにエリオットは最低でも男の子は2人欲しいと言っていた。つまり2人以上の子どもは欲しいと。確かに今、私のお腹にはエリオットの子どもがやって来てくれているが、子どもというのは授かりものである。欲しいからと言ってそう簡単に出来るようなものではない。それに今は2人欲しいって言ってくれているけれど、その気持ちだっていつまで続くか分からない。別にエリオットの気持ちを疑っている訳ではないのだ。ただこうも準備万端だと思われるのは何というか……非常に恥ずかしい気持ちになってしまうというか……。
「だってお姉様を深く愛していらっしゃるあの方がお姉様との間の子が1人で満足するはずがないでしょう? こうして私との時間が少なくなってしまうのは悲しいですけど、お姉様の子をこの手で抱ける日が来ることはあの方に感謝していますわ」
  ――がなぜだかミランダの目には大家族となる未来が見えているらしい。いや、この子の場合、子どもが一人だろうと構わず大量のベビー服を作ろうとすることだろう。なんといっても初姪か初甥である。私もミランダの子が生まれるって聞いたらきっと同じくらいはしゃぐことだろう。だが受け取る側としてはそんなにいっぱいもらっても困るもので、私はミランダをどう説得して止めるべきか、必死に頭を働かせる。
  あまり強く突き放したら可哀想だし、でもあまり多くもらっても仕方がないし……。
「えっとね、ミランダ。私とエリオットは、その……」
 いまいち説明が浮かび上がってこない私と、言葉の続きを待っていてくれているミランダ。
 そんな好きな作家の新作を前にしたみたいな爛々と輝いた視線を向けられるとドンドン答えに詰まっていく。なんとも言えぬプレッシャーから背中に汗がつたったその時、救世主が舞い降りた。
「ミランダ様、お話中失礼いたします」
「何かしら?」
「フィンター様がいらっしゃいました」
 私にとっては救世主だが、ミランダは婚約者であるフィンター=ランドラーの名前に表情を曇らせる。
「確か今日は訪問の予定はなかったはずだけど?」
「近くにいらっしゃったため、とのことです」
「近くに来たから、ね。これで何度目よ……。はぁ……。今行くわ。お姉様、もっとお話ししたかったのですが、申し訳ありません」
 関係性は悪くないが、積極的に関わりたくもないところは私がハリンストン屋敷にいた頃から変わらずのようだ。しかし以前のフィンターなら、近くに来たからなんて理由でミランダの元を訪ねるなんてことはなかったはずだ。それもミランダの様子からして何度も、である。
「仕方ないわよ、早く行ってあげて?」
 ミランダは気乗りしないようだが、フィンターの気持ちは私が最後に彼と会った時と変わっているのかもしれない。人の気持ちというのは案外短期間で変わってしまうものだと私は知っている。だからフィンターが、近い将来私の大事な妹と結婚する彼が少しでもミランダを愛してくれていればいいと願うばかりである。
「ありがとうございます。ベビー服は出来次第、そちらの家にお送りいたしますね」
「ええ、楽しみにしているわ」
「はい!」
 また今度ねとミランダとの抱擁を交わし、私は待たせているブラントンの馬車へ、そしてミランダはフィンターの元へと向かう。
 どちらも玄関先なので、帰りがけに少しだけ2人の会話が聞こえてしまう。
「いらっしゃいませ、フィンター様。今日はどのようなご用件でしょうか?」
「たまたま近くを通ったので、ミランダの顔を見ていこうと思いまして」
「光栄な話ですがお忙しいフィンター様のお時間を取ってしまうのは申し訳ありませんわ」
「そんなことは……」
「婚約者だからとそう頻繁に足を運ばれずとも、お忙しいのは承知しておりますから」
 わざわざ振り返らずとも、ミランダの顔は社交モードの凝り固まったものだろう。言葉からもこれ以上踏み込んでくるなというようなハッキリとした拒絶が見て取れる。楽しそうに針子と商人と共に服を考えていた時間を中断させられたミランダは虫の居所が悪いのだろう――と思っていたのだがどうやらそうではないらしい。
「ミランダはいつも僕のことばかり気にして自分のことなど二の次で……。僕は君が我慢してはいないかと心配でたまりません」
 どうやらミランダはいつもこんな態度らしい。大方、読書の邪魔をされたことがあるとかだろう。食べ物の恨みと、睡眠妨害の恨みと並んで読書妨害の恨みは恐ろしいものだ。
「フィンター様、私のことはどうかお気になさらずに」
「ミランダ……!!」
 だがそれ以上にここまで拒絶が通じない相手というのも恐ろしい。フィンターってこんなに打たれ強かったっけ? 記憶の中の彼はいつだってミランダに必要以上に関わってこなかった。こんなに拒絶されれば簡単に身を引いて、そして必要な時だけ婚約者として隣に立つ。そんな男だったはずだ。私が不在の間、何かあったのだろうか?
 振り返った先で目に入ったミランダの顔からはほんの少しだけ仮面が剥がれ落ちていた。素顔から見えるのは『呆れ』であったが、家族以外にミランダが素を見せることはほぼない。そのことを考えると私がこの屋敷を去ってからの一年と少しで彼らの関係は変わったといっても過言ではないだろう。
  今はまだミランダにとっては婚約者よりも姉とその子どもの方が優先順位は高いみたいだが、きっと2人はいい関係を築けるだろう。今度帰った時は私が愚痴を聞く番かもしれないわ。その時は姉として、そして先輩としてじっくり話を聞いてあげなくっちゃ!
 不安が吹き飛んだだけでなく、ミランダの変化を垣間見ることが出来た私は、安心して一時帰省していた実家を離れるのだった。

「あっ! ミランダにクッキーもらってくるの忘れちゃった」