あの夜会である程度吹っ切れた私は、あれからあまりエリオットの行動が気にならなくなった。結局、夜会中に信頼値を取り戻そうという試みは見事に失敗し、あれから頻繁にエリオットの視線を感じるようになったが、気にしたら負けである。やましいことがあるわけでもないため、エリオットが飽きるのを待つだけだ。
「はぁ〜、いい。やっぱりいつ読んでも、ニコ=スミスの本は最高だわ……」
今日は特にこれといった用事もなく、一人寂しく部屋に閉じこもっては、ミランダが持たせてくれた本と共に幸せな時を過ごしていた。
今回の本のヒロインは人質として隣国へ嫁いで行った設定だ。お相手は軍事国家と呼ばれるほどの大国の王子。初めは彼に怯えて過ごすも、次第に2人は惹かれあっていき……とまぁよくあるような話なのだが、そこはさすがニコ=スミス。王道であろうとも彼女の手にかかれば大輪のブーケのように美しく彩られるのだ。大事なのはテーマではない、どう登場人物を生かすかである!――私はこの本で嫌という程にそれを理解させられた。
この本の中のように幸せな結婚生活は送れないが、作家達に紡がれた数多くのストーリーに浸れるのなら……。
――私はそんな呑気なことを考えていた。まさかエリオットがその本を没収するとも知らずに。
「これらの本は没収する」
ある日唐突に私の部屋へと踏み込むと、エリオットは机に積んであった何冊もの本を使用人に撤去させた。
「なぜですか! せめて、せめて理由を教えてください」
もちろん私は抵抗した。エリオットの服を握りしめて、私の数少ない楽しみを返してくれと。けれどエリオットは今までに見たことがないほど冷たい目で、本を一瞥すると私の手を解いた。そして私を見ることなく、冷酷な言葉を落とし部屋を後にしようとドアノブに手をかける。
「……必要ないだろう」――と。
その途端、私を繋いでいた細い糸がプツンと切れた。そしてそれと同時に石膏のように固く塗り固められていた『窓際の白百合』の仮面が崩れ落ちた。
「……けないで」
「ユタリア?」
エリオットは私の微かな声に足を止める。それ幸いと私は沸きあがる怒りを全てぶつけることにした。
――それほどまでに私にとって、本は重要なものなのだ。ここでみすみす引き下がって本を手放すくらいなら、私は僅かに残ったその仮面を自らの手で外すのみだ。
「ふざけないでって言ってるのよ! 本は私の癒しよ。必要ないわけないでしょう? 自分に必要がないものが他人にとってもそうだとは限らないわ。勝手に判断しないでちょうだい!」
「私と君は他人だと言うのか?」
「ええ、そうよ。一緒に暮らすし、夜会には一緒に行く。けれどそれは公爵家の妻として契約を結んだだけで他人であることには変わりない。そうでしょう?」
私は頭に思い浮かんだ言葉をエリオットに向けて次々と吐いていく。けれど気持ちは一向に軽くなって来ない。むしろその逆だ。私の言葉は私の心を海の底のように深い場所へと突き落としていく。本を没収されてしまうほど、妻としての信頼が地ほどに落ちたのかと。それはなんだか情けなくて涙がこぼれ落ちてくる。
城下町で出会った優しかったエリオットはもう、どこにもいない。
愛してほしいなんてワガママは言わない。
愛人なら勝手に作ればいい。
私のことが嫌いなら、視線を合わせなくたって、家に帰らなくたって構わない。
けれどなぜ数少ない楽しみを、心の拠り所を奪われなければいけないのだろうか――そう思うとこの生活を送り続けることに限界すら感じる。
お父様、お母様、ミランダ、ごめんなさい。
心の中で大好きな家族に謝る。そして目の端に溜まった涙を指で拭って、エリオットの顔を見据えた。
「私は今から外出してきます。夜には戻ってくる予定ですので、それまでに今後、どうするかをお決めになってください」
「どういう、ことだ?」
「私とこのまま夫婦で居続け、愛する人を妾として囲うか。それとも私とは離縁するか。詳しいことは私達ではなく、家同士の話合いになるでしょうけど……」
それだけ吐き捨てて、エリオットとドアの僅かな隙間を通り抜けて部屋を後にする。
「もし、もし君がライボルト=ハイゲンシュタインと夫婦になっていたら……」
去り際にエリオットはしきりにライボルトの名前を呟いていた。だが今のこの状況でなぜわざわざ『ライボルト』の名前を挙げるのか、私には理解できなかった。だってもしライボルトが私と結婚していたところで、彼が読み終わらないほどの膨大な量の本を用意することはあっても、私から本を取り上げることなどあり得ない。そんなことがあったら私は世界の終わりでもやって来るのではないか?と早々に諦めるだろう。つまりもし私が一年前、ライボルトと結婚していたところで今と同じ状況にはなり得ないというわけだ。
比較の対象になんて、なる訳がない。
「はぁ〜、いい。やっぱりいつ読んでも、ニコ=スミスの本は最高だわ……」
今日は特にこれといった用事もなく、一人寂しく部屋に閉じこもっては、ミランダが持たせてくれた本と共に幸せな時を過ごしていた。
今回の本のヒロインは人質として隣国へ嫁いで行った設定だ。お相手は軍事国家と呼ばれるほどの大国の王子。初めは彼に怯えて過ごすも、次第に2人は惹かれあっていき……とまぁよくあるような話なのだが、そこはさすがニコ=スミス。王道であろうとも彼女の手にかかれば大輪のブーケのように美しく彩られるのだ。大事なのはテーマではない、どう登場人物を生かすかである!――私はこの本で嫌という程にそれを理解させられた。
この本の中のように幸せな結婚生活は送れないが、作家達に紡がれた数多くのストーリーに浸れるのなら……。
――私はそんな呑気なことを考えていた。まさかエリオットがその本を没収するとも知らずに。
「これらの本は没収する」
ある日唐突に私の部屋へと踏み込むと、エリオットは机に積んであった何冊もの本を使用人に撤去させた。
「なぜですか! せめて、せめて理由を教えてください」
もちろん私は抵抗した。エリオットの服を握りしめて、私の数少ない楽しみを返してくれと。けれどエリオットは今までに見たことがないほど冷たい目で、本を一瞥すると私の手を解いた。そして私を見ることなく、冷酷な言葉を落とし部屋を後にしようとドアノブに手をかける。
「……必要ないだろう」――と。
その途端、私を繋いでいた細い糸がプツンと切れた。そしてそれと同時に石膏のように固く塗り固められていた『窓際の白百合』の仮面が崩れ落ちた。
「……けないで」
「ユタリア?」
エリオットは私の微かな声に足を止める。それ幸いと私は沸きあがる怒りを全てぶつけることにした。
――それほどまでに私にとって、本は重要なものなのだ。ここでみすみす引き下がって本を手放すくらいなら、私は僅かに残ったその仮面を自らの手で外すのみだ。
「ふざけないでって言ってるのよ! 本は私の癒しよ。必要ないわけないでしょう? 自分に必要がないものが他人にとってもそうだとは限らないわ。勝手に判断しないでちょうだい!」
「私と君は他人だと言うのか?」
「ええ、そうよ。一緒に暮らすし、夜会には一緒に行く。けれどそれは公爵家の妻として契約を結んだだけで他人であることには変わりない。そうでしょう?」
私は頭に思い浮かんだ言葉をエリオットに向けて次々と吐いていく。けれど気持ちは一向に軽くなって来ない。むしろその逆だ。私の言葉は私の心を海の底のように深い場所へと突き落としていく。本を没収されてしまうほど、妻としての信頼が地ほどに落ちたのかと。それはなんだか情けなくて涙がこぼれ落ちてくる。
城下町で出会った優しかったエリオットはもう、どこにもいない。
愛してほしいなんてワガママは言わない。
愛人なら勝手に作ればいい。
私のことが嫌いなら、視線を合わせなくたって、家に帰らなくたって構わない。
けれどなぜ数少ない楽しみを、心の拠り所を奪われなければいけないのだろうか――そう思うとこの生活を送り続けることに限界すら感じる。
お父様、お母様、ミランダ、ごめんなさい。
心の中で大好きな家族に謝る。そして目の端に溜まった涙を指で拭って、エリオットの顔を見据えた。
「私は今から外出してきます。夜には戻ってくる予定ですので、それまでに今後、どうするかをお決めになってください」
「どういう、ことだ?」
「私とこのまま夫婦で居続け、愛する人を妾として囲うか。それとも私とは離縁するか。詳しいことは私達ではなく、家同士の話合いになるでしょうけど……」
それだけ吐き捨てて、エリオットとドアの僅かな隙間を通り抜けて部屋を後にする。
「もし、もし君がライボルト=ハイゲンシュタインと夫婦になっていたら……」
去り際にエリオットはしきりにライボルトの名前を呟いていた。だが今のこの状況でなぜわざわざ『ライボルト』の名前を挙げるのか、私には理解できなかった。だってもしライボルトが私と結婚していたところで、彼が読み終わらないほどの膨大な量の本を用意することはあっても、私から本を取り上げることなどあり得ない。そんなことがあったら私は世界の終わりでもやって来るのではないか?と早々に諦めるだろう。つまりもし私が一年前、ライボルトと結婚していたところで今と同じ状況にはなり得ないというわけだ。
比較の対象になんて、なる訳がない。