「お姉様、今日もお出かけ?」
「ええ」
夜会から一夜明け、目覚めてすぐに私は町娘の格好に着替えた。
「今日は何がお目当て?」
「小説。どうしても忘れられないタイトルの本があって……この前は買えなかったから」
「それは面白そうね! 後で私にも貸してちょうだい?」
「ええ、もちろん」
興味津々といった様子で食いついたミランダに小さな嘘をつく。あの本を探しにというただの口実で、私はただ城下町へと赴きたいだけなのだ。
あの男、エリオット=ブラントンに会いたい。
夜会から帰った後で、私の心に住みついたエリオットの姿を一目でもいいからこの目に収めたいのだ。
お父様からお小遣いをもらって、そしてFの棚へと向かう。以前気になっていた本と、お母様とミランダがすっかり気に入ったシェリー=ブロットの本を1冊、本棚から抜き取って慣れた道を辿る。
そして残った40分と少しの間、城下町をフラつくことにした。約束もなしに会えるかどうかなんて半ば賭けみたいなものだ。今のところ、4回中3回と確率的には悪くない。
胸の前で袋を抱えて、何処にいるかもわからないエリオットを探すこと30分。……結局彼に出会うことは出来なかった。
「はぁ……」
仕方ないかとため息を1つ吐き出して、余ったお金でクレープを購入する。いつもの店に行くには少しばかりお小遣いが足りないため、近くのこじんまりとしたお店のではあるが。
「すみません、チョコバナナクレープ1つ」
店員さんにかけたはずの自分の声が妙に低く、そしてこの1ヶ月で馴染み深いものであったことに驚き、声の方向へと顔を向ける。そしてまたその声の主も驚いたような表情でこちらを向いた。
「ユリアンナじゃないか! 奇遇だな」
「そういうあなたこそ。今日は……私服なのね」
すぐにパァっと顔に花を咲かせるエリオット。そんな彼の今日の服装はいつものように騎士団員服ではなく、シャツにジャケットといった、城下町でもよく見かける格好であった。だが社交界に参加するエリオット=ブラントンから想像できる服でない。何というか、彼はいつだってピシッと正装を着込んでいるイメージがある。……あくまで私の中のイメージであって、年中正装でいる人などいないのだろうが。
「ああ、今日は非番で」
私がジロジロと見ていたせいかエリオットは恥ずかしそうに頬を掻いた。その姿がなぜか可愛いと思ってしまうのはきっと、彼がクレープを美味しそうに食べる様子が頭に残っているからだろう。そうでなければ大の男を可愛いなんてそんなこと、思うはずがない。それも相手はあのエリオット=ブラントン。今、社交界で最も熱い視線を送られている男である。その見目の麗しさから格好いいと褒めそやされることはあっても、可愛いなんてそんなこと……。頭を左右に振ってありえないわよ! とこの感情をどこかへと追いやる。そして都合よくかけられた声にこれ幸いと思考を切り替えて顔を上げる。
「お待たせいたしました。チョコバナナクレープです」
私とエリオット、それぞれに差し出されたクレープの片方を受け取ると、彼女の手に対価を乗せた。そしてそれはエリオットも同じこと。
「とりあえず座らないか?」
「ええ」
そしてその流れから以前のように並んでクレープを頬張ることとなった。
「本当に最近、よく会うよな。ユリアンナはこの辺りに住んでいるのか?」
「近からず遠からずってところかしら。エリオットもそうなの?」
「ん? ああ、まぁ……な」
目線を逸らして、言葉を濁すエリオット。確かブラントン家といえば、何かあった時にすぐにでも国王陛下の元に駆けつけられるように、王城からほど近い場所に屋敷を構えているはずである。王都内に屋敷を構えてはいるものの、それでも城下町まで馬車で10分ほどかかるハリンストン家と比べれば近いものだろう。
「城下町には巡回でよく通るんだ。この店もついこの間、巡回中に見つけて」
「それでわざわざ非番の日に食べに来たってわけね。エリオットもクレープ、好きなの?」
「この前ユリアンナと一緒に食べたのが美味しくて。元々甘いものは好きだったんだが、クレープって食べたことなくて……」
「私も初めて食べてからすっかり虜なの! 美味しいわよね、クレープ」
初めて食べたのは6歳の頃、お父様に連れられてやって来た時のことだった。城下の暮らしも知っておいた方がいいとの名目で連れてきてもらったのだが、それは毎日習い事ばかりで忙しい私へのご褒美のようなものだった。見るもの全てがキラキラして見えて、中でも遠くからでも鼻をくすぐるクレープはお父様にねだって唯一城下町で買ってもらったものだった。
薄い紙を通して伝わるクレープ生地の温かさと口に含んだ瞬間に広がるチョコと生クリームのハーモニー。あれから何年も経った今でもあの日の衝撃的な出会いは忘れることが出来ない。だからこそクレープを踏みつけたエリオットが許せなくて、そしてそんな彼が今こうしてクレープを好きになってくれたことが嬉しいのだ。
エリオットが可愛く見えてしまうのも、きっとクレープ効果なのだろう。そうに違いない。そう思うとなんだかしっくりと心にフィットするのを感じた。
「ああ、そうだな」
そう答えるエリオットの表情は夜会で見るものよりもずっと優しいものだった。さすがはクレープだと感心しながら最後の一口、チョコソースが染み込んだ生地を口の中へと投げ込んだ。
「ええ」
夜会から一夜明け、目覚めてすぐに私は町娘の格好に着替えた。
「今日は何がお目当て?」
「小説。どうしても忘れられないタイトルの本があって……この前は買えなかったから」
「それは面白そうね! 後で私にも貸してちょうだい?」
「ええ、もちろん」
興味津々といった様子で食いついたミランダに小さな嘘をつく。あの本を探しにというただの口実で、私はただ城下町へと赴きたいだけなのだ。
あの男、エリオット=ブラントンに会いたい。
夜会から帰った後で、私の心に住みついたエリオットの姿を一目でもいいからこの目に収めたいのだ。
お父様からお小遣いをもらって、そしてFの棚へと向かう。以前気になっていた本と、お母様とミランダがすっかり気に入ったシェリー=ブロットの本を1冊、本棚から抜き取って慣れた道を辿る。
そして残った40分と少しの間、城下町をフラつくことにした。約束もなしに会えるかどうかなんて半ば賭けみたいなものだ。今のところ、4回中3回と確率的には悪くない。
胸の前で袋を抱えて、何処にいるかもわからないエリオットを探すこと30分。……結局彼に出会うことは出来なかった。
「はぁ……」
仕方ないかとため息を1つ吐き出して、余ったお金でクレープを購入する。いつもの店に行くには少しばかりお小遣いが足りないため、近くのこじんまりとしたお店のではあるが。
「すみません、チョコバナナクレープ1つ」
店員さんにかけたはずの自分の声が妙に低く、そしてこの1ヶ月で馴染み深いものであったことに驚き、声の方向へと顔を向ける。そしてまたその声の主も驚いたような表情でこちらを向いた。
「ユリアンナじゃないか! 奇遇だな」
「そういうあなたこそ。今日は……私服なのね」
すぐにパァっと顔に花を咲かせるエリオット。そんな彼の今日の服装はいつものように騎士団員服ではなく、シャツにジャケットといった、城下町でもよく見かける格好であった。だが社交界に参加するエリオット=ブラントンから想像できる服でない。何というか、彼はいつだってピシッと正装を着込んでいるイメージがある。……あくまで私の中のイメージであって、年中正装でいる人などいないのだろうが。
「ああ、今日は非番で」
私がジロジロと見ていたせいかエリオットは恥ずかしそうに頬を掻いた。その姿がなぜか可愛いと思ってしまうのはきっと、彼がクレープを美味しそうに食べる様子が頭に残っているからだろう。そうでなければ大の男を可愛いなんてそんなこと、思うはずがない。それも相手はあのエリオット=ブラントン。今、社交界で最も熱い視線を送られている男である。その見目の麗しさから格好いいと褒めそやされることはあっても、可愛いなんてそんなこと……。頭を左右に振ってありえないわよ! とこの感情をどこかへと追いやる。そして都合よくかけられた声にこれ幸いと思考を切り替えて顔を上げる。
「お待たせいたしました。チョコバナナクレープです」
私とエリオット、それぞれに差し出されたクレープの片方を受け取ると、彼女の手に対価を乗せた。そしてそれはエリオットも同じこと。
「とりあえず座らないか?」
「ええ」
そしてその流れから以前のように並んでクレープを頬張ることとなった。
「本当に最近、よく会うよな。ユリアンナはこの辺りに住んでいるのか?」
「近からず遠からずってところかしら。エリオットもそうなの?」
「ん? ああ、まぁ……な」
目線を逸らして、言葉を濁すエリオット。確かブラントン家といえば、何かあった時にすぐにでも国王陛下の元に駆けつけられるように、王城からほど近い場所に屋敷を構えているはずである。王都内に屋敷を構えてはいるものの、それでも城下町まで馬車で10分ほどかかるハリンストン家と比べれば近いものだろう。
「城下町には巡回でよく通るんだ。この店もついこの間、巡回中に見つけて」
「それでわざわざ非番の日に食べに来たってわけね。エリオットもクレープ、好きなの?」
「この前ユリアンナと一緒に食べたのが美味しくて。元々甘いものは好きだったんだが、クレープって食べたことなくて……」
「私も初めて食べてからすっかり虜なの! 美味しいわよね、クレープ」
初めて食べたのは6歳の頃、お父様に連れられてやって来た時のことだった。城下の暮らしも知っておいた方がいいとの名目で連れてきてもらったのだが、それは毎日習い事ばかりで忙しい私へのご褒美のようなものだった。見るもの全てがキラキラして見えて、中でも遠くからでも鼻をくすぐるクレープはお父様にねだって唯一城下町で買ってもらったものだった。
薄い紙を通して伝わるクレープ生地の温かさと口に含んだ瞬間に広がるチョコと生クリームのハーモニー。あれから何年も経った今でもあの日の衝撃的な出会いは忘れることが出来ない。だからこそクレープを踏みつけたエリオットが許せなくて、そしてそんな彼が今こうしてクレープを好きになってくれたことが嬉しいのだ。
エリオットが可愛く見えてしまうのも、きっとクレープ効果なのだろう。そうに違いない。そう思うとなんだかしっくりと心にフィットするのを感じた。
「ああ、そうだな」
そう答えるエリオットの表情は夜会で見るものよりもずっと優しいものだった。さすがはクレープだと感心しながら最後の一口、チョコソースが染み込んだ生地を口の中へと投げ込んだ。