「私の従兄弟にあたるダイナスに声をかけられ、そして手を滑らせた彼の婚約者にワインをかけられた君は『汚れなんか洗えば落ちますので気にしないでください』そう言ったんだ。それどころか君は隣に立っていた俺のことまで気にした。『汚れませんでしたか?』と、君の胸は赤く染まっているのに、そんなこと気にもしなかった」
 それは私にとって汚れなんて日常茶飯事で、ワインのシミ抜きだって時間が立たなければ簡単に落ちるものだということも知っていたからだろう。
「私のジャケットに汚れを見つけた君は俺の手を引いて休憩室まで連れて行った。これは言い訳になってしまうんだが……、過去に二度ほど権力目当てに近寄ってきた人間がわざとワインをかけて私のことを休憩室に連れ込んだことがあったせいで、君に酷い態度を取ってしまった……。けれど君はそんなことも気にせずに休憩室で私を休ませている間、違う部屋で汚れを落としてくれた。そこでやっと君が彼女とは別の種類の人だと知った。君の行動は善意だったのだと……。
 君にお礼と謝罪がしたいと君の入って行った休憩室を訪ねると君は胸元が濡れたドレスを着て出てきた。てっきり汚れを落としていた君の使用人が出てくると思っていたのに、だ。驚いて『使用人はどこにいるんだ?』と聞いた私に君は言った。
『馬車で待っているのだと思いますが、なにぶん夜会は初めてなもので……』――と。
 驚いたよ。君は自分で私のジャケットの汚れも自分のドレスの汚れも落としていたんだ。
『あの、ドライヤーって貸してもらえますかね?』
『ああ、借りてこよう』
『すみません』
『何、ジャケットのお礼だ』
 ドライヤーでドレスを乾かし終わった君の瞳は輝いていて、その瞳に囚われたいと思った。そして私は『君を迎えに行く』と言ったんだ。
 濡れた胸元に誂えてあった白薔薇を携えて。
 その時の約束を忘れていたことは本当に申し訳なかった。例え君が覚えていなくとも謝らせてほしい。君が他の男と結婚してしまったらと気ばかりせいていた私の致命的なミスなのだから。
 ……サンドリア家がやり繰りに困っていると聞いて名乗りを上げたのは少しでも繋がりがあれば君を迎えに行きやすいと思ったからだ。それに、カリバーンの名前を聞けば君があの日のことを思い浮かべてくれるだろうと、自分の地位を過信しすぎていた。だが借金のカタにと迫ったと勘違いさせてしまうほど強引なやり方で君を連れてきたことは今でも後悔していない。
 私はあの夜、君に惹かれた。そして婚約してからもずっと私は君に囚われている。モリア、君さえ良ければ私と……結婚してほしい」
「ラウス様……」
 私はどうするべきなのか。
 その迷いが顔に出てしまっていたのか、ラウス様は優しさからか私の逃げ道になりそうなものをいくつも提示して行く。
「お金のことなら気にしないでいい。もとよりあれは貸したつもりなどないのだから」
「強引に話を進めてしまったが、いい相手がいるのであればそちらを選んでほしい」
「この件はサンドレアにカリバーンから謝罪させてもらう」
 だがラウス様が一つ一つ挙げていくうちに私の選択肢は一つ一つ消されてしまう。
 借金のカタだからとかそんな適当な理由で側にいることなど出来なくなってしまっているのだ。
 ラウス様の隣にいるには『そこにいたい』という私の意思がなければならない。
 ラウス様はとてもお優しい方で、そして五年もの間私を思い続けてくれたらしい。申し訳ないという気持ちがある反面で、そんな理由でこの話を受けて仕舞えば一層彼を傷つけるのではないかと気づいてしまう。
 だからといってラウス様を愛しているのかと聞かれれば『わからない』と答える他ない。

 私は今まで愛も恋もしたことがなかったのだから。
 だが一つ、確実に言えることがある。
 それはラウス様に限ったことではないのだが、私がカリバーン家の人達に好意を抱いていることだ。
「ラウス様」
「なんだ?」
「私はまだ愛とか恋とかはよくわかりません。でも私がカリバーンの皆さんを好いていることは、まだこの場所に居たいと思う気持ちは嘘ではないんです」
 ひどいことを言ってしまっているのは分かっている。だがそれを伝えなければ私はきっとこの先ずっと後悔するだろうと思ったのだ。
 自己保身の考えに怒られるかと身を縮めていると、ラウス様はゆっくりと抱きしめてくれた。

「ありがとう」――と涙を落としながら。

 私の背中で組まれたラウス様の手には未だ花束が握られており、その花はいくつか花弁を散らしてしまっているだろう。
 だがその花はやはり美しいことには変わりないのだ。