そんな関係になろうとも、夜会の時は必ず付き添ってくれる。そして私達の関係が悟られないように、私もエリオットも貴族の笑みを貼り付けるのだ。…………なら、この関係で居続けるのも悪くないのかもしれない。
 エリオットが『ユリアンナ』の名を口にしてからもう、いくつもの夜が明け、その度にいつ離縁を言い渡されるのだろうかと怯えていた。けれど未だ、エリオットが何かしらの行動を起こす様子もない。
 帰りが遅くて、それどころか家に帰らない日があって、私と視線を合わせやしない。……けれど、言い換えればたったそれだけなのだ。
 エリオットが起こすかもしれない行動に怯えるのも、ハリンストンへの被害を心配するのも……もう疲れてしまった。彼と結婚してから、まだ1年と少ししか経っていない。けれどこれから何事もなければずっと、どちらかが死ぬまで共に過ごすのだ。それなのにいつまでもこんなことを心配していては身体が持つわけがない。
 私には手紙を送ってくれる妹がいる。オススメの本を見繕ってくれる母や従兄弟がいる。実家に顔を見せれば温かく迎え入れてくれる家族がいる。そしてエリオットとも、共にお菓子を食べた、楽しかった思い出がある。
 ならばそれを抱えて、残りの数十年を生きればいいだけだ。難しいことなんて何も考えなくてもいい。私はただ今まで通りに自分に割り振られた役目を果たすだけでいいのだ。――そう思うだけで、私の心はサーカスでもらう色とりどりの風船のように軽く浮き立った。


「ユタリア様、お久しぶりです」
「お久しぶりです、クシャーラ様。お身体の方はもう、よろしいのでしょうか?」
「ええ、もうすっかり」
 ユグラド王子18歳の誕生パーティーもとい、王子妃発表パーティー後、しばらくして全国民を挙げて盛大な結婚式が行われた。それ以来クシャーラ様はしばらくの間、公の場に姿を見せることはなかった。ユグラド王子との子を身ごもったらしい。結婚から1年経ってもその様子すら見せない私とは大違いだ。そして今から1ヶ月ほど前、元気な御子様が産まれたのだが、その後のクシャーラ様の体調は芳しくなかった。だが彼女の身体も次第に良くなってきたようで、今宵の夜会は回復したクシャーラ様が久々に顔を見せる場として催されたものである。
 クシャーラ様は今や王子妃となり、そして一児の母にもなったからか、以前のような柔らかな、どこかフワフワとした雰囲気は姿を潜ませている。今の彼女はどこか、学園在学時のリーゼロット様に似ていた。その身体には大きすぎるほどの責任感を背負っている。けれど以前のリーゼロット様と明確に違うのは、隣にはユグラド王子という、彼女を支えてくれる相手がいることだろう。2人には愛があって、以前よりも互いを信頼しあっているのがありありと伝わってくる。
 8年もの間、少なからず行動を共にしていて、クシャーラ様にはいい感情がなかったのに、離れてみてやっと彼女を好意的に見ることが出来た。もしかしたら変わったのは立場の変わったクシャーラ様、そして今宵も美しく人々を魅了するリーゼロット様だけではないのかもしれない。
 私も、変わったのだろうか? 
 いや変わってしまったのだろう。以前ならこんなにウジウジと悩んだりはしなかった。そっちがその気ならこっちだって叩き潰すまでよ! と心の中ではいつだって戦闘準備を整えていたはずだ。場合によってはお父様にもある程度の事情を伝えて、準備をしてもらっていたかもしれない。
 だが私はそうしなかった。今もまだエリオットが『オヤツ仲間』である、という意識は抜けきれていないのだろう。もう一年以上も共にオヤツを食べていないというのに。

  本当に、バカみたい……。

 エリオットがユグラド王子と話に花を咲かせている中、私はふと王子の背中からチラリと見えた男に目を奪われた。
 リガード=ブラッドだ。
 珍しく顔を出しているのは王家主催の夜会だからだろう。いつもは何に対しても興味のなさそうな、そしてすぐに気分を悪くして会場を後にしてしまうリガードが、なぜかこちらを、正確には私の顔を凝視していた。そして時折眉を顰めて、首をかしげる。リガードが婚約者も誰も連れ添わずに来るのはいつものことで、誰も彼の行動を気に止めるものはいない。もちろん彼のすぐ近くで、ライボルトとリーゼロット様と話す機会を今か今かと待ちわびて、順番待ちをしている者たちも、だ。
 視線を感じる私以外は誰もリガードに注目などしない。何かあったのだろうかと気になったものの、それからすぐに彼は会場を後にしてしまう。おそらく直前に彼の前を通り過ぎたご婦人方の、複数の香水が混じり合った何とも言えない香りにやられたのだろう。夜会に出席するようになってから数年も経った今、私はすっかりその香りにも慣れっこになってしまった。だがリガードにはまだその刺激は強すぎたようだ。遠くからでもわかるほどに彼の顔からは血の気が失せていた。
  たった一度だけだが共にケーキを食べた仲で、リガードの事情を知っているため、出来ることなら彼を解放してやりたいのだが、生憎、私の隣には未だエリオットがピタリとくっついている。さすがに冷え切った関係とはいえ、夫である彼を放って他の男の元に行くなど許されることではない。
「ユタリア、どうかしたのか?」
 リガードのことばかり気にし過ぎたせいか、エリオットはあの日以来、一度も呼んだことはなかった名前を口にする。王家の夜会に出席しているのだから、気を抜くなとでも言いたいのだろう。わざわざそんなことをエリオットに言わせてしまうとは、私も公爵夫人としてまだまだだ。
「いえ、何でもありませんわ」
 その言葉を発すると同時に、詮索はするなとお得意の笑みを浮かべる。そしてリガードのことを頭の隅に追いやった。きっと今頃、休憩室で休んでいることだろう。今の私にはただ元気になってくれと祈ることしか出来ずにいる。

 その後、私はブラントン夫人なのだ! という意識を持ちながら行動していたのだが、エリオットは何度も私の方を気にしたようにチラチラと視線を向けた。また私が目の前の相手を差し置いて、意識をどこかへ飛ばすか心配しているのだろう。そこまで信用ないのか……と呆れつつ、せめてこの夜会が始まるよりも前にあったほどには、彼からの信頼値を戻せるように立ち回るのだった。