「髪はいかがいたしましょう?」
「今回の主役はあくまでユグラド王子とクシャーラ様だから、あまり目立ち過ぎず、だからといって地味過ぎず……。ああ、リーゼロット様はどうするのかしら?」
お母様とミランダが針子と話し合って出来たのは海よりも深い、どちらかといえば闇夜に近い、青のドレスだった。一見すると地味すぎるようにも見える色だが、それも会場に入れば鮮やかな物へと変えるのだという。夜会に着ていくには色が暗くない? と尋ねた私に興奮気味のミランダが教えてくれた。
……ということで、私は今、ドレスに負けないような顔をハリンストン家自慢の侍女達によって作成してもらいつつ、今宵の髪型の相談をしている。
メイクの方はさすがこの6年間、私の地味顔を隠し続けてきただけあって威厳のある顔が作り上げられていく。そして髪型は優柔不断な私があまりにも迷うもので、結局いつも通り、私の頭上で行われる侍女達の会議によって決められることとなった。
「ユークリッド家の夜会に参加した時の髪型にアレンジを加えましょうか!」
ちなみに私はユークリッド家の夜会での髪型を覚えていない。なにせ8ヶ月も前の夜会だ。話した内容ははっきりと覚えているが、流石に自分の髪型まで覚えている余裕などない。だが彼女達に任せておけば今日の私に一番似合う髪型をセットしてくれるはずだとそれ以上は考えるのを止める。
30分ほど経った頃、前に用意された鏡へと視線を移す。するとそこに映る私はハリンストンの娘に相応しい姿であった。ここ最近、城下町に出向いている私と同一人物とは思えない仕上がりである。メイクもバッチリ、髪型もスッキリと決まっており、ドレスに至ってはミランダの太鼓判付きである。
空から吊り上げられるように、背筋をピシッと伸ばして前を見据える。そして一歩、屋敷から踏み出す。その瞬間、私は石膏で固めた仮面を貼り付け、『窓際の白百合』、ユタリア=ハリンストンへと変わる。
今日のお供は城下町に出向く時の小さな馬車ではなく、今宵のお供は権力を誇示するために体にハリンストンの家紋を入れた馬車だ。
ドアを開いてもらい、地上に降り立てば誰もが私に視線を注ぎ、そして会釈をする。それらに小さく返して、そして開いた道の真ん中を堂々と闊歩する。
ここで私が1人で歩いていることはつまり、選ばれなかった令嬢ということなのだが、誰も私が選ばれることを予想していなかったためなのか、視線はいつもとあまり変わりない。会場へと入り、そしていつも通り窓際へと移動する。この場所を選ぶのは人が少なくて落ち着くという理由の他に、意外と会場全体を見回せて便利だからという理由も大きい。
正式発表がされていない現段階では誰にも声をかけられることはない。だからこそ今のうちに私と同じ立場のリーゼロット様を見つけ出そうと視線をゆっくりと動かす。だが一向に彼女らしき姿は見つからない。
『社交界の赤薔薇』と呼ばれるリーゼロット様がその他の令嬢に埋もれて見つけられないということはまずあり得ない。だがまさかこの夜会に参加しないなんて、ペシャワール家に産まれたことを何よりも誇りに思っていたリーゼロット様がすることだろうか?
刻一刻と開始の時間が迫る中、私の耳に触れたのは、ここ最近一度もリーゼロット様が社交界に出てきていないとの噂話だった。その話を紡ぎ出すご令嬢達の声は明るく、リーゼロット様が顔を出さないのは今宵のパーティー準備に追われているからだろうと信じて疑っていない。そして話は未だこの場に現れないクシャーラ様へと変わる。
「クシャーラ様の姿がまだ見えませんけど、今日の夜会、欠席なさるおつもりなのかしら?」
先程とは打って変わって、まるで戦いに敗れた女性を嘲笑うかのように、品良く口を抑えながら呟く。おそらく聞こえているのは彼女の隣で話に花を咲かす2人のご令嬢と、彼女達からは柱の陰になって見えない私くらいなものだろう。私だって社交界で鍛えられた地獄耳さえなければ聞き取ることすら危ういほどの嘲笑。
だがはっきりと聞いてしまった。
そしてそんな私は知っているのだ――選ばれたのはリーゼロット=ペシャワールではなく、彼女達が嗤うクシャーラ=プラントであることを。
ここからでは顔がはっきりと見えない3人の令嬢は壇上から舞い降りるクシャーラ様をどんな表情で見つめるのだろう?
そしてクシャーラ様の登場と共に、リーゼロット様が選ばれなかったのだと知った、会場内のご令嬢と御令息は今宵不在となった彼女をどう思うのだろうか?
初めから多くの者達に、今回のレースにすら乗っていないのだと判断されていた私に注ぐのは好意的な、そして意欲的なものばかりだ。
ならば彼女達は……?
ユグラド王子とクシャーラ様が登場なされた時の、多くのご令嬢達の顔といったら滑稽だった。なにせ彼女達はリーゼロット様が選ばれることを疑わず、陰でクシャーラ様を嗤い続けていたのだから。
自分達よりも爵位も、学力も、そして手習いですらずっと優っている彼女を。
そしてそのことをクシャーラ様が知らないはずがないのだ。数段上から会場内を見下ろすクシャーラ様の妖精のような微笑みは彼女達の身体を凍りつかせるには十分であった。
「ユグラド王子、クシャーラ様、この度はご婚姻おめでとうございます」
誰もが固まる中、先陣を切るのは候補者の1人であった私。リーゼロット様が欠席なされた以上、私が1人で担う他ないのだ。
いつものように入念に繕った言葉ではなく、ずっと、もう何年もユグラド王子に告げたかった心からの祝辞を目の前の2人に述べる。きっと今の私はクシャーラ様よりも深い笑みを浮かべていることだろう。
「ありがとうございます、ユタリア様」
クシャーラ様はいつも通りの、何を考えているのかわからない柔らかい笑みを浮かべた。ユグラド王子は私の顔をしばらく見つめ、そしてクシャーラ様から少し遅れる形となって「ありがとう」と述べた。
この言葉で私は正式に候補者から外れる。そして会場内の紳士淑女の皆さんにかかっていた硬直はすっかり解かれたように、一斉に2人に祝辞を述べようと進み出す。
今日1番の仕事を終えた私は迫り来る貴族の波に備えて、近くの使用人からグラスを1つ受け取ると喉を潤した。
それから間もなくして、王子達への挨拶を終えた貴族のほとんどはルートが決まっているのかと問いたくなるほどに決まった道順に沿って私の元へとやって来る。
完全にフリーとなったハリンストン家の令嬢に顔と名前だけでも覚えてもらおうという魂胆なのだろう。記憶の中にある名前と顔と照合しつつ、いつ尽きるかもわからない多くの相手をしていく。
おそらく明後日辺りからは夜会の招待状が何枚もの手紙が送られてくることだろう。
すでに彼らよりも一歩先に私へと手紙を出したエリオットはといえば、他の貴族同様に挨拶を終えるとすぐに立ち去ってしまった。そして用を済ませたエリオットは私と同じように多くの人に囲まれる。壁をなすのは彼を目当てにしているご令嬢達だ。この夜会をキッカケにお相手探しを開始するだろうと目星はつけられているのだろう。なにせもう彼が婚約者を作らない理由などないのだから。
噂通り、どのご令嬢にも笑顔で、そして紳士的な対応をするエリオット。彼の姿が人の山からチラリと覗く度に私の心に波紋が生じるのだった。
「今回の主役はあくまでユグラド王子とクシャーラ様だから、あまり目立ち過ぎず、だからといって地味過ぎず……。ああ、リーゼロット様はどうするのかしら?」
お母様とミランダが針子と話し合って出来たのは海よりも深い、どちらかといえば闇夜に近い、青のドレスだった。一見すると地味すぎるようにも見える色だが、それも会場に入れば鮮やかな物へと変えるのだという。夜会に着ていくには色が暗くない? と尋ねた私に興奮気味のミランダが教えてくれた。
……ということで、私は今、ドレスに負けないような顔をハリンストン家自慢の侍女達によって作成してもらいつつ、今宵の髪型の相談をしている。
メイクの方はさすがこの6年間、私の地味顔を隠し続けてきただけあって威厳のある顔が作り上げられていく。そして髪型は優柔不断な私があまりにも迷うもので、結局いつも通り、私の頭上で行われる侍女達の会議によって決められることとなった。
「ユークリッド家の夜会に参加した時の髪型にアレンジを加えましょうか!」
ちなみに私はユークリッド家の夜会での髪型を覚えていない。なにせ8ヶ月も前の夜会だ。話した内容ははっきりと覚えているが、流石に自分の髪型まで覚えている余裕などない。だが彼女達に任せておけば今日の私に一番似合う髪型をセットしてくれるはずだとそれ以上は考えるのを止める。
30分ほど経った頃、前に用意された鏡へと視線を移す。するとそこに映る私はハリンストンの娘に相応しい姿であった。ここ最近、城下町に出向いている私と同一人物とは思えない仕上がりである。メイクもバッチリ、髪型もスッキリと決まっており、ドレスに至ってはミランダの太鼓判付きである。
空から吊り上げられるように、背筋をピシッと伸ばして前を見据える。そして一歩、屋敷から踏み出す。その瞬間、私は石膏で固めた仮面を貼り付け、『窓際の白百合』、ユタリア=ハリンストンへと変わる。
今日のお供は城下町に出向く時の小さな馬車ではなく、今宵のお供は権力を誇示するために体にハリンストンの家紋を入れた馬車だ。
ドアを開いてもらい、地上に降り立てば誰もが私に視線を注ぎ、そして会釈をする。それらに小さく返して、そして開いた道の真ん中を堂々と闊歩する。
ここで私が1人で歩いていることはつまり、選ばれなかった令嬢ということなのだが、誰も私が選ばれることを予想していなかったためなのか、視線はいつもとあまり変わりない。会場へと入り、そしていつも通り窓際へと移動する。この場所を選ぶのは人が少なくて落ち着くという理由の他に、意外と会場全体を見回せて便利だからという理由も大きい。
正式発表がされていない現段階では誰にも声をかけられることはない。だからこそ今のうちに私と同じ立場のリーゼロット様を見つけ出そうと視線をゆっくりと動かす。だが一向に彼女らしき姿は見つからない。
『社交界の赤薔薇』と呼ばれるリーゼロット様がその他の令嬢に埋もれて見つけられないということはまずあり得ない。だがまさかこの夜会に参加しないなんて、ペシャワール家に産まれたことを何よりも誇りに思っていたリーゼロット様がすることだろうか?
刻一刻と開始の時間が迫る中、私の耳に触れたのは、ここ最近一度もリーゼロット様が社交界に出てきていないとの噂話だった。その話を紡ぎ出すご令嬢達の声は明るく、リーゼロット様が顔を出さないのは今宵のパーティー準備に追われているからだろうと信じて疑っていない。そして話は未だこの場に現れないクシャーラ様へと変わる。
「クシャーラ様の姿がまだ見えませんけど、今日の夜会、欠席なさるおつもりなのかしら?」
先程とは打って変わって、まるで戦いに敗れた女性を嘲笑うかのように、品良く口を抑えながら呟く。おそらく聞こえているのは彼女の隣で話に花を咲かす2人のご令嬢と、彼女達からは柱の陰になって見えない私くらいなものだろう。私だって社交界で鍛えられた地獄耳さえなければ聞き取ることすら危ういほどの嘲笑。
だがはっきりと聞いてしまった。
そしてそんな私は知っているのだ――選ばれたのはリーゼロット=ペシャワールではなく、彼女達が嗤うクシャーラ=プラントであることを。
ここからでは顔がはっきりと見えない3人の令嬢は壇上から舞い降りるクシャーラ様をどんな表情で見つめるのだろう?
そしてクシャーラ様の登場と共に、リーゼロット様が選ばれなかったのだと知った、会場内のご令嬢と御令息は今宵不在となった彼女をどう思うのだろうか?
初めから多くの者達に、今回のレースにすら乗っていないのだと判断されていた私に注ぐのは好意的な、そして意欲的なものばかりだ。
ならば彼女達は……?
ユグラド王子とクシャーラ様が登場なされた時の、多くのご令嬢達の顔といったら滑稽だった。なにせ彼女達はリーゼロット様が選ばれることを疑わず、陰でクシャーラ様を嗤い続けていたのだから。
自分達よりも爵位も、学力も、そして手習いですらずっと優っている彼女を。
そしてそのことをクシャーラ様が知らないはずがないのだ。数段上から会場内を見下ろすクシャーラ様の妖精のような微笑みは彼女達の身体を凍りつかせるには十分であった。
「ユグラド王子、クシャーラ様、この度はご婚姻おめでとうございます」
誰もが固まる中、先陣を切るのは候補者の1人であった私。リーゼロット様が欠席なされた以上、私が1人で担う他ないのだ。
いつものように入念に繕った言葉ではなく、ずっと、もう何年もユグラド王子に告げたかった心からの祝辞を目の前の2人に述べる。きっと今の私はクシャーラ様よりも深い笑みを浮かべていることだろう。
「ありがとうございます、ユタリア様」
クシャーラ様はいつも通りの、何を考えているのかわからない柔らかい笑みを浮かべた。ユグラド王子は私の顔をしばらく見つめ、そしてクシャーラ様から少し遅れる形となって「ありがとう」と述べた。
この言葉で私は正式に候補者から外れる。そして会場内の紳士淑女の皆さんにかかっていた硬直はすっかり解かれたように、一斉に2人に祝辞を述べようと進み出す。
今日1番の仕事を終えた私は迫り来る貴族の波に備えて、近くの使用人からグラスを1つ受け取ると喉を潤した。
それから間もなくして、王子達への挨拶を終えた貴族のほとんどはルートが決まっているのかと問いたくなるほどに決まった道順に沿って私の元へとやって来る。
完全にフリーとなったハリンストン家の令嬢に顔と名前だけでも覚えてもらおうという魂胆なのだろう。記憶の中にある名前と顔と照合しつつ、いつ尽きるかもわからない多くの相手をしていく。
おそらく明後日辺りからは夜会の招待状が何枚もの手紙が送られてくることだろう。
すでに彼らよりも一歩先に私へと手紙を出したエリオットはといえば、他の貴族同様に挨拶を終えるとすぐに立ち去ってしまった。そして用を済ませたエリオットは私と同じように多くの人に囲まれる。壁をなすのは彼を目当てにしているご令嬢達だ。この夜会をキッカケにお相手探しを開始するだろうと目星はつけられているのだろう。なにせもう彼が婚約者を作らない理由などないのだから。
噂通り、どのご令嬢にも笑顔で、そして紳士的な対応をするエリオット。彼の姿が人の山からチラリと覗く度に私の心に波紋が生じるのだった。