「モリア、愛してる」
「ラウス様……、も、もういいです。ちゃんとわかってますから……」
ラウス様はそれからというもの毎日のように愛の言葉を囁くようになった。
それは朝に顔を合わせた時であったり、ラウス様が出勤する前であったり、帰ってきた時であったり、顔を合わせる時には必ずと言っても過言ではないほどに、恥ずかしさに俯いてしまう私の頭に惜しげも無く降り注ぐ。
ラウス様はあの日の私に言ったのだ。
「覚えていないのならこれから何度も上書きしていくだけだ」――と。
その時はまさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。
後から私たちの間にあった出来事を知ったらしいアンジェリカはそれに便乗するかのように「私もお義姉様が大好きですわ!」なんて言うものだから朝も昼も夜も私は顔を真っ赤に染め上げて過ごすのだ。
サキヌもサキヌで私がこの家から出ていくのを恐れてか、はたまた私の暴走を恐れてなのか、アンジェリカのように昼は出来る限り私の側に居るようになった。今ではすっかりお義母様とアンジェリカの諍いに自ら率先して入るようになっている。なんでも今までは遠慮していただけであったのだとか。
そんな彼らではあるが朝と夜、ラウス様が居るうちは私の側からスススッと離れていく。私達の時間を邪魔するつもりはないと意思を示すかのようにニヤニヤと品のある彼ららしからぬ笑みを浮かべながら。
「モリア、ただいま」
「おかえりなさい、ラウス様」
それからもう一つ変わったことといえば、今後はお互いを知るようにと努めるようになったことだろう。
そのためにと夕食後にラウス様の部屋でお互いのことを語るのが日課となった。
私が話すのは幼い頃お兄様達と山を駆け回った思い出であったり、誕生日のケーキの話であったり、本当に私にとってはなんてことない話であるがどれもラウス様にとっては新鮮なことらしく、楽しそうに耳を傾けてくれる。
ラウス様の話してくださることもまた私にとってはどれも知らなかったことばかりで、特に宮廷内にあるという庭の花々の話はとても興味深かった。年中季節の花が眺められるよう、それを管理する宮廷内庭師という仕事の方がいるのだそうだ。
たまにふと本当になぜ私はこんな身分違いの方と共に居られるのだろうと考えてしまう。
以前の私達の直接的な接点はといえばあの夜くらいなものだ。
カリバーン屋敷にくる前の私は、夜会で望まずとも自然に流れてくるラウス様の噂くらいしか知らなかった。同じ貴族という枠組み内にあってもそれほど手の届かない場所にいる人だったのだ。それが今では手を伸ばせば触れられる距離にいる。そして日に日にその距離は精神的にも、物理的にも近くなっている。今だってこちらからほんの少しだけ勇気を出せばラウス様の指先に触れることができる。…………恥ずかしくてそんなこと出来ないけれど。
「モリア?」
ラウス様に触れることを想像し、一人で勝手に頬を染めた私をラウス様は心配そうに覗き見る。親切心しかない彼がまさかそんな理由で顔を赤らめているなんて気づくはずもなく、しきりに「大丈夫か?」と伺っては発熱がないかと確認するために互いの額に手を伸ばす。
「熱……はないか。モリア、今日はもう休もう」
「だ、大丈夫です。何ともありませんよ!」
赤くなった事実を隠すかのように大げさに手を振ってラウス様の考えを否定すると、彼は嬉しそうに頬を緩めた。
「また明日、な?」
ラウス様は私の髪をすくようにして頭を撫でる。その言葉は慈しむかのように優しく、そして楽しげだった。
そんなラウス様にこれ以上ヤケになっては余計に恥ずかしくなるだけだと理解した私はそれを諦めるのだった。
「……はい、おやすみなさいラウス様」
「おやすみ、モリア。いい夢を」
ラウス様の優しげな笑みに拙い笑みを返して、そしてラウス様の部屋を後にし、隣の自室へと身体を滑り込ませる。
「はぁ……」
一直線にベッドへと向かってダイブし、冷たくなったシーツとは対照的にいまだ火照っている顔を押し付ける。
おやすみなさいと言ったはいいが、こんなになってしまっては寝ることなんてできやしない。
それは今日に限ったことではなく、カリバーン屋敷にやって来てからというもの頻繁に襲ってくるのだった。風邪を引いているわけではない。無性に恥ずかしくなって、そして集まった熱は中々引かずに残り続けるのだ。
こんなに熱くては寝苦しくて堪らない。
こんな時、思い出すのは決まってラウス様と話したことだ。最近はいつもそればかり。楽しいことを思い出そうとするとまず第一に上がってくるのだ。もちろんそうでない時もある。けれど、サンドレアでの出来事を思い返そうが、夜会でのことを思い出そうが、最終的には決まってラウス様に結びつく。この話は喜んでくれそうだとか、驚きそうだから隠しておこうとか。
私は一体どうしてしまったのだろう。
そうは思っていてもやはり今もいの一番にやって来たのはラウス様が話してくださった、ダイナス様とのこと。
私はラウス様のことを噂程度にしか知らなかったが、ラウス様もまたあの夜と、ダイナス様から聞いた私のことしか知らないらしい。
あの日は私たちが出会ったのだという王都で行われた夜会での出来事を理解するので精一杯で、すっかり流し聞いてしまっていたのだが、あの、かの有名なダイナス=レトッド様はラウス様の従兄弟にあたるらしい。ちょうど今度顔見せに行く予定のラウス様の叔母様に当たる方の息子さんなのだそうだ。
素行からすると全く血縁関係が見出せなさそうな彼らであるが、ラウス様の話によると私が聞いてきたダイナス様の噂はそのほとんどが真っ赤な嘘で、貴族の噂なんて色々誇張されて流れるのが常であると笑っていた。
そして何より彼のイメージを確固とする、夜会にいる女性に端から声をかけて歩くというのは彼の少しだけシャイなお兄さんの代わりに様々な貴族達と階級を関係なく交流を持つためであるのだと言う。そしてお持ち帰りをする、というのは少し考えるような仕草を取ってからこれはじきにわかることだと、自分から言えることではないと言ってそれ以上は教えてはくれなかった。けれどラウス様は一貫してダイナス様は決して悪い人ではないのだと言い続けた。
それは親戚に変なイメージを持って欲しくないからかと思ったものの、ラウス様がポツリとこぼした言葉でその思いは一気にひっくり返った。
「あいつにも色々と協力してもらったし、な……」
どうやらダイナス様とはただの親戚というだけではないらしい。
恥ずかしげに付け足すその仕草に今までダイナス様に抱いていたイメージを全て壊してしまわなければいけないなと反省したのはまだ記憶に新しい。
「ふぁ……」
そうこう以前話してもらったことに思いを馳せているとやっとのこと睡魔がやってくる。確認のためにと両頬に手を伸ばすとすでにそこからは熱が引いていて、当てた手よりも冷たいくらいだった。
ゆっくりと瞼をおろし、押し寄せた睡魔に身を預けるとそれからすぐに意識は遠のいていくのであった。
「ラウス様……、も、もういいです。ちゃんとわかってますから……」
ラウス様はそれからというもの毎日のように愛の言葉を囁くようになった。
それは朝に顔を合わせた時であったり、ラウス様が出勤する前であったり、帰ってきた時であったり、顔を合わせる時には必ずと言っても過言ではないほどに、恥ずかしさに俯いてしまう私の頭に惜しげも無く降り注ぐ。
ラウス様はあの日の私に言ったのだ。
「覚えていないのならこれから何度も上書きしていくだけだ」――と。
その時はまさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。
後から私たちの間にあった出来事を知ったらしいアンジェリカはそれに便乗するかのように「私もお義姉様が大好きですわ!」なんて言うものだから朝も昼も夜も私は顔を真っ赤に染め上げて過ごすのだ。
サキヌもサキヌで私がこの家から出ていくのを恐れてか、はたまた私の暴走を恐れてなのか、アンジェリカのように昼は出来る限り私の側に居るようになった。今ではすっかりお義母様とアンジェリカの諍いに自ら率先して入るようになっている。なんでも今までは遠慮していただけであったのだとか。
そんな彼らではあるが朝と夜、ラウス様が居るうちは私の側からスススッと離れていく。私達の時間を邪魔するつもりはないと意思を示すかのようにニヤニヤと品のある彼ららしからぬ笑みを浮かべながら。
「モリア、ただいま」
「おかえりなさい、ラウス様」
それからもう一つ変わったことといえば、今後はお互いを知るようにと努めるようになったことだろう。
そのためにと夕食後にラウス様の部屋でお互いのことを語るのが日課となった。
私が話すのは幼い頃お兄様達と山を駆け回った思い出であったり、誕生日のケーキの話であったり、本当に私にとってはなんてことない話であるがどれもラウス様にとっては新鮮なことらしく、楽しそうに耳を傾けてくれる。
ラウス様の話してくださることもまた私にとってはどれも知らなかったことばかりで、特に宮廷内にあるという庭の花々の話はとても興味深かった。年中季節の花が眺められるよう、それを管理する宮廷内庭師という仕事の方がいるのだそうだ。
たまにふと本当になぜ私はこんな身分違いの方と共に居られるのだろうと考えてしまう。
以前の私達の直接的な接点はといえばあの夜くらいなものだ。
カリバーン屋敷にくる前の私は、夜会で望まずとも自然に流れてくるラウス様の噂くらいしか知らなかった。同じ貴族という枠組み内にあってもそれほど手の届かない場所にいる人だったのだ。それが今では手を伸ばせば触れられる距離にいる。そして日に日にその距離は精神的にも、物理的にも近くなっている。今だってこちらからほんの少しだけ勇気を出せばラウス様の指先に触れることができる。…………恥ずかしくてそんなこと出来ないけれど。
「モリア?」
ラウス様に触れることを想像し、一人で勝手に頬を染めた私をラウス様は心配そうに覗き見る。親切心しかない彼がまさかそんな理由で顔を赤らめているなんて気づくはずもなく、しきりに「大丈夫か?」と伺っては発熱がないかと確認するために互いの額に手を伸ばす。
「熱……はないか。モリア、今日はもう休もう」
「だ、大丈夫です。何ともありませんよ!」
赤くなった事実を隠すかのように大げさに手を振ってラウス様の考えを否定すると、彼は嬉しそうに頬を緩めた。
「また明日、な?」
ラウス様は私の髪をすくようにして頭を撫でる。その言葉は慈しむかのように優しく、そして楽しげだった。
そんなラウス様にこれ以上ヤケになっては余計に恥ずかしくなるだけだと理解した私はそれを諦めるのだった。
「……はい、おやすみなさいラウス様」
「おやすみ、モリア。いい夢を」
ラウス様の優しげな笑みに拙い笑みを返して、そしてラウス様の部屋を後にし、隣の自室へと身体を滑り込ませる。
「はぁ……」
一直線にベッドへと向かってダイブし、冷たくなったシーツとは対照的にいまだ火照っている顔を押し付ける。
おやすみなさいと言ったはいいが、こんなになってしまっては寝ることなんてできやしない。
それは今日に限ったことではなく、カリバーン屋敷にやって来てからというもの頻繁に襲ってくるのだった。風邪を引いているわけではない。無性に恥ずかしくなって、そして集まった熱は中々引かずに残り続けるのだ。
こんなに熱くては寝苦しくて堪らない。
こんな時、思い出すのは決まってラウス様と話したことだ。最近はいつもそればかり。楽しいことを思い出そうとするとまず第一に上がってくるのだ。もちろんそうでない時もある。けれど、サンドレアでの出来事を思い返そうが、夜会でのことを思い出そうが、最終的には決まってラウス様に結びつく。この話は喜んでくれそうだとか、驚きそうだから隠しておこうとか。
私は一体どうしてしまったのだろう。
そうは思っていてもやはり今もいの一番にやって来たのはラウス様が話してくださった、ダイナス様とのこと。
私はラウス様のことを噂程度にしか知らなかったが、ラウス様もまたあの夜と、ダイナス様から聞いた私のことしか知らないらしい。
あの日は私たちが出会ったのだという王都で行われた夜会での出来事を理解するので精一杯で、すっかり流し聞いてしまっていたのだが、あの、かの有名なダイナス=レトッド様はラウス様の従兄弟にあたるらしい。ちょうど今度顔見せに行く予定のラウス様の叔母様に当たる方の息子さんなのだそうだ。
素行からすると全く血縁関係が見出せなさそうな彼らであるが、ラウス様の話によると私が聞いてきたダイナス様の噂はそのほとんどが真っ赤な嘘で、貴族の噂なんて色々誇張されて流れるのが常であると笑っていた。
そして何より彼のイメージを確固とする、夜会にいる女性に端から声をかけて歩くというのは彼の少しだけシャイなお兄さんの代わりに様々な貴族達と階級を関係なく交流を持つためであるのだと言う。そしてお持ち帰りをする、というのは少し考えるような仕草を取ってからこれはじきにわかることだと、自分から言えることではないと言ってそれ以上は教えてはくれなかった。けれどラウス様は一貫してダイナス様は決して悪い人ではないのだと言い続けた。
それは親戚に変なイメージを持って欲しくないからかと思ったものの、ラウス様がポツリとこぼした言葉でその思いは一気にひっくり返った。
「あいつにも色々と協力してもらったし、な……」
どうやらダイナス様とはただの親戚というだけではないらしい。
恥ずかしげに付け足すその仕草に今までダイナス様に抱いていたイメージを全て壊してしまわなければいけないなと反省したのはまだ記憶に新しい。
「ふぁ……」
そうこう以前話してもらったことに思いを馳せているとやっとのこと睡魔がやってくる。確認のためにと両頬に手を伸ばすとすでにそこからは熱が引いていて、当てた手よりも冷たいくらいだった。
ゆっくりと瞼をおろし、押し寄せた睡魔に身を預けるとそれからすぐに意識は遠のいていくのであった。