「モリア。君の部屋に案内するよ」
 私とハーヴェイのやり取りをしばらく見ていたラウス様であったが、これ以上私たちのやり取りを見ているのにも飽きたのか、再び私の手を取って屋敷の方へと歩みだした。
 目の前にそびえ立つのは、同じ『貴族』という役職を持っていようが、階級の違いを見せつけられるほどに豪華なお屋敷だ。サンドリア家の古ぼけた屋敷とは比べ物にならない。近づいても屋敷の壁に泥が付着していたり、塗装が剥げているなんてこともない。
 ラウス様のために開かれた扉を通過していくと、やはり内装も立派であった。進むたびに高価そうな絵であったり、ツボであったりが飾られている。ツボの横を通る度に割ってしまわないかと冷や冷やする。
「モリア、ここが君の部屋だ」
 ラウス様の手によって直々に開かれたドアの先にあったのは天蓋付きのベッドや傷一つないクローゼット。元付けの家具は多くはないものの、一つ一つ丹精込めて作られたのだろうと簡単に予想できる品物ばかりだ。
 これが使用人の、しかもよりにもよって借金を背負ってやってきた、役に立つかもわからない下級貴族の娘に与えられる部屋なんてやはりお金持ちはスケールが違うのだと感心する。
 先ほど採寸し、注文していたドレスもラウス様ほど上級の貴族ともなると使用人にもそれくらいのものを与えているのかもしれない。万年お金のやりくりに気を配るサンドリア家では到底理解できないことではあるが……。
「では早速で悪いのだが、その、食事にしないか?」
「え……」
 私がこの屋敷に到着してから一時間も経過していない。部屋の配置はもちろんのこと、キッチンの場所は教えられていないし、制服すら支給されていない。こんな状況で食事の準備なんて……。
「あ、いやモリアがまだ食事という気分ではないならもう少し後でも構わないのだが……」
「いえ、そんなことは……」
 いや、だが借金返済のためにこの場所に来た以上、『やらない』『できない』という選択肢はない。今からでも屋敷のどこかにいる使用人を探して、せめて食堂の場所を教えてもらうしかないのだろう。
 ドアに手を伸ばして足を踏み出そうとするとドアノブに伸ばしたはずの手はラウス様の手によって包み込まれた。
「では行こうか。みんな待っている」
 なぜラウス様は私の手を握るのだろう?
 この年になってさすがに迷子になったりはしない。
「あの、ラウス様……」
「どうかしたのか?」
「手、なのですが……その……」
「え、あ、その……すまない……」
 私が指摘するとラウス様は弾くように手を引いて顔を真っ赤に染めた。もしかしたらカリバーン家は、上級の貴族は使用人にも紳士的に接するのかもしれない。私の屋敷では使用人はどちらかといえば『家族』の枠組みに近いけれど……。そう思うとわざわざ指摘してしまったことを恥ずかしく思った。俯きながら、ラウス様の足元を追いかけるようにして進んでいく。するとつむじにはラウス様の視線が当たる。それに気づいてハッと顔を上げる。
 せっかくラウス様が先導してくださっているのに、私はなぜこんなにも呑気に歩いているんだ!
 この屋敷の人に迷惑をかけないよう、しっかりと部屋の配置を覚えなくては!
 右手にある、花瓶には見覚えがあるので少なくともこの場所までの道順は問題ない。まだ挽回できるくらいでよかった。ラウス様に失敗を気づかれないように胸をなでおろす。
「モリアは……」
「はい、なんでしょう、ラウス様」
「花瓶に興味があるのか?」
 どうやら熱心に目印を確認していた様子がラウス様の目には花瓶に興味のあるように見えていたらしい。
「いえ」
 短く否定の言葉を返すとラウス様は私に訝しげな顔を向けた。
 もしかしたら何か勘違いをさせてしまったかもしれない。これでは万が一この屋敷内で盗難でもあったら確実に初めに疑われるのは私になってしまう。
「いえ、その、目印に……と思いまして」
 慌てて付け足すとその顔は柔らかいものへと変わる。
「ああ、そうか。わからなくなったらいつでも遠慮しないで聞けばいい。この屋敷のものは皆優しいものばかりだから」
「そうさせていただきます……」
 これ以上疑われるような真似をして追い出されたり、すぐにでも借金全額返金するように言われでもしたら困る。
 何かを狙っていないことを表すためにも、キョロキョロとせずにまっすぐにラウス様の背中だけを見つめることにした。
 すると安心したのか、ラウス様はそれからダイニングルームにつくまで一度も振り返ることはなかった。
 部屋へと入り、立ち止まる私の手をラウス様が手放すことはなかった。それどころか「席に案内する」と微笑みかけてくれるのだ。
 カリバーン家は使用人と一緒にご飯を食べるのか。
 サンドリア家は収穫祭や結婚式などの祝いごとがある日は使用人も全員で同じ食卓を囲むものだ。今日はそうではないようだが、新しい使用人ができたことは祝い事に相当すると言われればそうであるともいえる。
 思いがけず実家との共通点を見つけたことで親近感のようなものを覚えた。そして案内されるがままに引かれた椅子に腰かける。
 すでに用意されていたグラスには半分よりも少し少ないほどのワインが注がれ、この場に座るのも今日限りなのだと実感させられる。
 目の前に広がる大量の食事も。
 六つある椅子のうちの唯一の空席につかせてもらうのも。
 私以外の、ラウス様を含めた五人はいずれも高価そうな服を着ている。実家にあるうちの一番高い服を着てきたつもりではあるが、やはり隣に並べば違和感を醸し出している。
「ようこそカリバーン家へ。私たちはあなたを歓迎するわ」
 彼らは明るく迎え入れてくれているが、美味しいはずの料理は緊張で味がしない。昔行った王都の舞踏会のようだ。いつ終わるのか、そればかりが気になってしまって仕方がない。時折、彼らは私を気遣って話を投げてくれたのだが、緊張のせいで何を聞かれたのかも何を答えたのかも覚えていない。

 ――そして気が付けば真っ白なシーツの上に寝転がっていた。
「さすがにその……初日から無理をさせるわけにはいかないから」
 なぜか私の隣で、背を向けながら弁明をするラウス様の声が次第に遠くなっていく。
 薄れる記憶の中で『明日こそは制服を貰おう』と決意して眠りにつくのであった。