「ミランダ。あのね、とっても言いにくいんだけど、こんなに多く選んでもらってもまだ男の子か女の子かもわかっていないから……」
 お抱えの針子と商人をここぞとばかりに呼びつけたミランダは、まだこの世に生を受けてすらいない子どもの服について熱心に相談を交わしている。私がハリンストン屋敷に一時帰省してからわずか一時間もせずに勢ぞろいした彼らだが、もうかれこれ数時間もの間、休むことなく会議を続けている。それこそ一番の関係者である私が聞いているだけでも疲れてしまうほどだ。――とはいえその原因を作ったのは間違いなく私なのだ。だからこそ、声をかけるのはあくまで控えめにとどまっている。
「お姉様、私は産まれてくるのが男の子でも女の子でも構いませんわ! ブラントン家の御令息と違って」
 ミランダは『ブラントン家』をやけに強調する。私も一応、そのブラントン家の一員なんだけどなぁ……。本没収騒動の時はエリオットと歩み寄ったかのように思えたが、そうでもなかったらしい。その証拠にミランダは未だにエリオットの、私の旦那様の名前を呼ぼうとしない。その理由には思い当たる節はある。あれからエリオットと私は驚くほどに距離が近くなった。おそらくそのことに嫉妬しているのだろう。私も中々にシスコンの自覚はあるが、ミランダもミランダでお姉ちゃんっ子なのだ。ずっと仲の良かった姉が取られて寂しい気分なのだろう。
「まぁ……ほどほどに、ね?」
「はい!」
  ミランダは任せて! と言った様子で力強く返事を返すと、再び針子と商人と顔を付き合わせてやれこの生地がいいだの、このデザインがいいだのと意見交換を再開した。

 こうなったのはついミランダに愚痴を零してしまったせいだ。
 お医者様に『奥様の腹の中にはお子が宿っております』告げられた時、私はエリオットがボソッと「女の子だといいのだが……」とつぶやいたのを聞いてしまったのだ。
 一般的に貴族の家で産まれる子どもは、跡取りの問題などの関係から男子が望まれることが多い。だがエリオットは長男ではないため、ブラントンの家を継ぐことない。実際、長兄や次兄と違い、本家からは少し外れた場所に屋敷を構えて暮らしている。だから跡取り問題を抱える予定のない我が子を、女の子がいいと彼が望むことに意義などないのだ。
 
 ――彼が初めから女の子を望んでさえいれば。

 ブラントンは騎士の家系で、何度かエリオットのご両親やお兄様とお会いさせてもらった際に、子どもは男子を! と強く願われたのだ。もちろん男女の産み分けなど出来るわけがない。その時は軽く流していたのだが、その後エリオットから最低でも男の子は2人欲しいのだと彼の思い描く未来の家庭図を聞かされた。だからいつかは男の子が生まれて来てくれれば……なんて考えていた。
 
 なのに、女の子がいいなってどういうことよ!!
 確かにミランダみたいに可愛い女の子が生まれてきてくれたらそれはもう溺愛する気しかしない。けれどブラントンから男の子と期待されている私に言う言葉ではないだろう。板挟みになる私の気持ちをもっと考えてはくれないか!
 そんな苛立ちを、ルンルンと子どもが生まれるのを首をを長くしているエリオットにぶつけられるはずがない。私だって、別に彼にも悪気があって言ったことではないことくらい分かっているのだ。大方、同僚や先輩の家に女の子が生まれて、その女の子が可愛らしかったとかそんな理由だろう。それにエリオットのことだからきっとどちらの性別の子が生まれても可愛がってくれることだろうと心配はしていない。
 だが少しは気を使ってくれとは思うのだ。
 相手がデリカシーをゴッソリと母親のお腹の中に置いてきてしまったライボルトなら、その襟ぐりを掴んで抗議できただろうに……。
 別にライボルトと結婚したいとは思わないのだ。ライボルトとリーゼロット様はいい夫婦になるだろうと陰からはみ出しながら応援したいと思っている。だが2人の関係が時々、羨ましく思えてしまうのだ。
 まさか貴族のご令嬢の見本であったはずのリーゼロット様が本の感想の交わし合いであんなに声を荒げるなんて……。初めに見た時、私は幻でも見ているのではないかと自分の目を疑ったほどである。エリオットが「また今日も行くのか?」眉間にしわを寄せようが、子どものように頬を膨らませようが、ひと月に一度ほどのペースで2人のお茶会もとい歓送会に参加させてもらうのだが、あんなことを毎週末しているなんて、なんと羨ましいことか!
 あれくらい遠慮なく相手と語り合えるなんて……。私とエリオットでは到底あんな関係になれそうはない。なにせエリオットは本をあまり読まないのだ。これは素の自分をさらけ出して誰かと交流する時のツールでもあった『本』という共通の話題が封じられてしまっていることを意味する。もちろん彼も全く読まないという訳ではない。読んだとしても歴史や経済、兵法に関するもので、私が読むものとは全くジャンルが違うのだ。あの騒動以来、私が望んだ本は全て贈ってくれるエリオットだが、彼と本について話せる日は来そうもない。これは由々しき事態なのだが、解決方法が見当たらない。けれど私はもっとエリオットのことを深く知りたいと思うのだ。ライボルトとリーゼロット様みたいに何でもさらけ出せる様な仲になりたい……と。
 もちろん、共通の話題がまるでないという訳ではない。スイーツについては色々と話すこともある。だが内容といえば、いつだって『これが美味しい』だの『この食感が堪らない』だの似たようなものばかり。その他と言えば社交界のことばかり。お互いを知るために話を広げたいのだが、そもそも相手のことを知らなすぎるのである。
 だからこそ、こんな時に苛立ちを相手に打ち明けることが出来ずにいる。
 でもそうしたいって言うのはただのワガママなのかしら、ね?――なんて幸せ絶頂期を迎えている上に、読書仲間でもある2人に相談できる訳がない。だからと言ってまだ結婚もしていない妹にこんな話を相談するのもどうかと思いつつも、ついつい聞き上手なミランダにやんわりと、ふんわりと、マイルドにして包み込んだ愚痴をこぼしてしまったのだ。だが私の話を最後までしっかりと聞いてくれたミランダは私の思いもよらない方向へと怒りを爆発させた。
「私もエリオット様のお気持ちがわからないわけではありませんわ。お姉様似の女の子が産まれたら、私なら絶対溺愛してしまいますもの! ですけど、それは産まれてくるのが男の子だったとしても同じこと! どちらかだけを望むなんてお姉様のお腹の中の赤ちゃんに失礼ですわ!!」
  別にエリオットは私似の子が欲しい訳ではないと思うんだけど……という私の声は聞き入れられることはなかった。その代わりにまだ温かいお茶を置いて、使用人に針子と商人を呼びつけさせて今に至る――と。