私が遠慮なく、ショートケーキを頬張っていると一度、ライボルトは席を外す。かと思えば、すぐに数冊の本が運び込まれた。台車に乗せてくる辺り、ライボルトは本気である。
 もう、こんな慰め方してくれるなんて……さすが同士ね!
「ユタリア様。実は私、エリオット様のお気持ちが全くわからないというわけではないのです。……けれど、けれどそれとこれとは話が別です! 本を取り上げるなんてあんまりだと思います! もちろん、これから夫婦間での話し合いは不可欠でしょう。ですがこの場ではそんなことを気にせずに読書を楽しんでいただけませんか? そして是非! 是非、私達に感想を教えていただきたく…………!」
 初めの方こそ落ち着いた言葉を紡いでいたリーゼロット様であったが、後半は明らかに欲望が爆発している。
 本当にこの一年でリーゼロット様は変わった。それは明らかに隣でウンウンと彼女の意見に賛同するように頷いているライボルトの影響だろう。以前の彼女なら、例え親しい者しかこの場にいなかったとしても、こんなに興奮状態にはならなかったはずだ。けれどその変化が私には嬉しく思える。だって今のリーゼロット様とならお友達になれそうな気がするから。もちろん親族にはなるだろうけど、それはまた別の話である。
「ありがとうございます。是非、読ませていただきますわ」
 その好意に甘えて、追加で出してもらった美味しいお菓子とお菓子に合わせて甘さを控えたお茶、そして2人のオススメする本を存分に堪能することにした。

 
「いかが、でしたか?」
 本を閉じるとリーゼロット様は恐々と私の顔を覗き込む。その隣のライボルトは私との付き合いが長いだけあって、私の顔を見ただけで全てを悟ったらしく、勝ち誇った表情を浮かべている。

 このストーリーは家族を失い孤児となった少年は養父に引き取られるところから始まる。けれど少年が青年へと変わる頃、養父は老衰でこの世を去るのだ。そしてその別れを境に、青年は旅に出る。養父に引き取られてからというもの、村から出たことのなかった青年はたくさんの人と出会い、そして別れる。ラストシーンでは道中に出来た親友とも別れ、青年はまた一人っきりになってしまうのだ。けれど青年は再び歩き出すことを決めた。人は常に歩み続けなければ生きていけないと悟ったからである。
 ――と大まかな内容はこんなところで、もっと簡単に言えば、一人の男が成長していくストーリーである。
「登場人物達の行動が荒々しいのとは対照的に空の描写が繊細で……とても感動しましたわ!」
 作中で何度も出てくる空の描写は、まるで今まさに自分が空を見上げているのではないかと錯覚しそうなほどに、読者を引き込むものだった。読み終わってパタリと本を閉じた今も、作中に出てきた空を思い出すことが出来るほどだ。
 すると、リーゼロット様もまたその描写に引き込まれた1人だったようで、嬉しそうに息を飲んでは身体を前にのめらせた。
「……私もですわ!! どのシーンが一番感動しましたか? 私は、親友との決闘後の……晴れた空がお気に入りで」
「俺は養父との死別のシーンだな。曇天でも、嵐でもなく、虹がかかった空とは……一本取られたって感じだな」
「どれも良かったのですが……私はラストの、暗闇に染まった空が徐々に開けていくシーンが好きです」
「いいですよね!」
「確かにラストは泣けるな……!」
 ああ、こういうの久しぶりだな。
 手紙では何度となく繰り返してきていたが、やっぱりこうして対面で話し合えるのが一番だ。最近は本にも、誰かの感想にも飢えていたから、余計にその嬉しさが身体に染み込んでいくのだ。

 リーゼロット様のオススメの本を持ち帰れない代わりに、私のオススメの本をいくつか紹介することにした。どの本も今は手元にはないが、ハリンストン屋敷に置いたままにしてある。けれど手紙でミランダに伝えておけばすぐに見繕ってくれることだろう。
「なら今度、俺がハリンストン屋敷に取りに行ってくる」
「ライボルト様、お願いしますわ。ユタリア様、読み終わったら、絶対に感想をお送りしますから!」
「楽しみにしておりますわ」
 こうして私は2人の同胞の熱い視線を受けながらハイゲンシュタイン邸を去った。
 そして久々の温かい雰囲気に浸かった私は、エリオットが待つブラントン屋敷に帰る足取りが少しだけ重く感じた。
 馬車で揺られる間、浮かんだのはリーゼロット様の言葉だった。
『私も、エリオット様のお気持ちが全くわからないというわけではありませんわ』
 あの時はつい聞くタイミングを逃してしまったのだが、彼女はエリオットが何を思ってあの行動をとったかわかるのだろうか?
 1年も共に暮らしてきて、彼に嫌われているのだと気づいたのはつい最近のことだ。夜会でしか顔を合わせる機会のないリーゼロット様が気づくことに、私が気づくまでこんなにも時間を要した。それほどまでに私が鈍感だということか。人の悪意には敏感であったはずだったのに。
「はぁ……どうしよ……」
 貴族として鈍感なフリをすることはあれど、実際にそうとなれば、欠点にしかなり得ない。いつのまにか付け込まれて、気づいた時にはもう手遅れ……なんてことになるのだから。
 冷たい空気に触れた私は、目の当たりにした自分の欠点に頭を抱えるのだった。