私の住む、リットラー王国は他国に比べれば『平凡』だ。だがそれは決して悪いことではない。王族も国民も誰もが平和を望むことこそがこの国の特徴でもあるのだから。
他国からは『あの国には緩やかな時間が流れているのだ』との評価を受けている。それはいい意味も悪い意味も孕んでいるようだけれど、私はいい国だと思っている。平和が一番だ。なにせ争ったところで得なんて一つもないのだ。心を躍らせるようなお話も、胸やお腹を膨らませてくれるような美味しいご飯も平和だからこそ生み出されるもの。それに美味しいものも、楽しいことも分け合った方が幸せだ。だから私はこの国に産まれて良かったと思う。
だがそんなリットラー王国にも、たった1つだけ変わった風習がある。それも1000年以上も昔からリットラー王族に伝わる慣習だ。
リットラー王国第1王子が10歳の誕生日を迎えると同時に国王陛下や王妃様、国の重役によって3人の王子妃候補者が選ばれる。あくまで婚約者ではなく王子妃候補者である。その候補として選出された令嬢は、王子と近い歳であること、そして王子妃になるに相応しい家柄であることはもちろんのこと、学力や容姿など様々な分野において多くの御令嬢から選りすぐられた、いわばエリートである。そしてその3人の中から、後々正式な王子妃が選定される。
公に発表される日時は王子の18になった年の誕生日パーティーでのこと。だが当人である3人の御令嬢達には事前に誰が選ばれたのか、その少女を選んだ王子自ら通達される。
そしてユグラド=リットラー第1王子は慣習通りに10歳の誕生日を迎えると、リーゼロット=ペシャワール、クシャーラ=プラント、そして私、ユタリア=ハリンストンの3人の公爵令嬢との顔合わせを済ませた。ユグラド王子はそれから5年間、3人の女性と同じ時間だけを過ごした。
一分一秒たりとも狂いなく、平等なだけ。
あり得ないと思うだろうが、いつだって王子と私達の間には懐中時計を持った使用人がいて、彼らは私達がユグラド王子と過ごした時間をノートに書き記して管理していたのだった。
そして王子と3人の令嬢が15か16で王立学校に通うようになると、その雁字搦めの時間から解放された。なにせ学園生活ともなれば時間をわざわざ計るなんてことができる訳がない。それにいくら王子や王子妃候補とはいえ、彼らだけで交流する訳にはいかない。だからこそ、この規則は初めから4人に説明されている。
そして学園在学中かつ選定までの残りの3年間という時間はユグラド王子にとって王子妃を、自らのお相手を選ぶ絶好のチャンスであった。そしてそれは王子妃候補者であるご令嬢方にも同じことが言える。時間に捕らわれない今こそ、絶好のアピールチャンスである。そして何より、他の王子妃候補者の動きや人柄を知ることができる。相手のことを知れば動き方も変わるというものだ。
このタイミングでどう動くかこそ、王子妃候補者選定の鍵なのである。
クシャーラ様はどこかおっとりとした雰囲気を纏っている。けれど抜けているということでは決してなく、むしろ全く腹の内を悟らせない方である。同じ王子妃候補者として、なんだかんだで8年間の付き合いがある私も彼女の性格を掴みかねていた。だがそんなところはまさにプラント家のご令嬢といったところだろう。
一度だけクシャーラ様のお姉様方とお会いする機会があったが、彼女達は一様に性格が違った。姉妹とはいえ、性格が違うなんてよくあることだろう。けれど私の目には、その隣の男性のためにそう繕っているかのように見えた。アクセサリーやドレスと同じように、その性格さえも変えてしまっているような……。そんな違和感が拭い去ることが出来ないのだ。クシャーラ様からも、彼女のお姉様方からも。私はそんなクシャーラ様をあまり好きにはなれなかった。
そしてそれは王妃様も同じだったようだ。お茶会へと招いていただいた時のことだ。庭先でユグラド王子とバラ鑑賞をしているクシャーラ様を目に捕らえるや否や、王妃様は端正な顔を歪ませて、苦いものでも飲み込むように紅茶を飲み干していた。
クシャーラ様とは対照的に、王妃様に気に入られているのはリーゼロット様だ。
リーゼロット様は由緒正しきペシャワール家の長女として、いつだって貴族に相応しい、ひいては王立学校の全生徒の模範となるような行動をとった。腰まで真っ直ぐと伸びた金色の髪は全くその芯を揺らすことなく、いつだってそこにあり続ける。 リーゼロット様はまさにご自身の髪とよく似ていた性格の持ち主で、いつだって彼女こそが王子の妃に相応しいと誰もが噂した。
…………だが選ばれたのは、クシャーラ様だった。
一番王子妃に近いと言われていたリーゼロット様は絶望に打ちひしがれていた。私だって彼女が選ばれると思っていた。だからこそ、その名前を聞いた時には一瞬、耳を疑った。けれど繰り返された名前は『クシャーラ=プラント』。2度目にその名前が変わることはなかった。きっとクシャーラ様にはユグラド王子が強く惹かれるものがあったのだろう。私は少し予想とは違った結果に驚きながらも、内心では胸の前で力強くこぶしを握り締めたいくらいだった。
なにせ私にとって、どちらのご令嬢が選ばれるかはさして重要ではなかったのだから。
王子妃に選ばれなかった令嬢は基本的に、役職持ち男性や公爵家のご令息に嫁ぐか、ショックでお屋敷に閉じこもるようになるのが常である。どちらにしてもしばらくの間は選ばれなかった悲しみや、家族からの期待に応えられなかった己の不甲斐なさを悔いるものである。 ……だがそれはあくまでも一般的には、というだけであって全ての令嬢に当てはまるわけではない。
いつだって例外は存在するものなのだ。
実際、私の両足は羽根を付けたように軽い。ショックなんてそんなものは微塵もない。むしろ気をつけてさえいなければ今にもスキップをしてしまいそうだ。周りにこの気持ちがバレてしまわないように、けれど高ぶる気持ちを胸にしてハリンストン屋敷まで戻る。そして真っ先に私の帰りを首をながぁくして待っていたお父様の元へと駆け寄った。
「お父様、本日の王子妃選考の結果をご報告に参りました」
「……ああ」
「王子妃に選ばれたのはクシャーラ=プラントです」
「リーゼロット=ペシャワールではなく?」
「はい、間違えありません」
「そうか、ペシャワール家が負けたのか……」
「国王陛下ならびに王妃様はリーゼロット様の能力値の高さから大変気に入っていらしたのですが、王子は彼女に苦手意識を持っていたようですから」
「それでクシャーラ=プラントか。なるほどな。だがよくお前には目が向けられなかったな」
「ユグラド王子は少し……ロマンチストな一面がありますから、おそらくはお相手との恋愛を楽しみたかったのでしょう。クシャーラ様は3人の中で一番王子本人にご執心できたので」
「能力値は一番低いが、な」
「それでも3人の中でなら、の話です。学園内では5本の指に収まるだけの成績を有しています」
「元々候補者自体、誰を選んでも問題ないようには選別しているからな。まぁ何はともあれ、8年間、よく頑張ったなユタリア」
「ありがとうございますお父様。ああもう……本当に疲れた。特に最後の3年間は辛かったわ……」
王子妃に選ばれなかった私はいずれ、私自身というよりはハリンストン家の娘に婚約を申し込んで来た良家のご子息、またはお父様の連れて来た相手と結婚することになる。
だがそれまでの間はハリンストン家の迷惑にならなければ何をしてもいいのだ。それこそ8年前、『王子妃にはしたくないが、王子妃候補にはなってほしい』と切実に祈るお父様と、『そんな面倒くさいことに足を突っ込みたくない』と駄々をこねた私が交わした約束だ。
普通、どこの家でも娘が王子の婚約者候補に選ばれたと聞けば泣いて喜ぶだろう。だが我がハリンストン家は事情が違った。
3代前にハリンストン家に降嫁したお姫様、つまり私たちのご先祖様に当たるその女性は自他共に認めるほどに王家に馴染めなかったらしい。そしてそのご先祖様は私によく性格が似ていたそうだ。だからこそハリンストン家は妹のミランダならともかく、私を王子の相手に、ひいては王族の仲間入りをさせるわけにはいかなかった。最悪、家の評価を落としかねない。
なにせ私は自他共に認めるほど、社交界と家の中とでは人格が正反対なのである。
社交界では相手を立てて、自分の意見は助言ほどにしかしない。その上、服装も髪型も清楚にまとめている。そのためついたあだ名は『窓際の白百合』だ。誰が付けたのか分からないその名前はすでに社交界で定着してしまっている。
ちなみに貴族としての責務を忠実に果たし、地位や爵位を重んじる名家に産まれたリーゼロットは『社交界の赤薔薇』。いつもニコリと微笑むだけで自分の意見を述べず、そして王子が間違った行動に出ようが一切何も指摘しない、けれども王子からの寵愛を一身に受けるクシャーラは『舞踏会の妖精』――とそれぞれにあだ名が存在する。
いついかなる時でも誇り高きリーゼロット様と、いつだって王子に真っ先に選ばれるクシャーラ様はその名に相応しい。だが一歩家に入ってしまえば言葉遣いは砂の城のように崩れ落ち、家族の前では遠慮なくガッツポーズを浮かべるような私には『窓際の白百合』なんてそんな大層なあだ名は似合わない。初めてその名前を耳にした日は屋敷に帰って、ミランダとともにお腹を抱えて笑ってしまったほどだ。翌日2人揃って笑いすぎによる腹部の筋肉痛を引き起こしてお母様に呆れられたのはいい思い出である。
「お姉様は白百合よりサボテンの方があっているわよね」
「サボテンってあの、砂漠になる食べ物だっけ?」
「そこは植物って言って。いっつもお姉様は食べ物のことばかり。全く親しみやすくてたまらないわ!」
「ミランダ、それじゃあ褒めているみたいよ?」
「王子のお妃様ならそれじゃあダメかもしれないけれど、私は城下で平民と混じってクレープを頬張っているお姉様が好きだからいいのよ!」
「ミランダ……わかった。今度の外出にはチョコバナナクレープを持ち帰ってくると約束するわ」
「さすがお姉様!」
パチンと両手を合わせて喜ぶミランダ。チョコバナナクレープと聞いて目を輝かせている辺り、この姉あってこの妹ありである。ちなみに世界一可愛いとまでは言わずとも、リットラー王国一は可愛いミランダは私ほど外面を作ってはいない。例えるならば私の外面用の仮面は石膏で固められた特注品で、ミランダは木彫りの仮面くらいなのである。
他国からは『あの国には緩やかな時間が流れているのだ』との評価を受けている。それはいい意味も悪い意味も孕んでいるようだけれど、私はいい国だと思っている。平和が一番だ。なにせ争ったところで得なんて一つもないのだ。心を躍らせるようなお話も、胸やお腹を膨らませてくれるような美味しいご飯も平和だからこそ生み出されるもの。それに美味しいものも、楽しいことも分け合った方が幸せだ。だから私はこの国に産まれて良かったと思う。
だがそんなリットラー王国にも、たった1つだけ変わった風習がある。それも1000年以上も昔からリットラー王族に伝わる慣習だ。
リットラー王国第1王子が10歳の誕生日を迎えると同時に国王陛下や王妃様、国の重役によって3人の王子妃候補者が選ばれる。あくまで婚約者ではなく王子妃候補者である。その候補として選出された令嬢は、王子と近い歳であること、そして王子妃になるに相応しい家柄であることはもちろんのこと、学力や容姿など様々な分野において多くの御令嬢から選りすぐられた、いわばエリートである。そしてその3人の中から、後々正式な王子妃が選定される。
公に発表される日時は王子の18になった年の誕生日パーティーでのこと。だが当人である3人の御令嬢達には事前に誰が選ばれたのか、その少女を選んだ王子自ら通達される。
そしてユグラド=リットラー第1王子は慣習通りに10歳の誕生日を迎えると、リーゼロット=ペシャワール、クシャーラ=プラント、そして私、ユタリア=ハリンストンの3人の公爵令嬢との顔合わせを済ませた。ユグラド王子はそれから5年間、3人の女性と同じ時間だけを過ごした。
一分一秒たりとも狂いなく、平等なだけ。
あり得ないと思うだろうが、いつだって王子と私達の間には懐中時計を持った使用人がいて、彼らは私達がユグラド王子と過ごした時間をノートに書き記して管理していたのだった。
そして王子と3人の令嬢が15か16で王立学校に通うようになると、その雁字搦めの時間から解放された。なにせ学園生活ともなれば時間をわざわざ計るなんてことができる訳がない。それにいくら王子や王子妃候補とはいえ、彼らだけで交流する訳にはいかない。だからこそ、この規則は初めから4人に説明されている。
そして学園在学中かつ選定までの残りの3年間という時間はユグラド王子にとって王子妃を、自らのお相手を選ぶ絶好のチャンスであった。そしてそれは王子妃候補者であるご令嬢方にも同じことが言える。時間に捕らわれない今こそ、絶好のアピールチャンスである。そして何より、他の王子妃候補者の動きや人柄を知ることができる。相手のことを知れば動き方も変わるというものだ。
このタイミングでどう動くかこそ、王子妃候補者選定の鍵なのである。
クシャーラ様はどこかおっとりとした雰囲気を纏っている。けれど抜けているということでは決してなく、むしろ全く腹の内を悟らせない方である。同じ王子妃候補者として、なんだかんだで8年間の付き合いがある私も彼女の性格を掴みかねていた。だがそんなところはまさにプラント家のご令嬢といったところだろう。
一度だけクシャーラ様のお姉様方とお会いする機会があったが、彼女達は一様に性格が違った。姉妹とはいえ、性格が違うなんてよくあることだろう。けれど私の目には、その隣の男性のためにそう繕っているかのように見えた。アクセサリーやドレスと同じように、その性格さえも変えてしまっているような……。そんな違和感が拭い去ることが出来ないのだ。クシャーラ様からも、彼女のお姉様方からも。私はそんなクシャーラ様をあまり好きにはなれなかった。
そしてそれは王妃様も同じだったようだ。お茶会へと招いていただいた時のことだ。庭先でユグラド王子とバラ鑑賞をしているクシャーラ様を目に捕らえるや否や、王妃様は端正な顔を歪ませて、苦いものでも飲み込むように紅茶を飲み干していた。
クシャーラ様とは対照的に、王妃様に気に入られているのはリーゼロット様だ。
リーゼロット様は由緒正しきペシャワール家の長女として、いつだって貴族に相応しい、ひいては王立学校の全生徒の模範となるような行動をとった。腰まで真っ直ぐと伸びた金色の髪は全くその芯を揺らすことなく、いつだってそこにあり続ける。 リーゼロット様はまさにご自身の髪とよく似ていた性格の持ち主で、いつだって彼女こそが王子の妃に相応しいと誰もが噂した。
…………だが選ばれたのは、クシャーラ様だった。
一番王子妃に近いと言われていたリーゼロット様は絶望に打ちひしがれていた。私だって彼女が選ばれると思っていた。だからこそ、その名前を聞いた時には一瞬、耳を疑った。けれど繰り返された名前は『クシャーラ=プラント』。2度目にその名前が変わることはなかった。きっとクシャーラ様にはユグラド王子が強く惹かれるものがあったのだろう。私は少し予想とは違った結果に驚きながらも、内心では胸の前で力強くこぶしを握り締めたいくらいだった。
なにせ私にとって、どちらのご令嬢が選ばれるかはさして重要ではなかったのだから。
王子妃に選ばれなかった令嬢は基本的に、役職持ち男性や公爵家のご令息に嫁ぐか、ショックでお屋敷に閉じこもるようになるのが常である。どちらにしてもしばらくの間は選ばれなかった悲しみや、家族からの期待に応えられなかった己の不甲斐なさを悔いるものである。 ……だがそれはあくまでも一般的には、というだけであって全ての令嬢に当てはまるわけではない。
いつだって例外は存在するものなのだ。
実際、私の両足は羽根を付けたように軽い。ショックなんてそんなものは微塵もない。むしろ気をつけてさえいなければ今にもスキップをしてしまいそうだ。周りにこの気持ちがバレてしまわないように、けれど高ぶる気持ちを胸にしてハリンストン屋敷まで戻る。そして真っ先に私の帰りを首をながぁくして待っていたお父様の元へと駆け寄った。
「お父様、本日の王子妃選考の結果をご報告に参りました」
「……ああ」
「王子妃に選ばれたのはクシャーラ=プラントです」
「リーゼロット=ペシャワールではなく?」
「はい、間違えありません」
「そうか、ペシャワール家が負けたのか……」
「国王陛下ならびに王妃様はリーゼロット様の能力値の高さから大変気に入っていらしたのですが、王子は彼女に苦手意識を持っていたようですから」
「それでクシャーラ=プラントか。なるほどな。だがよくお前には目が向けられなかったな」
「ユグラド王子は少し……ロマンチストな一面がありますから、おそらくはお相手との恋愛を楽しみたかったのでしょう。クシャーラ様は3人の中で一番王子本人にご執心できたので」
「能力値は一番低いが、な」
「それでも3人の中でなら、の話です。学園内では5本の指に収まるだけの成績を有しています」
「元々候補者自体、誰を選んでも問題ないようには選別しているからな。まぁ何はともあれ、8年間、よく頑張ったなユタリア」
「ありがとうございますお父様。ああもう……本当に疲れた。特に最後の3年間は辛かったわ……」
王子妃に選ばれなかった私はいずれ、私自身というよりはハリンストン家の娘に婚約を申し込んで来た良家のご子息、またはお父様の連れて来た相手と結婚することになる。
だがそれまでの間はハリンストン家の迷惑にならなければ何をしてもいいのだ。それこそ8年前、『王子妃にはしたくないが、王子妃候補にはなってほしい』と切実に祈るお父様と、『そんな面倒くさいことに足を突っ込みたくない』と駄々をこねた私が交わした約束だ。
普通、どこの家でも娘が王子の婚約者候補に選ばれたと聞けば泣いて喜ぶだろう。だが我がハリンストン家は事情が違った。
3代前にハリンストン家に降嫁したお姫様、つまり私たちのご先祖様に当たるその女性は自他共に認めるほどに王家に馴染めなかったらしい。そしてそのご先祖様は私によく性格が似ていたそうだ。だからこそハリンストン家は妹のミランダならともかく、私を王子の相手に、ひいては王族の仲間入りをさせるわけにはいかなかった。最悪、家の評価を落としかねない。
なにせ私は自他共に認めるほど、社交界と家の中とでは人格が正反対なのである。
社交界では相手を立てて、自分の意見は助言ほどにしかしない。その上、服装も髪型も清楚にまとめている。そのためついたあだ名は『窓際の白百合』だ。誰が付けたのか分からないその名前はすでに社交界で定着してしまっている。
ちなみに貴族としての責務を忠実に果たし、地位や爵位を重んじる名家に産まれたリーゼロットは『社交界の赤薔薇』。いつもニコリと微笑むだけで自分の意見を述べず、そして王子が間違った行動に出ようが一切何も指摘しない、けれども王子からの寵愛を一身に受けるクシャーラは『舞踏会の妖精』――とそれぞれにあだ名が存在する。
いついかなる時でも誇り高きリーゼロット様と、いつだって王子に真っ先に選ばれるクシャーラ様はその名に相応しい。だが一歩家に入ってしまえば言葉遣いは砂の城のように崩れ落ち、家族の前では遠慮なくガッツポーズを浮かべるような私には『窓際の白百合』なんてそんな大層なあだ名は似合わない。初めてその名前を耳にした日は屋敷に帰って、ミランダとともにお腹を抱えて笑ってしまったほどだ。翌日2人揃って笑いすぎによる腹部の筋肉痛を引き起こしてお母様に呆れられたのはいい思い出である。
「お姉様は白百合よりサボテンの方があっているわよね」
「サボテンってあの、砂漠になる食べ物だっけ?」
「そこは植物って言って。いっつもお姉様は食べ物のことばかり。全く親しみやすくてたまらないわ!」
「ミランダ、それじゃあ褒めているみたいよ?」
「王子のお妃様ならそれじゃあダメかもしれないけれど、私は城下で平民と混じってクレープを頬張っているお姉様が好きだからいいのよ!」
「ミランダ……わかった。今度の外出にはチョコバナナクレープを持ち帰ってくると約束するわ」
「さすがお姉様!」
パチンと両手を合わせて喜ぶミランダ。チョコバナナクレープと聞いて目を輝かせている辺り、この姉あってこの妹ありである。ちなみに世界一可愛いとまでは言わずとも、リットラー王国一は可愛いミランダは私ほど外面を作ってはいない。例えるならば私の外面用の仮面は石膏で固められた特注品で、ミランダは木彫りの仮面くらいなのである。