夜が完全に明けるのを待つことなく、気持ちよく寝ているお義父様とお義母様を起こしたラウス様は口早に事情を告げる。そしてそれを了承し、背中を押してくださった2人に頭を下げると「いってらっしゃい」と玄関まで見送ってくれた。
 そして私とラウス様とグスタフはそれから三日かけてサンドレア領へと向かった。
 馬車の中でグスタフは私達に気を使っているのか、それともただ単に暇を持て余しているだけなのか、私やラウス様の膝の上や隣の席に移ってはぶにゃあと鳴いて見せたり、尻尾でペシペシ叩いて遊んでみたりしていた。
 そしていよいよ私とグスタフにとっては2週間ぶりの我が家へと到着した。
 今回は朝が早いこととラウス様も一緒のことを考慮して、呼び鈴を鳴らすと「はいはいはーい」と軽快な声で使用人の1人が出迎えてくれた。そしてすぐに固まった。彼女の視線の先にはラウス様がいる。
「大丈夫?」
 声をかけたことにより意識を引き戻した彼女は機械仕掛けの人形のようにギギギと固い動きで回れ右をすると、叫びながら屋敷の中へと走っていった。
「大変です、大変です! モリア様と、カリバーン様がいらっしゃいました!」
 一番上のお兄様が産まれるよりも前からこの家で働いてくれているらしい彼女は確かゆうに70を越えていたはずだ。最近では足腰が痛くなってきているとボヤいていたはずなのだが、あんなに猛ダッシュをして大丈夫なのだろうか。心配に思いながらも遠ざかっていく小さな背中を目で追った。そしてその背中の主は私の想像よりもずっと丈夫な身体を持っているらしく、すぐに私の家族を呼んで来てくれた。
 こんな状況でも自分のペースを乱すことなく、ゆっくりと登場するお母様とラウス様に少し怯えたような姿勢をとるお父様、そして今日は不在らしいお兄様の代わりに堂々と登場してラウスの値踏みを始めるのはすでに嫁いで家を出た三女のカロンお姉様だ。
「モリア、ラウスさん、いらっしゃい」
 まず初めにお母様が歓迎していることを表すように両手を広げる。そして次に怯えた様子のお父様が勇気を出して、口を開いた。
「カリバーンさん、娘から話は聞いています。あの、その……」
 すると続きの言葉を口先で留まらせるお父様をカロンお姉様は強引に端によせると、腕を組みながらラウス様の真正面に仁王立ちをした。
「モリアを愛しているって本当かしら?」
 いきなり踏み込んだ質問を投げつけるお姉様をお父様は「ちょっとカロン、落ち着いて」と小声で諌めているが、それは聞き入れられることはない。むしろ「お父様、邪魔」と強い力で突き飛ばされて、今やすっかりお母様の隣でいじけてしまっている。
「それでどうなのかしら?」
「もちろん私は彼女を愛しています」
「生涯大事にすると誓えるのかしら?」
「はい」
 その二つの質問を投げかけ終えたお姉様はそれからジッとラウス様の目を見つめた。それにラウス様も負けじと見つめ返す。
 蚊帳の外となった私はそれを眺めていることしか出来ずにいると、やがてお姉様は「はぁ……」と観念したように息を漏らした。
「……いいわ。合格よ、合格。モリアを嫁にあげるつもりなんてなかったけど、あなたになら譲ってあげてもいいわ」
「何でカロンはそう、いつも上からなんだ……」
 お父様はお母様の背に隠れながらそう呟くと耳の良さには定評のあるお姉様はズンズンと距離を詰めた。
「私達の大事な、大事なモリアを嫁にあげるのよ? これくらいしなきゃ遠方のお姉様やお兄様に顔向けできないわよ!」
「そう、なのかなぁ……」
「そうよ!!」
 首をかしげるお父様にそう断定すると、身体をグルリと回転させて今度は私達の方へとやって来た。
「それはそうとラウスさん、聞いておきたいことがあるんだけど」
「何でしょう?」
「式場の規模はどのくらいかしら?」
 お姉様が尋ねると今までお姉様に主導権を握らせてじっとしていたお母様もトトトとこちらへと向かって話に混ざり始めた。
「あ、それはお母さんも聞いておこうと思ったのよ。ほらシトちゃんのところ、大所帯でしょ?」
「ミントお姉様の方が多いんじゃない? あそこはおじさま達も祝いに来るから」
「ああ、そうねぇ……、それじゃあ200は見積もっていた方がいいかしら?」
「300は居るんじゃない? お兄様達は絶対部下総出で来るわよ」
「そうねぇ、何ならうちとカリバーンさんで二回に分けた方がいいかしら? ねぇ、ラウスさん」
 2人がラウス様を挟んで始めたのは式場の手配についてだ。サンドレアは他の貴族と違って親戚中の繋がりが強固のため、どうしても参加人数は単位が大きくなってしまうのだ。
「ええ、検討してみます」
 話し合いをすぐ近くで見ていた私はハッとあることを思い出す。
「お姉様、お母様!」
「どうしたのよ、モリア」
「今日は式の話をしに来たんじゃないの」
「ラウスさんがうちに挨拶に来たんでしょう?」
「そうでもなくて……。ドレスの確認に来たの」
 そう、今回の目的は式場の話し合いに来たわけでもなければ、ラウス様と共に家に顔を見せにやってきたわけでもない。

 例のドレスを確認しにきたのだ!

 するとお姉様は「ああ」と納得したように手を打った。そして次の瞬間、お姉様の告げた言葉は私の中でイナズマのような鋭い衝撃が走る。
「ドレスのことならちょうど私も聞こうと思ってたのよ。モリアはデビュタントに着て行ったバラの刺繍をあつらえたものと、その後のフリルで飾ったもの、どちらがいいの?」
「その……後?」
「そうそう。姉妹を代表して、一番屋敷の近くに住んでいる私がモリアのドレスの刺繍はどんなデザインだったか確認しに来たんだけど、いざ見てみたらあの日からガラリと変わってるんですもの。リメイクしたんだろうなっていうのはわかったけど、それにしてもどちらもデビュタントのドレスには変わりないでしょう? だからどちらにしようかしらって、さっきまで母さんと相談してたのよ」
「私……あのドレスを作り直してませんよ?」
「そうなの? でも糸で仮留めした跡があったわよ? モリアがしてないって言ってもあれは確かにモリアがデビュタントの夜に着たもので間違いないし……。もしかしてモリア、忘れてるんじゃない? なんなら今から確認して、好きな方を選びなさい」
「……はい!」
 そのドレスを作り直した記憶は私にはない。だがお姉様が嘘をついているようにも見えなかった。お姉様によって与えられた仄かな光を胸に私達はリビングへと向かった。
 中心にデンと位置するその机には見覚えのあるドレスが一着。私が帰省時に見たものと同じものだった。
「これが今の状態、そしてこれが…………デビュタントの時の状態よ。モリアはどっちがいい?」
 お姉様の手で外されたそのフリルの下にあったのは白い糸で刺繍されたバラだった。
「このドレスだ! あの夜、モリアが着ていたもので間違いない」
 声を荒げるラウス様とは対照的に私は声を出すことすらできなかった。
 その花は私がこれからもラウス様の隣にいていいことの証明となる。
「当たり前でしょ? うちでこの型を着れるのはモリアしかいないわよ」
 呆れたようにそう告げるお姉様の言葉に涙が溢れ出した。

 このドレスは間違いなく私のものなのだから。